#16:第4日 (17) 屋上は今夜も雨
1時間ほどカポエイラのトレイニングを習って、11時半になった。「ありがとう。そろそろ帰るわ」とスサナが言い、カリナを促す。こういう展開ならカリナも帰るしかないだろう。帰って欲しい。いや、帰ったと見せかけて、後で戻ってくることも考えられるけど。
「明朝もお二人は一緒にビーチで走りますか?」
カリナが笑顔で訊いてくる。なんだ、スサナと俺が二人きりだと嫉妬するのか。
「もちろん、そのつもり。明日もアーティーに新しいドリルを教えてもらおうと思ってるわ」
「私も見に来てよろしいですか?」
「歓迎するわよ。ついでにカポエイラの別のドリルを教えてくれるともっと嬉しいわね」
「では、用意して来ますわ」
二人で全部決めてしまった。俺と一緒にすることなのに、俺の意見を聞くつもりがないのな。別に俺も「それでいいよ」と言うつもりだけれども。
水着からドレスに着替えて、二人が部屋を出て行く。今夜は安らかに寝られそうだ。お休みのキスをするくらい、何でもない。カリナが戻ってきても入れないように、チェーンをかけておこう。いや、この後、ビッティーと話をしに屋上へ行かなければならないので、戻ってきてからだな。
その前に、
「
「
「ウアゥ!」
「……失礼しました、プロフェソール。明朝、電話をいただけると思っていたので、少し驚いたのです」
それだけでそんなに驚くことはないと思うけど、まあいいや。
「依頼を遂行してもらった礼を言おうと思って。ありがとう、大変参考になる」
「
「確認だが、彼女は月曜日の10時に市立劇場へ入って、その後が全く判らない?」
「劇場から出てきていません。しかし、入った人数と出た人数は合っているのです。つまり彼女は中で変装し、誰か別の人物のふりをして出て行ったということになります」
そこまで判るのか。
「出て行ったけれども、入っていない人物というのは追えるかい」
「私もそう思って、調べました。出入りの帳合いをチェックすることができるのです。しかし結果として、同じ人物が二度出て行ったことが判りました。つまり、どちらかが彼女の変装です」
もちろん、マルーシャがそういうことができるというのは理解する。そして変装した相手は、きっと彼女の仲間だろう。そうでなければ、身体の動きを真似られない。顔だけ真似ても、追跡システムを騙せない。
たとえ彼女が追跡システムの存在を知らなかったとしても、変装とは顔も動きも他人になりきることと彼女が理解しているから、できたわけだ。
「その二人の追跡は……」
「それが困ったことに、少しの時間差を置いて、同じところへ行きました。エスタヂオ・ド・マラカナンです」
「そこでその日何があった?」
「存じません。あなたから先方へ問い合わせ願います」
アイリスに調べてもらうか。彼女は秘書としての仕事をほとんどしていないから、これくらいはしてくれるだろう。
「そうしよう。マラカナンからその二人が出てきたのは確認できた?」
電話の向こうで
「追跡システムの弱点を白状しなければなりません。スタジアムのように、大勢の人が長時間にわたって列をなして出てくるようなところでは、追跡に失敗することがしばしばあるのです。駅くらいの規模であれば失敗はほとんどないのですが」
なるほど。数千人は大丈夫だが、数万人はさすがに難しいか。しかし、マルーシャはそれを知っていてマラカナンへ行ったのだろうか。まさかとは思うが、あるいは彼女のことだから……
「理解した。詳しい説明をありがとう」
「どういたしまして。ところで、お会いできる日時は……」
「申し訳ないが、まだ確定できていない。明日の夜に必ず連絡する」
「金曜日と土曜日になりそうですか?」
2回、ということを強調しているな。
「もちろん、そのつもりだ」
「ありがとうございます。連絡を待ちます」
「ところで、君には連邦大学に通っている妹がいるか」
答えるまでに少し間があった。
「ハファエラがあなたに会ったことは知っています。彼女から聞きました。あなたともっと話し合いたいと言っていました」
「君さえよければ、彼女も一緒に……」
「お断りします。私と彼女では、話したいことが全く違いますから」
それは確かにそうなんだが、君たち二人と会うだけで、ステージ最終2日間に8時間から9時間くらい取られるんだぜ。2時間でも3時間でも縮めたいのに。
「解った。君と二人で会うのを楽しみにしている」
「私も楽しみです」
