ステージ#15:終了

#15:フィードバック

  財団にて-2XXX年Y月Z+7日(金)


 机の上の、パトリシアの携帯端末ガジェットが鳴った。同時にホログラム・ディスプレイにも表示が出る。"Incoming call from Eric Nathan."。

 そろそろ、連絡があると思っていた。彼の今の部署で“最後”となるはずのシミュレイションが終わって、2日も経ってからだが、昨日は休暇を取っていたらしい。その時には、誰がどんなことをしても捉まらないのだ。

 休暇が明け、定時の勤務が終了してからアクションを起こすだろう、というのがパトリシアの予想だった。彼の行動の優先度は、同僚からの依頼でも、上長の指令でも、同じなのだ。入ってきた順番に処理されるファースト・イン・ファースト・アウト

 パトリシアはヘッドセットのマイクに向かって話しかけた。

「ハロー、エリック、何の用ワッツ・アップ?」

「あれあれ、シミュレイションが完了したら連絡せよとメッセージを寄越したのはオニール博士ですのに、もう用はなくなったんですか?」

「どうしてシミュレイションが終わった日に連絡してこないの?」

「最終日の展開にショックを受けて、呆然としていたんですよ。その夜はどこを飲み歩いたかも憶えてないくらいで」

「ニコルの報告を読んだわ。抑制していたはずの潜在人格が問題を起こしたんですって? 原因が判明するまで、磁器人形ビスク・ドールは凍結すべしという進言が上がっていたけれど」

キングアーサーからのコメントは?」

「特に何も」

「そうですか。しかし、これくらいで磁器人形ビスク・ドールを凍結する必要はないんじゃないかというのが、僕の意見ですね。まあ、参考にしてもらわなくてもいいです。1日考えてようやく出した感想みたいなものですし」

「人格データ管理部門からも、同じ意見が出ているわ。殺人者キラーをシミュレイションに参加させることは最初からの予定で、そもそも競争者コンテスタントがステージ内で殺されても、それは本当の死を意味しないのだから、後で注意を与えるのみでいいと」

「そうでしょうね。参加してるのは元々死人ばかりで、しかも殺された者がほとんど。二度も殺されるなよ、注意しろよって言えば済むことでしょうし。磁器人形ビスク・ドールだって、初日からステージをぶち壊したんじゃない。特定の条件が重なったために、殺人者キラー人格が発現しただけでしょう。飛行機事故が起こるようなものですよ」

「あなたにしては穏当な意見という気がするわね」

「そうかもしれませんね。僕は最初の頃、お宝の奪い合いじゃなく、殺し合いでもいいんじゃないかという意見を出したこともありますし」

「それはそうと、人事異動に関する上申書を出したのはどういうわけかしら。それが訊きたかったことなんだけれど」

「あれ? なぜそれがオニール博士のもとへ行ってるんです?」

「私が裁可するわけじゃないわ。でも人事部門から意見を求められたら、考慮しないわけにはいかないでしょう」

「だって、オニール博士には関係ないことでしょう。僕があと4週間ほど、観察部門に残りたいなんていう希望は」

「4週間の理由は?」

「個人的な事情です。その間、異動に伴う雑事に巻き込まれたくないんですよ」

「今日発令されたって、最短は2週間後じゃないの」

 所内の異動は2週間前、転勤を伴う場合は4週間前というのが基本的なルールだ。それよりも短期の発令は、本人の強い希望によるもの以外なく、例外を通すには労働組合の承認を受ける必要がある。

「引き継ぎってのは心労が多いんですよ。オニール博士には無縁だからご存じないんでしょうけど」

「観察部門に引き継ぎ作業なんてあるのかしら。シミュレイションごとに全てのデータをまとめて終わりでしょう?」

「シミュレイターの使い方のレクチュアは意外に時間がかかるんですよ。みんな、まともにTIPSを残さないんだから」

「あなたが気付いたことを、チュートリアル・ウィキに書き込めばそれで済むことじゃないの」

「それに新しい部門のことを習うのも手間だし」

「それが実装部門でも?」

「僕はもう付いて行ってませんよ。先週言いませんでしたっけ?」

磁器人形ビスク・ドールに関わるアイデアがあるのよ。人格切り替えシステム」

「それ、僕が以前に提案して却下されたアイデアでは? スポット・システムのことですかね」

「ああ、そういえばあったかもしれないわね」

 解離性同一性障害を持つ人物への聞き取りに依れば、多数の人格がいる部屋の中で、スポット・ライトが当たる人格が表へ出るというものがある。エリックの提案を、パトリシアはおぼろげに思い出したが、バックステージの中で人格を切り替えられるようにし、その時に人格を示すアヴァターへスポット・ライトを当てる、というものではなかったか。

