#16:第4日 (4) 超未来都市計画

「あるいは、説明不能な物理現象があったとしましょうか。しかし人間は、原理は理解しなくても、それによって起こる現象を理解することはできます。例えば重力。なぜ重力が、というか万有引力が働くのかは、まだ解っていません。ですが、重力が起こす現象を観測することはできる。投げた物は地面に戻ってくるし、地球は太陽の周りを回っている。そしてちゃんと式で説明できて、今後の挙動が計算できるのです。優秀な知性が万有引力の原理を説明できたところでどうなるかというと、人間はちっとも動じない。『その原理を説明する事象を観測する方法を教えてくれ。そうすれば我々もそれを理解できるだろう』。これだけです」

「はあ」

「もう一点。コンピューター上のプログラムの知性は、どうやって自身のエネルギーを維持しましょうか。今のところ、人間が作った電気で動いているのですよね。コンピューターが自活しようと思ったら、自分で発電所から造らなければならない。人間が手伝わないとしたら、ロボットを造らないといけません。そのロボットを作る工場は? 造るための原料はどこから調達すれば? 自活できるようになるまで、あと何年かかることやら」

「はあ」

「あるいは、どうやってか解らないけれども空中から電力を取り出す方法を、その知性的プログラムが発見したとしましょうか。しかし、先ほどと同じ結果になる気がしますね。原理はあっても、装置を作らないと電力は取り出せない。知性的プログラムは、それを自身でどうやって作りましょうか」

「はあ」

「他にも例を出したいところですが、きりがないのでこのへんにしておいて、要するにコンピューター上の知性が人間を上回っても、現実が変わるにはそれなりの時間と資源リソースが必要になるということです。哲学的には無視したいところですが、実際問題として短時間で物事は動かない。セニョール・グレイサーが指摘してくれたとおり、リソースの問題はいかに優秀な知性でも、解決に時間がかかるのですよ。無限と思えるほど大量のエネルギーを空中から一瞬にして取り出せれば話は別ですが」

「はあ」

「とにかく、技術的特異点テクノロジカル・シンギュラリティーに到達したことを、人間は証明できないと思うので、コンピューター上の知性プログラムに証明してもらうのを待ちましょう。その上で『もはや人間など不要だ』と宣言してもらえばいいのではないですか。もっとも、人間を超えたのなら、人間を保護し、より優秀になるよう教育するという温情があってしかるべきだと思いますがね。さて、何か他に質問は」

「ありません。ありがとうございました」

 美女は礼を言ってくれたが、最後まで微笑んではくれなかった。ゲームの中のNPCよりも愛想が悪い。ただ、仮想世界の登場人物としては、あってもいいような気がする。

 それとも彼女は実は超精巧なアンドロイドなのかもしれない。俺がそれを見破れるか、試したのだろうか。

 他に質問は、と呼びかけてみたが、話がシミュレイションとずれてしまったせいか、誰も手を挙げようとしない。もう一度、ベルトゥラニ准教授アソシアードに責任を取ってもらうか、それともヴァレンチナとジォヴァーナに困ってもらうか。

 しかし、「それでは時間になりましたので……」とヴァレンチナが言って、講演を締めてしまった。学生が、我先にという感じで去っていく。前回のハンガリーでは、アカデミーでも大学でもたくさん質問が出たし、終わってからも質問しようと人が群がってきたんだがな。ここでは演壇の前に来たのは、ヴァレンチナ、ジォヴァーナ、学部長とベルトゥラニ准教授アソシアードだけだった。

准教授アソシアード、困らせて申し訳なかった」

「とんでもない。もしあと何分か誰も質問しなかったら、僕が手を挙げようと思ってましたから」

「ヴァレンチナ、ジォヴァーナ、君たちにも質問して欲しかったんだがな」

「お話が難しすぎて付いて行けませんでした」

「頭が真っ白ブランコになって、何も思い付かなかったです」

 確かに、早く終わって欲しそうな顔をしていたものな。

「ところで最後に質問をしてきた女子学生は」

「待ってください」

 ヴァレンチナがタブレットをフリックする。参加者の名簿を見ているのだろう。

「哲学科からは一人しか申し込んでいません。ハファエラ・マシャド。4年生クアトロ・アノ。21歳です」

 学年と年齢まで教えてくれなくてもいいんだけど、ファミリー・ネームがマシャドというのが気になる。まさか巡査部長サージャントの妹だろうか。褐色の肌で、美人であるという以外、似ている点はないように思うが。

「気になりますか?」

「哲学科は珍しいからね。もっと人間の尊厳に関わるような話を期待していたのかな」

「私は数式がもっとたくさん出てくるのかと思っていました」

「数式を出すとそれだけ聴き手が減るんだよ。ねえ、准教授アソシアード

はいスィンそのとおりですエザタメンチ

 准教授アソシアードはにこりともせず答えた。世の中、数式が嫌いな人が多いというのをちゃんと解ってくれている。

 それから工学系の建物へ移動。これがまた遠い。1マイルくらいある。島が広いせいだ。5人で車に乗り、途中、本館で学部長を降ろす。島の西側の、櫛の歯のように並んだ建物へ。そこに各工学科が入っていて、応用数学科他、数学系も同居しているそうだ。

