#16:第4日 (2) 偽りのある講演
車の中で、改めて自己紹介を受ける。どちらも白人系。濃いブルネットのロング・ヘアで鼻が高いのがヴァレンチナで、同じような色の髪をブロンドに染めて目が大きいのがジォヴァーナ。
どちらも美人で、どちらも明るい。「連邦大学にお知り合いはいますか?」「財団にブラジル出身の人はいますか?」などと気軽に訊いてくる。そしてどちらも胸と尻が大きい! ただ、目のやり場に困るほどではない。もっと大きいのを2例も見ている。
「ところで、ここへ来てから俺のことをみんながプロフェソールと呼ぶんだ。研究者のことをそう呼ぶようなんだが、大学の
「単にプロフェソールというと、英語の“
助手席のジォヴァーナが嬉しそうに教えてくれた。なるほど、道理でみんな気軽にプロフェソールと呼ぶわけだ。英語では“ティーチャー”を肩書きに使うことはないが、サーを軽い感じで使うのに似てるかな。
「そうすると、
「そうです。では、あなたのことはドトールと呼びましょうか?」
「肩書きを付けずにアーティーと呼んでくれ」
「セニョールも付けずに?」
ファースト・ネームにセニョールを付けるのかよ、ブラジルでは。
「付けずに」
「スィン・セニョール!」
それは「イエス・サー」と同じ意味だよな。そこは指摘しないでおくか。
「では、アーティー、今日の
「彼は応用数学科だっけ」
「はい、そうです。私たちも同じです」
山勘が当たってしまった。現実世界の俺が応用数学科だったから、世話役をするなら同じ学科だろう、と思っただけで。
「講演はカテドラチコやアソシアードも聞きに来るのか」
「参加希望人数を確認したのは学生だけで、
「話が学生向けだから、
「私たちはとても楽しみにしています!」
「俺だって君たちの研究発表が楽しみだよ。質問して答えられなかったら宿題にするからな」
「宿題ができたら、ホテルへ提出に行くんですか? 楽しそう!」
何が楽しそうなんだよ。君ら、学問を舐めてるな。もっとも、俺だって本物の研究者じゃないけどさ。
連邦大学は、市の中心街を越えたずっと北、グァナバーラ湾に浮かぶフンダン島にあった。連邦大学だけでなく他の大学や、企業の研究センターが集まっている島であるらしい。
リオにしてはやけに平らな島だと思ったら、いくつかの小さな島々の間を埋め立てて一つにした人工島だと。
緑あふれるキャンパスの一角に車を停めて、本館の学部長室へ。半白の髪に黒眼鏡、四角い顔の学部長が笑顔と握手で出迎えてくれた。女二人は「彼も遅れて来る」と言ってたが、ちゃんと時間どおりに待っていた。こっちも遅れなかったけど。
応接ソファーに座り、学部長に大学のあらましを聞く。歴史のことはさておき、とにかく広くて、大きくて、学科がたくさんあって、教師がたくさんいて、学生がたくさんいる、ということは解った。
学部生5万5000人、大学院生1万6000人。マイアミ大の4倍くらいの規模か。とはいえ、ニューヨーク州立大やカリフォルニア州立大は学生数40万人を超えていたし、ここだって学生数の世界百傑に入るかどうかというところだろう。多ければいいというものでもない。
俺の研究の話も少ししたが、10時20分には話を終えて
一緒に学部長も乗るが、もう一人、明らかに日系人と思われる若い男が来た。彼がベルトゥラニ
「招待に応じていただき光栄です。迎えに行く予定でしたが、家でちょっとしたトラブルが……」
「奥さんか子供に何か?」
「いえ、大したことじゃありません」
こうやって家庭の事情を中途半端に話すのも日系人。挨拶を済ませ、4人で車に乗って講堂へ。もうあと数分で始まるというのに、学生が続々と集まってきている。頭の5分くらい聞き逃してもいいと思っているらしい。もちろん、俺もそう大した話をするわけでもないから気にしない。
講演者用控え席へ案内しようとするジォヴァーナを制して、学生に交じりながら講堂の中へ。ガラス張りの円筒形の建物で、中にいくつか部屋があるが、1階の一番大きい、すり鉢状のホールだった。500席ほどあると思われるが、学生数7万超の大学としては小さい。希望者を募ったら数百人しかいなかったのかもな。実際、埋まっているのは半分ほどだ。
その中で、男の学生が数人座って雑談している横に座り、話しかける。
「
「A・ナイトだったかな」