 初期のシステムでは、脳内への“仮想接続”が完全ではないため、全ての人格を適切に制御できない可能性の方が高いと判断され、その実装は見送られていた。しかし今なら可能だろう。脳内にあって、本人のみが持っているとされた、人格に対する仮想的な容姿“人格アヴァター”の取り出しもできることが解っている。

「そりゃ、今ならできるんでしょうけど、脳内のイメージを、スポット・システムで完全に再現できるか、不安に思うようになりましたよ。違和感を覚える人格が一つでもあったら、うまくいかないかもしれない。それに、ゲームを続けている間に人格が増える場合だってあり得るはずです。ステージごとに、リセットするわけにはいかない。記憶と関わってますから」

「あなたも慎重になったものね」

「いやはや、それも異動のおかげですよ。僕はそれをとてもいいことだと思ってるんです。ただ、それがために、もう少し今の部門に残りたいと志願しているだけです。何人かの被験者の、結果を見届けるためにね」

「本当に4週間でいいのかしら?」

「おや、それをオニール博士が判断されるんで?」

「言ったでしょう。人事部門から意見を求められたから、そのフィードバックが必要なだけよ」

「僕は人事に同じことを言ったんですがね。それをなぜ人事部長が考慮しないのか、不思議でなりませんよ」

「私情を聞いていたらきりがないからよ。だから、他の部門からの強い要望があるか、確認しているだけ。それで、本当に4週間でいいの?」

「それで片が付く、と今は信じていますので、結構ですよ」

「フィードバックしておくわ」

「理由もなしに?」

「あなたが言わないんじゃないの」

「実に寛大でいらっしゃる。オニール博士こそ、以前とは別人のようです。それもキングアーサーの思し召しでしょうかね」

「彼はこの件に関係ないわ」

 パトリシアは回線を切った。理由をエリックに訊いても、どうせ本当のことを言わないから、意味がないのだ。

 しかし、なぜ4週間なのか。「見届ける」と言っていたが、それはどの被験者のことか。ボナンザに、さほど興味はないと言っていた。では、駒鳥クック・ロビンか?

 確かに、彼女は興味深い被験者だ。しかし、今のところ、仮想世界を乱す兆候が見られる。被験者としての役割以外に、目的を持っていると思われるので。

 その処遇について、実装部門と人格データ管理部門で議論が続けられているが、まだあと1週間はかかるだろう。その間に、駒鳥クック・ロビンは次のステージへ進む。そこで何か決定的な“ミス”を冒す可能性もある。そうなれば、仮想世界から排除されるに違いない。

 エリックは、それを見届けようというのか? あるいは、観察者としての役割以外のことをしようとしていないか?

 彼の技量を持ってすれば、人格データベースに侵入し、パラメーターの調整を行うことだってできる。もちろん、それは膨大かつ繊細で、ほんの僅か値を動かしただけでも、人格が“破綻する”可能性すらある。だが彼の性格を考えれば、やりかねない。

 あるいは駒鳥クック・ロビンの深層記憶データを探って、仮想世界における彼女の“目的”を推察しようとしているのではないか。それには、4週間という期間は適切だろう。その間、彼女が排除されないよう、守る必要もある。勝ちすぎて仮想世界を退出しないよう、あるいは負けすぎて排除されないよう。

 現にエリックは、彼女とボナンザの密会を阻止しようとした。シミュレイションに介入しているのだ。許される範囲とはいえ、彼からその提案が出たのは、パトリシアも意外に感じたものだ。

 仮想世界の中を乱されるのは困るが、シミュレイションを操作されるのも困る。彼の真意を知る必要がある。だがパトリシアは、1週間だけ様子を見ることにした。

 次のシミュレイションの間、エリックを泳がせる。もちろん、彼が“偶然”駒鳥クック・ロビンのシミュレイションに当たることはないだろう。だが合間にデータを覗こうとするかもしれない。アクセス者を秘匿して、データベースに侵入して。

 あるいは、これも人格シミュレイションの一つではないだろうか? エリック・ネイサンという、現実世界の人物の。確かに彼は被験者として興味深い。しかしパトリシア自身が、それを観察している時間はない。代理者として、誰が適任か。

 それはもちろん、アビー・マイルズだろう。彼女は、そのためにいるのだから。

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