 車を降り、ヴァレンチナとジォヴァーナに連れられて、環境工学科の研究室へ。若手の准教授アソシアードと学生数人が待っていた。「先ほどの講演は、学内ネットワークのストリーム中継で見ていました」と言う。そうやって聴けるので、講堂アウヂトリオの聴衆が少なかったわけだ。

「ただ、ストリームを見ている者には質問の権利がなくて。誰も質問しないので、電話をかけようかと思いましたよ」

 フレームレスの眼鏡をかけ、驚くほど身体が細い准教授アソシアードが笑いながら言った。

「ウェブ会議システムを使えばよかったと思うんだが、どうしてかな」

「そうすると質問が殺到するんですよ。しかも准教授アソシアードポスドクポズ・ドトラードから。だから参加を学生優先にしていて」

「しかし学生以外も何人か来ていたようなのに、質問がなかった」

「“嘘”の件で当てが外れたのかもしれませんな」

「普通に講演していれば質問がたくさん来たか。余計なことをした」

「どっちみち、学生が発言しなきゃ意味がない。さて、ここでの研究ですが」

 分野は都市環境工学。近代建築物による都市の構築が、環境に及ぼす影響を与える。ここでの環境とは、都市そのものの環境と、周辺の環境を含む。概論の説明から始まって、ここでの主たる研究テーマである、人の移動による環境への影響までを聞く。

 そして説明のメインは“都市内3次元移動シミュレイター”。この都市において人は地平を移動せず、基本的に建物間を結ぶ空中回廊、地下道、高架鉄道を利用するのみとする。地平はもちろん、車の移動に限定する。その車も、都市へ入る手段と出る手段にのみ。都市内を回る車はない。

「すると高架鉄道はバスのように密なネットワークを作ることになるな」

 質問したが、ここからは准教授アソシアードは黙り、学生が回答・説明する。男女2人ずつの計4人。人種構成は何が何だかよく解らない。さすがブラジル。誰が俺の質問に答えるのかと思うが、シミュレイターを構成したときに、その質問と関係がある部分の設計を担当した者、であるようだ。

「はい。ですので、多くは普通鉄道の規格ではなく、路面電車トラム規格としています。道路の上に高架線路を設置します。中心部では複線、周辺部では単線、末端部では地上に降りて道路上に軌道を敷く部分もあります」

 答えたのは黒縁眼鏡をかけた黒人の男子学生。少々太り気味。

「そもそも、都市のモデルは」

「もちろん、リオです」

「都市計画からやり直したわけか」

「そうです。古い住宅地が密集する辺りを再開発して、道路を広げたりして」

「空中回廊や地下道に、動く歩道を設置するという案は?」

「却下になりました。SF小説のようなものをご想像ですよね?」

 解答者が女に代わった。やはり黒人で、ストレート・ヘアを横分けにして額を出している。

「そう。高速道があって、乗り換えるとか」

「あれは電力効率が悪すぎます。乗り降りも危険ですし。それに、超長距離のベルト式なんて、保守ができませんよ」

「そのとおりだね」

「もちろん、部分的には採用します。でもそれは、鉄道駅周辺で大きな荷物を持っている人が多いところとか、限定的に」

「空港とか、今と同じ基準で」

「そうです」

「他に、3次元であることを特徴付けるようなものは?」

 待ってました、というしたり顔で、褐色の男が進み出てくる。ラテンとアフロが混じっているのは解る。

「建物内の人の動きもシミュレイトするのです。エレヴェイターとエスカレイターによる移動です。その上で、鉄道駅を何階の高さに設置すればより効率的かを検討できるのです」

「駅は2階や3階と決まっていない?」

「そうです! 4階や5階という設定もできるのです。もちろん、建設費も考慮しますよ。普通の高架ではなく、駅や線路を建物内に造ったり、建物間の架橋をアーチにしたりと、建設費がなるべく高さに依らないようにしているんです」

 高架橋脚の高さが、建設費にどれくらい効いてくるのかよく知らないが、そこは一応考えているということか。それから建物内の動きのシミュレイトについて嬉しそうに説明してくれた。

「俺も建物内の動きをシミュレイションに入れたいと思ってたんだが、一つ一つの建物のフロア構成を考えるのが面倒でね。時間帯毎の流入と流出のデータだけでいいやと考えてしまう」

「たぶんそういうことではないかと思って、我々がそこをやることにしたのですよ」

 都市計画学科なんだから、そこは考えて当然だろう。そして、あと一人の女子学生が何も説明していないが、彼女は?

「シミュレイションをお見せします」

 細身の眼鏡をかけた、知的でプリティーな感じの白人学生が、端末を操作して、大型ディスプレイでシミュレイションを見せてくれた。

「それぞれの建物の用途を適切に設定することで、都市計画の正しさや効率性を人の移動から評価することができ、また移動量から建造物の保守計画を立てるための参考に……」

 彼女が全体デザイナーというわけだった。この超未来都市計画が役立つときが来るかどうかは判らないが、それぞれが楽しそうに研究をしているのはいいことだと思う。

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