ステージ#16:仮想世界二重奏 (Aquarela do Brasil.)

#16:バックステージ(開始前)

 ゲートを通り抜けるとき、約束どおり、マルーシャと腕を組んだ。

 もちろん、“ドア”の幅は、二人並んで通り抜けられるほど、広くはなかった。女をエスコートする男の常として、ドアを押さえながら――もちろん初めから開いているのだが、引いて開けた形になっていたので――マルーシャを先に通した。手をつないだままで。

 直後に俺がドアをくぐったら、そこにアヴァターとなったマルーシャが立っていた。つまり、身体が半透明になり、少し光を放っているように見えた。まだバックステージではないのに!

 それから、マルーシャが“確保ボロデーニャ”を宣言した。夜空の星が消えて、黒幕が降りてきて、彼女の姿が頭から下へ透明度を増しながら、消えていった。

 7週間前、ベルギーで別の競争者――セシル・クローデル――の退出する姿を見たが、似ているものの、少し違っている気がした。あるいは、これもヴァージョン・アップがあったのかもしれない。


「ステージの結果について、クリエイターからのコメントをお伝えします」

 そして我が妻の姿が目の前に現れる。しかし表情と声はビッティーだ。毎日着替えてくれてありがとう。昨夜は会えなくて申し訳なかった。

「今回のステージでは絵画盗難イヴェントに注意と調査が集中したことにより、本来のターゲットの同定が遅れたが、最重要キー・パーソンからの情報により正しく推定できたことについては、一定の評価を与える。ヴァケイション中の競争者コンテスタントがターゲットの奪回を扶助しようとしたが、これは意図せぬ自発的な行動であり、評価には算定しない。また、同競争者コンテスタントが退出を阻止しようとしたが、これはあらかじめ想定すべき危険事象であった。同時に退出した競合競争者コンテスタントについても同様の事情を勘案すべきである。他の競争者コンテスタンツに過度の信頼を置くことなく、適切に対処することを推奨する。以上です」

 ジゼルに対して気を許しすぎたことに加えて、マルーシャと同時に退出したことも咎められたか。

 でも、マルーシャとは回を重ねることによる競争者コンテスタンツどうしの信頼関係の樹立、ってことで大目に見てもらえないものかな。何回同じステージになったことか。ジゼルのことは、まあ、多重人格者マルティプル・パーソナリティーの可能性について、今後は注意するよ。

 それにしても、マルーシャは最後、落ち着いてたね。空港からゲートの前に戻ってきたのが、時間切れの10秒前。もちろん俺は、ゲームで残り時間を考えながらプレイするのに慣れてるんで、車を降りてから3秒もあればゲートをくぐれる、って思ってたが、マルーシャはさらに上手だった。

 サイド・ブレーキを引いて、後ろのトランクを開けて、ターゲットである西風の神のレリーフを取り出して、ドアの前で身なりを整えてから、俺に目で合図して腕を組み、「ありがとう」って言う心の余裕を持ってたんだから。

 ゲートを通り抜けたのは、まさしく時間切れタイムアップの1秒前だったんじゃないかな。

「先ほどのステージに対する質問を受け付けます」

「ジゼルのことについてだが、いや、正確には彼女のせいで退出が遅れかけたことについてだが、以前、例外を聞いたことがあるよな」

 確か、他の競争者コンテスタントが俺を巻き込んで失格になろうとした場合は、酌量されるということだったはずだ。

「期限に遅れた場合でしょうか」

「それ。前例はないってことだったはずだけど、今回の場合は酌量されるだろうか?」

「審議中です。結論は出ていません」

 審議してるんだ。じゃあ、もし実際に発生していたら、審議が終わってから結果を聞かされることになったろうな。んん、でもその場合、どこで?