電話を切って、ハファエラにも連絡が必要か考える。しかし、彼女は今日会ったばかりだから、明日でいいだろう。さて、そろそろビッティーとの通信に行こう。
屋上は今夜も雨だった。レストランからの帰りには降っていなかったのに。しかし温かい雨はとても気持ちいい。しばらく濡れた後で、ビッティーを呼び出す。暗闇が降りて、アヴァターが現れる。ダーク・ブルーのタイトなドレスだった。偶然だが、彼女もディナーに行っていたかのように思える。
久しぶりに、彼女とディナーへ行きたくなってきた。次のステージでは、同行してもらうことにしようか。それとも金曜日に呼ぶか……
「インカ帝国の歴史を教えてくれと言ったら、時間がかかるかい」
「規定の時間内に終わりそうにありません」
やはりそうだろう。それに、全てを知る必要もない。ゲームに必要なところだけだ。だいたい、仮想世界のことを訊かずに、ゲームのことばかり訊いても仕方ない。
「ペルーのオリャンタイタンボに何があるか教えてくれ」
「インカ帝国の砦の遺跡があります。巨大な岩を六つ並べた“壁”があり、その上に太陽神殿があったとされていますが、跡は残っていません」
そこにも太陽神殿が。一応、見に行った方がいいのかな。どれくらい時間が取れるか判らないが。
「地図を表示してくれ」
床が地図に変わる。大縮尺にして、クスコとマチュ・ピチュも表示してもらう。オリャンタイタンボは二つの中間にあり、ややマチュ・ピチュ寄り。
それから詳細表示にする。ウルバンバ川とパタカンチャ川が合流する場所に開けた、狭い町だ。駅は町の南の端、川沿いにあり、遺跡は北の山沿い。距離は半マイルほど。こんなところになぜ神殿を、と思うような鄙びた場所だが、マチュ・ピチュはもっと疑問の多い場所だし、理由は考えないことにする。
「ここからマチュ・ピチュへは、車だと……」
「車の通れる道路はありません。鉄道のみが唯一の交通手段です」
そんな場所だったのか。道路が通じているのは、オリャンタイタンボから8マイルほど西のチルカという村まで。そこから先は、ウルバンバ川の曲がりくねった峡谷に沿って線路が敷かれているのみ。
遺跡の最寄り駅はアグアス・カリエンテス駅。“熱い水”という意味。かつてはもっと近い
地図を立体的に表示してもらう。ハイラム・ビンガム道路は13段に及ぶ
ただ、その理由はもはや知りようがない。そしてビッティーに遺跡の解説をしてもらう時間もない。ゲームの中では、インカの本当の歴史とは違った解釈に基づいて、宝探しのシナリオが組み立てられているのは間違いない。
さて、ゲームのことばかり考えていられないので、明日の訪問先について訊く。
「リオ・デ・ジャネイロ州立大学は、1952年に連邦地区大学として設立。58年にリオ・デ・ジャネイロ大学に改称。61年にグアナバラ大学に改称。75年に現在の名称に改称。州内ではリオ・デ・ジャネイロ連邦大学と並ぶ規模の高等教育機関です。著名な卒業生は、政治家ルイス・ロベルト・バロソ、医師マルコリーノ・ゴメス・カンダウ、生物学者オズワルド・フロタ・ペソアなどです」
芸術関係が少なく、政治家が入っているということで、連邦大学よりも一段落ちるのでは、という気がする。もちろん、個人の感想に過ぎない。
「ブラジル科学アカデミーは、1916年、ブラジルの科学普及と生産を促進することを目的として、27人の科学者により設立された団体です。科学に関連する様々な団体の創設、科学書籍の出版、科学プログラムやイヴェントの開催、科学リソースの共有化などに関わっています。現在、10の専門分野で構成されています。数学、物理学、化学、地球科学、生物学、医学、保健学、農学、工学、社会科学です」
ここではとても難しい議論になりそうな気がする。前回も、ハンガリー科学アカデミーでは苦労した。ただ、キー・パーソンがいる可能性も高い。そして決定的なヒントが得られそうでもある。
しかも、レジーナがそれに関わっているのではないか。何とかして、彼女に会うことはできないか。会いにくい人物に会うのは、何かしら工夫を要する。ゲームの中がまさにそうではないか。ゲームと現実――正確には仮想世界――の共通点に、ヒントがあるのではないか?
ゲーム会社と科学アカデミー。享楽と研鑽。営利と奉仕。対比される二つに共通点を見出すのは、何かの意味があると思われるのだが、どうだろうか。
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