#16:第4日 (3) 哲学的質問

 学生たちは狐につままれたようにビウィッチト・バイ・ア・フォックスぽかんとしている。

「遠慮せずに手を挙げてください。指摘が間違ってるかもしれないなんて、恥ずかしがることはない。むしろ、正しいのか間違ってるのかも解らなくて、こちらが戸惑うような意見を出してもらいたいと思ってるくらいですよ。さあさあさあカモン・カモン・カモン

 ようやくざわざわとしてきたが、誰も手を挙げない。もしかしたら、話を聞いてなかったのだろうか。

 彼らはもしかして、講演をただ聞いてありがたがるものだと思っているのだろうか。授業を聞いて板書をラップトップにメモすることに神経を砕いているのだろうか。

 100年ほど前、そうだったのは間違いない。今はもっと進んでいると信じている。しかしブラジル人は2045年の時点でノーベル賞を受賞していないし、フィールズ賞を受賞したのも2000年代になってからだ。これほど大学生がいて、研究者がたくさんいるのに、どういうことか。

 ようやく一つ手が挙がった。褐色の肌だが人種不詳の顔つきの男子学生だ。

「意見ではなくて質問かもしれませんが」

「何でもどうぞ」

「人間の思考を再現するには、現在のコンピューターの性能はまだまだ低いのではないでしょうか?」

「脳の細胞は2千億ハンドレッド・ビリオン個、シナプスは1千兆クァドリリオン個ほどだったと思う。君たちが使っているコンピューターの記憶容量はどれくらい? テラバイト? ペタバイト? テラは1トリリオン、ペタは1千兆クァドリリオンだね。シナプスを再現するには、確かに足りない。しかし、思考と記憶に神経細胞全てを使うわけではない。桁を四つか八つくらい落としても、部分的に再現できるんじゃないかね。そして計算能力は、脳よりもCPUの方が圧倒的に高速だ。今回の場合、計算機には、脳の機能を再現するのに十分なリソースが存在するものとして考えてもらいたい」

 さて、他には?と意見を促す。しかしざわつくだけで、やはり手は挙がらない。見渡すと、学生とは思えない高齢の聴衆もいる。先生方プロフェソーリスも何人か聞きに来たわけだ。

「大学院生でも、准教授アソシアードでも、教授カテドラチコでも結構ですよ。何かご意見は……」

 やはり反応なし。消極的なものだ。仕方ない、ベルトゥラニ准教授アソシアードに責任を取ってもらおう。指名すると、困ったという顔をして見せ、周りの雰囲気を伺っている。さすが日系人。

「他の学生の意見を待たなくてよいですか」

「皆さん遠慮深くて、このままだといくら時間があっても足りませんよ」

「では一つ意見を申しますが、作ったコンピューター・プログラムが“人間と同様の思考ができる”ことを、どうやって検証しましょうか。チューリング・テストは主に会話によってプログラムの知性を判断しますが、プロフェソールの例では行動で判断するわけです。どういったテストをすれば、人間らしい行動選択できているか、判断できるでしょうか。そのテストの構築について、意図的に説明を割愛されたのではないですか。あるいは、テストができると我々に思わせたことが、“嘘”ですか」

すばらしいパーフェクト! さすがに注意深く聞いてらっしゃいましたね。そのとおりです。そもそも演題は何であったか。『人間の精神活動のシミュレイション』。ここからして、詐術が始まっているのです。私の説明しようとしたシミュレイションは、集団行動でした。ミクロの行動を観察し、確率を計算し、それを集団化することにより、マクロの挙動を再現しようとしたわけです。

 その中では、個人の特異な行動は、埋没してしまいます。言い換えると、集団としての挙動が実際とよく一致していれば、個人の行動選択の正確性は保証できなくてもよいのです。それを、あたかも個人の行動選択までが人間と同様にできるかのように、途中で話をすり替えたのです。そして、先ほど意見を述べてくれた、君」

 名前を訊く。フェルナンド・グレイサー。

「セニョール・グレイサーの意見も、ある意味では正しかったのです。彼は、コンピューターが人間と同じ思考するには、莫大なリソースを食うのではないかと指摘してくれました。おそらく、現時点ではそのとおりでしょう。コンピューターの本体そのものを構築する価格と、プログラミングにかかる手数を省いたとしても、同じ思考をするために必要なエネルギー、即ち電気量はどの程度のものか?