 俺は退出してないことになるんだが、それでもバックヤードに入って、気絶してたら起こされて、何が起こったか聞かされる、ってところか。

 でも、おそらく酌量されて、俺は復活、ジゼルは何らかのペナルティーを受ける――たぶんターゲットを一つ没収――ってことになるんじゃないだろうか。ジゼルの意図でしたんじゃなくて、第三の人格による不測の事態だったんだから。

「審議が終わったら、結果を聞かせてくれると嬉しい」

「保証はできません」

 優しくないね、ビッティー。それでもいいよ、君のせいじゃないからさ。

「他に質問していいか」

「どうぞ」

「今回の競争者コンテスタンツは、俺以外はプロのスパイばかりだったんじゃないかと思うが、そういうステージは当たらないようにできないか? あるいは、実力差があるときには、俺になにがしかのゲインをくれるとか」

 俺以外、全員変装ができるなんて、おかしすぎるだろ。もちろん、競争者コンテスタントはそれぞれ特技があって、俺よりも解錠が下手な奴だっているに違いないが、今回、解錠の機会なんて全くなかったじゃないか。そんなステージに俺を入れたら、何もできない素人と同じだ。情報収集力だって、差があるし。

「ステージの選択はほぼランダムですので、有利不利があるのは容認願います。また、前回のヴァケイションを除いて、その前3ステージでは勝者ウィナーとなっていますので、特技や職業によって優劣を論じるのは、あまり意味がありません」

 それを言われると反論は難しいな。確かに、ウクライナではプロのスパイだからって有利になるとは全く思えなかったからなあ。いろんな職業の女を口説きまくって、しかも情報を得るんじゃなしに、相手の考えをちょっと変えさせるだけって。

 あと、その前のイタリアはマルーシャと組んでたから勝てたんだし、さらに前のノルウェーは彼女に勝ちを譲られたんだよな。相手による運は確かに大きいよ。俺はどちらかというと運がいい方なのかも。

 おっと、ビッティーにうまく丸め込まれそうになったぞ。我が妻メグから優しく言われたわけでもないのに、どうして納得しようとしてるんだ。

「では、反論は次のステージが終わってからにしよう。次で、職業によって有利不利がないのがはっきりしたら、反論は取り下げるかもしれない」

「了解しました。他に質問はありますでしょうか」

「たくさんある。まず、ターゲットのレリーフを再現しようとしていた、アクインクム遺跡について。そこに本当に風の塔が建っていたという、研究結果があるのか?」

「ステージで発生するイヴェントは架空のものを含みますので、ご了承願います」

 つまり、そんな研究結果はないと。アクインクム遺跡自体は存在するんだろうが、塔があった跡が実在するかは定かじゃないな。現実世界であそこへ行ったことがあるなら、気付いたろう。マルーシャなら、知ってたんじゃないか。それにしても彼女は、世界中に行ったことがあるんだなあ。スパイというのも大変だ。

「ダリウス・コヴァルスキという画家は実在するのか」

「先ほど同じ答えとなります」

 やはり。

「俺が財団研究員の肩書きを選んだら、今後も交通関係や警察関係の“視察”に行くことになるのか」

「ステージの仕様に依存します」

「ダフネたち3人の泥棒は、“幻の彫刻”を見つけられるだろうか」

「お答えできません」

「ポーラは泥棒を取り逃がしたんでクビになるだろうか」

「お答えできません」

「それとも、『西風ゼピュロス』は盗まれてないことになってるのかな」

「お答えできません」

「あー、そうか、最後に警察が取り戻したんだ。天文台で」

「お答えできません」

「ユーノの初体験はいつになるだろうか」

「お答えできません」

「俺がもらっちゃうべきだったのかなあ。でもやっぱりそれは良くないよなあ」

「お答えできません」

「ヤンカが参考にした俺の論文の式って、本当に防犯システムに組み込まれてるのかな」

「お答えできません」

「ヨラーンの同僚の学生が作った泥棒ゲームって、シナリオ上、どういう意味があったんだ?」

「お答えできません」

「何とかっていう画家は大成するのか」

 印象薄すぎて、名前憶えてねえよ。マルーシャのキー・パーソンだし。

「お答えできません」

「アネータは君、じゃないや、メグと同じくらい優秀なコンシエルジュになれるだろうか」

「お答えできません」

 こんなところだろうか。今回はキー・パーソンズと思える人物がたくさん出て来たわりに、俺と深く関わったのは少ないな。他に名前を憶えてるのは、泥棒のディアナくらい? もう少し仲良くしておけば――例えば尾行されたときに声をかけるとか――違った展開になったかもな。


「よし、次に行こう」

「それでは、アーティー・ナイトは第16ステージに移ります。ターゲットは“イースター・エッグ”。競争者コンテスタントはあなたを含めて4名、制限時間は7日です。このステージでは、裁定者アービターとの通信が可能です。指定の時刻に、指定の場所において、腕時計に向かって呼びかけて下さい」

