#16:第4日 (7) ISTの少女

「もう少し話をしてもいいかい」

 口で話さないジゥリオに話しかける。

『どうぞ。ラップトップの入力に少し時間がかかるのを待ってもらえるのなら』

「そんなことは何でもないさ。さて、頭の中で考えていることを全て言葉にするというのはSFやコミックでよくあるが、本当に全てが言葉になったら困るだろうな。雑念が回りにバレる」

『そのとおりです。だからこそ、ブローカ野の、発声しようとしている言葉のみを検出したいのです』

「唇や顎や舌を動かそうとしている意識を検出する?」

『それだけでは声になりません。息を吐くことも必要です。肺の動きです。息の吐き方も、発音に関わってきますから。しかし、本当に息を出すと、口から音が出てしまいます。そこをどうするかが難しいのです』

「脳科学の研究科とは連携してるのか」

『協力を得るのが難しいです。医学科の研究者には、遊びと思われているようなので。研究を続けるとしたら、僕が医学科に入り直すしかないかもしれません』

「ダメで元々と思うが、財団へ論文を送りつけてみるかい。俺は推薦する立場にないから無責任だが、運よく誰かの目に留まるかもしれない」

『やってみます』

「OK、ありがとう、大変有意義なプレゼンテイションだった。ジゥリオも他の3人も」

『ありがとうございます』

「ところで、准教授アソシアード以外の誰かに答えて欲しいんだが」

 言ってから、4人の学生の顔を見渡す。男二人は平然としているが、女二人は何を訊かれるのかと怯えているようだ。

「他の学科では、俺の論文を参考にシミュレイションをしたので、という理由で俺を招待してくれた。ところがここでは論文は参考になっていないようだ。そんなことは関係なく、非常に興味深いプレゼンテイションだったので文句はないんだが、誰が俺を招待しようと発案したのか。そしてその理由は」

 答えの声はなく、静かに手が挙がった。ジゥリオだった。話せよ、と手振りで促す。キーボードを叩く音がした後、答えが返ってきた。

『あなたの論文には多くのネットワークが出てきますが、脳神経のネットワークに適用するためのアイデアをお持ちか訊きたかったのです』

「頭の中の地図があればできるだろう」

『ないところから作ることはできますか?』

「例えば立方格子状のネットワークを作って、最初はそのほとんど全部が通行止めとする。脳の神経の働きを調べて、解ったルートを順次開通させていく。しかしこれは、手間がかかりすぎるね。本当に脳科学の分野だ。他の方法は、すぐには思い付かない」

『そうかもしれないと思っていました。残念ですが、自分で考えます』

 以上で全部の予定が終了。しかし、ヴァレンチナとジォヴァーナが言っていた“軽食”はほとんど出てこなかった。IST-Rioへ行くまでに、ファスト・フード店にでも寄った方がよさそうだ。

 大学を出る前に、研究室の電話を借りてアカデミーへ架ける。レジーナの声は、我が妻メグの声を聞くかの如く、ほっとする。

「文民警察の、サージャント・マシャドから返事をもらってるかい」

「はい、時間の許す限りお会いすると」

「場所の指定は」

「あなたからご指定いただければと」

「直接電話してくれって?」

「そのように伺っています」

「解った。架けてみよう」

「お願いします」

「ところで、明日アカデミーへ行ったら、君に会えるのかな。ぜひ顔を見たいんだが」

「残念ですが、明日は午後からお休みをいただく予定です」

 そんな、狙ったかのように休みを取らなくても。それとも、カーニヴァルが関係しているのか。初日の前日で、何か準備があるとか。

 それはともかく、巡査部長サージャントへ電話。「アーティー・ナイトだ」と名乗ると「お待ちしていました」と返事。

「会ってくれるそうだけど」

「今、連邦大学ですか?」

「そうだ」

「この後、ISTイーエステー-Rioへ行かれるそうですが」

「そうだ」

「場所をご存じですか。大学から西へ10キロメートルほどあるのです。方角が全然違うのですよ」

「じゃあ、途中でそちらの近くへ寄って会うのは難しいか」

「おそらく。夕方ではいけないのですか? 私は5時以降なら時間が取れます。ISTまで行っても構いませんが」

「いや、夕方までに調べて欲しいことがあるんだ」

「文民警察としてできるようなことでしょうか」

「昨日、見せてもらった追跡システムで、行方を追って欲しい人物がいる」

「いくらあなたからの依頼でも、それを簡単に請け合うことはできません」

 やっぱりそうか。

「それは残念だ」

「ただ、私からの依頼も一つ、聞いてもらえるのであれば……」

 どうして君まで交換条件を持ち出すんだよ。カリナだけにしてくれ。いや、カリナのだって、不当な条件と思ってるんだけど。

「それはどんな」

「些細なことです。金曜日にお会いいただけるとのことでしたが、土曜日にも会っていただきたいのです」

「それは議論のためで、やはり3時間ほどか」

はいスィン

「何とか時間を作ろう」

「ありがとうございます」

 でも、交換条件を出してくるくらいだから、きっとシステムを私的に流用しようとしてるんだろうな。口封じだ。もちろん、黙っておくけど。

「それで、探してもらいたい人物というのは、日曜日の午後に、俺と一緒にいた女性なんだ。登山電車に乗って、キリスト像を一緒に見に行った。たぶん、君も記憶にあるんじゃないかと」