 その答えを私は持っていませんが、少なくと私については、思考し、行動するために必要なエネルギーは微少なものです。今朝摂った、コーン・フレークとオレンジ・ジュースだけでこの講演をこなせるのです。のみならず、こうしてしゃべっている最中に、今日の昼食は何にしようかとか、我が妻マイ・ワイフは今頃家で何をしているだろうかとか、ブラジルの学生は男はみんなハンサムだし女は美人揃いだとか、余計なことまで考えられます」

 ここで控えめな笑いが起こってくれた。ジョークのつもりだったので、安心した。

「だからセニョール・グレイサーは、私が『十分なリソースが存在するものとして』と答えたときに、『本当にそれでいいのか?』と再質問すればよかった。そうすれば私は、『実は条件があるのだ』と白状せざるを得なかったのです。思考全部ではなく、行動選択だけだ。そして個人ではなく、集団としての確率だけだと」

 フェルナンドは解ったような解ってないような顔をしながら頷いた。また騙されているのではないか、と思っただろう。

「さて、雑念の話をしました。プログラムが、こういった雑念まで再現できれば、人間の思考を再現できたと言えるでしょう。しかし、プログラムが雑念を浮かべているなど、どうして観測できるでしょうか? それは人間も同じです。『今日一日、どんな雑念を思い浮かべていましたか』と質問されて、答えられる人がいるでしょうか。

 他人に言えないことだって考えているに違いありませんから、答えず、隠してしまうこともあるはずです。であれば、そもそも人間とプログラムの思考の違いすら比較できない。

 その点、私が扱うシミュレイションは、行動でした。行動は、思考の結果のうちの、明らかに目に見えるものです。何をどのように思考した結果、その行動を選択したのかが、はっきり解らなくてもよい。雑念が浮かんだかなんて、関係ない。確率的に、合っていればいいのです。

 これなら検証可能でしょう。思考を隠す人はいても、行動を隠す人は、その場にいるはずがないのですから。つまり、私の題目には本来、“集団”とか“行動”とかいう言葉が入っていなければならなかった。講演の中に嘘を混ぜるための、布石であったわけです。以上ですが、今の嘘について、何か質問は?」

 それも嘘なのか、と訊かれるのが一番面倒なのだが、親愛なるブラジルの学生たちはその質問もしなかった。しばらく待って、ようやく一つ手が挙がった。褐色の肌の、モデルと見紛うばかりのスレンダーな美人。長い黒髪を後ろでくくっていて、額から幾筋かの長い前髪が顔の両脇に垂れている。

「嘘のことではなく、リソースのお話について質問があるのですが」

「何でもどうぞ」

「人間の思考を再現するのに、それほど莫大なリソースが必要であるならば、いわゆる技術的特異点シングラリダーヂ・テクノロージカという事象が訪れるのは、もっと先ということになるのでしょうか」

いわゆるソー・コールド、と言いましたが、君、工学系や技術系ではないの?」

「私、哲学科です」

 俺もマイアミ大で哲学の講義に潜り込んだことがあるけど、君みたいな美人は一度も見たことがないよ。

「これは嬉しい! 哲学科の学生が聴きに来てくれるとは思っていませんでしたよ。哲学者にはよく言われるのです。『そのシミュレイションで人間の行動が解ったつもりか? そんなものは分析ではない。ただの確率分布に過ぎないのだ』と。それに対して私は『そのとおりです。こんなものはただの確率ですよ』と答えることにしているのですが、なぜか『やはり君は解っていない!』と怒られてばかりで」

 今度は少し大きめの笑い声が起きたが、質問してきた当の美女は全く笑っていない。それは困る。

「さて、技術的特異点テクノロジカル・シンギュラリティーですか。実は定義が非常に曖昧です。いろんな定義があります。ただ、ここでは人工知能、即ちコンピューター上の思考プログラムが、人間の知性を超えることを指すとしましょう。確か最初の頃は、2045年に到達するということになっていたと思います。今は何年になっているんでしたか、たぶん20年ほど先でしょう。ところで、人間の想像力が及ばない優秀な知性とは、どんなものだと思いますか?」

 美人が細い眉根を寄せる。そういう悩ましげな表情もまた美しいと思うが、単に睨まれただけかもしれない。

「想像力が及ばないのですから、想像できません」

「そのとおり。では、プログラムが人間を超えたということを、人間としてはどうやって検証しましょうか。先ほどの議論でもありましたが、人間にそのテストは作れないのでしたね。では、検証不能ということになる」

「検証できないと、超えたことにならないのですか?」

「科学的には、そうです。例えばあなたと誰かの頭のよさを比べるときは、どうしましょうか。考えつく限りの知能テストを受けて、多くのテストにおいて一方が上回っていれば、その人の方が頭がいい、ということになるはずですね。10のテストのうち、成績が7対3くらいだと。どちらがいいのか判らない、と言っていい。それぞれに得意不得意があるのだから、ということで。しかし9対1なら歴然と言っていいでしょう」

「そうかもしれません」

「とにかくテストあるのみです。しかし、人間が想像できないような知性があるかというと、私は疑わしいと思いますね。どんなに難解な理論でも、原理を説明してもらえば、人間の中で特に優秀な何人かは理解できるのではないですか」

「はあ」

 美人の答え方が曖昧になった。期待していた話と違ったろうか。哲学的ゾンビと行動学ゾンビの話でもすればよかったかな。

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