 毎晩、11時から1時の間、海が見える高いところで。前回あたりからこうして頭の中に、情報が入ってくるようになったが、それも仮想記憶が改善された影響か。

「ターゲットを獲得したら、腕時計にかざして下さい。真のターゲットであることが確認できた場合、ゲートの位置を案内します。指定された時間内に、ゲートを通ってステージを退出してください。退出の際、ターゲットを確保している場合は宣言してください。装備の変更は、金銭の補充以外、特にありません。前のステージであなたが入手した装備は継続して保持できます。次のステージでの、パートナーの使用について選択してください」

「ちょっと待て、ビッティー。前回もそうだったように思うんだが、どうして装備の変更について訊いてくれないんだ?」

 装備の変更がない、という説明の後は、「装備の変更を行いますか?」だったはずだ。

「装備の変更を行いますか?」

「そうじゃなくて、どうしてさっきそれを訊いてくれない?」

「パートナーの使用の選択の後で伺います」

「いや、前回はそれも訊かれなかった気がする。なぜだ」

「パートナーを使用することを選択したからです」

 メグに留守番してもらうことを選択したからか。んん? んんー? どういうことだ?

 …………

 ああー、解ったガレッ解ったガレッ解ったガレッ

 メグが適切に荷物を詰めてくれるんだ!

 そうか、そういうことだったのか。俺が出張で行くことになってるから。しかし、メグが一緒に行くことを選択しても、装備は適切になってるんだろう。メグが不在、を選択したら、あるいは自分で荷物を詰め直さないといけないかもしれない。

 解った。解ったが、一つ確認したいことがある。

「今回も同伴せず、在宅ということにする」

 前回思ったが、メグが同伴だと夜中に抜け出すとかがやりにくい。家におとなしくいて、モーニング・コールとスリーピング・コールで会話するくらいがちょうどいいだろう。同伴の機会は、いずれあるに違いない。

「了解しました」

「ただし、装備がどうなっているかを確認したい」

「表示します」

 暗闇の中に“アイコン”が、バッグ荷物ラゲッジに分かれて浮かび上がる。退出前に見たものと、少し変わっている気がする。長袖のシャツがほとんど入っていない。

「ビッティー、次はきっと暑いところなんだろうな」

「比較的暑いところです」

 やはり。しかし確かめたいのはそんなことじゃない

「ところで、俺が持ってないものをここに追加することはできるか」

「できるものとできないものがあります」

「メグの写真を追加することは?」

「ステージ内のどこかで写真を撮ったでしょうか?」

 まずいな、記憶にない。ニュー・カレドニアで撮らなかったのは間違いない。というか、カメラ付き携帯端末ガジェットを持ってないから。それに、フォトグラファーに嫌な思いをさせられたしなあ。

「では、諦めよう。ステージ内で、メグに電話して、写真を送ってもらうようにする」

「装備の変更を終わります」

 アイコンが消えて、また闇になった。

「ステージ開始のための全ての準備が整いました。次のステージに関する質問を受け付けます」

「ターゲットは“イースター・エッグ”と言ったな。それってコンピューターの用語で、アプリケイション内の隠し機能のことだろ。ステージ内におけるターゲットってのが、元々そういう位置付けじゃないのか」

「ターゲットを示す用語は規定されていますが、“イースター・エッグ”ではありません」

 そういう言い方をするってことは、その用語は教えてもらえないんだろうな。まあ、いいや。

「とにかく、“イースター・エッグ”はターゲットを暗示する言葉なんだ」

「はい、そのとおりです」

「よし、始めよう」

「それでは、心の準備ができましたら、お立ち下さい」

「いや、ちょっと待て。前回のハンガリー出張から、何週間後っていう設定なんだ?」

「日付については、ステージ内で確認願います」

 3ヶ月経ってたら、メグのお腹の中に俺の子供が、っていうことも考えられるんだがなあ。それは電話で確認するか。スポットライトの中、ゆっくりと立ち上がる。

「ステージを開始します。あなたの幸運をお祈りしますアイ・ウィッシュ・ユア・グッド・ラック

「ありがとう、愛してるよ、メグ。1週間経ったら戻ってくる」

 そういえば普通の電話じゃなくて、ヴィデオ・チャットでメグと会話できないものかね。ホテルならあるだろ。どうしてメグがそれを使おうとしないのか、で訊いてみよう。

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