色黒の、太っちょの男が答えた。
「どんな研究をしてる奴なんだ?」
「確か数理心理学って分野で、高性能計算機を使って交通流の大規模シミュレイションをしてるとか」
「論文を読んだ?」
「いいや、講演の案内に書かれた経歴だけだ」
「若いのか、年寄りなのか」
「若いようだ。ええと、30歳になってないな。へえ! それでドトールなのか」
案内を見ながら年齢の計算をしているが、今頃かよ。それほど関心がないということだな。そしてそこに載ってる顔写真の男を目の前にしていることにも気付いてないようだ。
俺がやっているいたずらに気付いて、ジォヴァーナがこっそりと「そろそろ時間ですが……」と言いに来た。解ったと言って立ち上がり、「じゃあ、ゆっくり講演を聞いてくれ」と学生たちに言って、演壇の方へ。学生たちがどんな顔で見送ったのかは、確かめなかった。
演壇に上がると、学生たちがざわつく。ずいぶん若いなと思ったのだろう。これは前回のハンガリーでもあった反応なので、気にしない。
ヴァレンチナの紹介を受けてから話し始める。さすがに講演は少し丁寧な言葉で。演題は『人間の精神活動のシミュレイション』で、前回と同じだ。ただし、ちょっとした趣向がある。
「講演の後で質問の時間を設けますが、ブラジルでは質問が少ないという話を聞いてきました。そこでぜひとも質問をしてもらうために、これから話すことの中に一つ、明らかな嘘を含めることにしました。話し終えた後、それを指摘してもらいたいと思っています」
それから話し始める。まず、何のためにシミュレイションをするのか。単純に言うと、心理学で示された人間の行動原理を確認するためである。決して、高性能な計算機を持て余しているからではない。
しかし心理学の理論を計算機で確認するには、計算式を作ることが必要だ。理論の中に計算式などあるだろうか? そこには割合が示されているだけだ。その割合どおりに人が動くよう、式を作ればいいのか。おかしい、それは本末転倒だ。理論に式を合わせただけだ。
では、やったことは何か。計算に従わせたのは、人間のミクロな行動だ。二つの道が示された場合、どういうときに左を選ぶか。前にいる人の行動を、どれだけ模倣しようとするか。もちろん他にもっと多数の行動がある。それはアンケートや、実際の行動様式を見れば解る。監視カメラの映像を通して、ミクロな行動選択を観察し、その割合を出せばいい。それが実は、式を作ることだ。
あとはシミュレイション時に多くの“人”を動かして、その割合に従ったランダムな行動を取らせるだけ。ミクロが集まってマクロになり、集団の行動が再現される。
ただし、条件の要素は実に多い。そして選択の条件は複合する。単一のシミュレイションでは、その複合は反映されない。前回の結果を使って条件の相関関係を補正することで、次回の結果が実際の行動に近付く。それを繰り返す。
補正するための式は、理論から作ることもあるし、計算機が自動で作ることもある。矛盾したらどうなるのか? それは実は、理論が間違っているということなのだ。理論は往々にして、思い込みから作られる。思い込みとは、実際の結果と違うことを、正しいと信じていることだ。そんな理論は補正されなければならない!
さてここで改めて、疑問を持ってみよう。人の行動は、本当に式で計算できるのか?
できる、と信じなければならない。なぜなら、人は化学物質だからである。人の思考とは何か。選択とは何か。それは脳内で化学反応が起こっているに過ぎない。電位差が生じて、神経という伝達経路を、電気信号が走っているだけだ。それが思考の本質だ。
その化学反応を、もっと単純な電気信号の伝達に変えればいいだけではないか。神経ネットワークを再現し、それぞれの
人それぞれの思考が違うのは、パラメーターにわずかな違いがあるからだ。それはある幅に収まるはずで、コンピューター毎に適当に値を散らせば、“個人”の思考が再現できるはず。つまり、式とパラメーターを解明すれば、人間と同様の思考ができるコンピューター――正確にはプログラム――を作ることができる!
「さて諸君、この考えは正しいと思いますか? 明らかな嘘があるはずなのです!」
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