「そういえば同伴の女性が一人おられたようです」

「敢えて名前は言わないが、その女性が月曜日から行方が解らなくなっている」

「それを捜せと?」

「君が言っていたとおり、追跡できなくなった最終地点が判れば十分なんだ」

「できる限りやってみましょう。その結果を、夕方にお知らせすれば?」

「ホテルへ電話してくれればいい。知りたいのは場所だけだから、そうだな、そこで会う約束があるという感じのメッセージとして伝えれば」

「時間も解る方がよろしいでしょう。明日のその時間に、ということにしておきます」

「助かる」

 さて、ISTへ移動。もちろん、ヴァレンチナとジォヴァーナに車で送ってもらうのだが――どちらか一人でいいのになぜ二人セットなのか――途中でファスト・フード店へ寄ってくれと頼む。

「ええっ、各研究室で軽食が出なかったんですか?」

「それなら電話の前に言って下されば、用意ができたのに」

 電話はすぐ終わると思ってたんだよ。二人が勧めるので、学内のレストランへ行って、テイク・アウトの食事を買う。なぜだかイタリアンだ。行儀が悪いことだが、それを車の中で食べながら、ISTへ向かう。

 市の外周道路の一つであるリーニャ・アマレラ高速道を通って、30分ほどで着いた。市街の西部にどっかりと鎮座するチジュカ山の麓にあり、合衆国の田舎の高校――俺の通っていたレイクフォレスト高校――のような校舎だった。あるいは、職業学校の一部なのかもしれない。

 送ってくれた二人に礼を言って車を降り、正門ゲートの前に立っていた、童顔で背の低い、高校生風の女に声をかける。ISTの建物はどこだ?

「あなたがドトール・アーティー・ナイトですか」

「そうだ」

 え、まさかこの女がISTの案内人? 「ISTのイザドーラ・パリスです」。やっぱりそうなのか。

「お待ちしていました。どうぞこちらへ」

 とにかくイザドーラに付いて行く。ISTは高等教育機関のはずで、高校を卒業してから通うところだ。だから彼女は大学生相当のはずだが、さっきの二人とは見かけがずいぶん異なる。それでいけないことはないけれども。

 正門ゲートを入ってから正面の建物へは行かず、左手に行って校舎を回り込み、陸上競技ができそうなグラウンドの横を延々と歩く。その間、イザドーラは一言も話しかけてこず。

 大学で見たような櫛形の建物へも入らず、その横の、2階建ての巨大な温室のようなところへ入った。しかし中はもちろん温室ではなく、校舎。2階の一室へ行くと、黒縁眼鏡に口髭、頬髭、顎鬚を生やした若い男がいた。30代かな。しかし彼が学長であると。

「ISTはFETERJ、州技術教育学部の一部門でして」

 ソファーに座って若い学長の話を聞く。要するに、コンピューター技術専門学校であるということで、ビッティーの説明と大差はなかった。

「あなたを招待することを提案したのはセニョリータ・パリスです。彼女は現在最も若い学生でして、昨年、16歳で特待生として入学しました」

 なるほど、見かけどおり若いわけだ。もしかして、ギフテッドって奴かね。マイアミ大にも何人かいたけど、俺が話しかけるとなぜか冷めた目で見られるんで、苦手だったんだよな。

「あなたの論文に対していくつか質問があるそうなので、彼女のための時間を別に取ってあります。しかし、まずは講演から」

 まさか1対1ワン・オン・ワンで質疑をするのか。やり込められるんじゃないかなあ。別に、俺の肩書きは架空のものだから気にしないんだけどさ。

 1階の広い部屋へ行く。100人ほど集まっているが、これがほぼ全員であるらしい。少数精鋭か。見渡すと笑顔が少なく、冷めた雰囲気。やりにくいので、“嘘”は交えずに講演をすることにした。

 話し終えて質問を受け付けると、たくさん手が挙がった。大学よりも食いつきがいい。しかし、プログラミング技法やシミュレイション環境の性能のことに関する質問が多い。思考や行動に関しては興味がないらしい。俺が、プログラミングの細かいことは判らないと言うと、不満そうな顔をしている。どうやら期待と違っていたようだ。

 イザドーラは後で自分専用の時間があるからか、おとなしくしている。表情が冷静すぎて怖いんだけど。

 終わりの時間が来ると、まだ質問がありそうだったのに、学生たちはさっさと部屋を出て行ってしまった。そういう点だけは連邦大学と同じ。しかしここでは、他人の話を聞くより自分のやりたいことがあるという感じだな。

「いかがでしたでしょうか」

 演壇の前にイザドーラが来て、まるで学長のように言う。それを訊きたいのはこっちなんだけどねえ。

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