#15:第6日 (4) 例えばの話

【By 刑事(女)】

 電話が鳴っている。ポーラは目を覚ました。8時だが、まだベッドの中だ。夜中の呼び出しから帰ってきて、もう一度寝たのだった。今日の出勤は、昼からということになっている。そして夜中まで、いや恐らく明け方まで続くのだ。

 架けてきたのは、主任捜査官でも美術館館長でもなかった。番号を見て、ポーラの頭の中は一気にクリアになった。

「ハロー、クリストフ?」

「ハロー、ポーラ。もしかして寝ていたのかい?」

「ええ、そう……実は……」

「もしかして、昨夜は夜中まで、いや、明け方まで起きていた?」

「夜中までよ。帰ってきたのは2時過ぎだったわ」

 もちろん、泥棒対策の打ち合わせのため。しかし、何をするかを相談したというより、パタキ主任とティサ館長の意地の張り合いのようなものだった。パタキ主任は本物がどれかを教えろと食い下がり、館長は全てを守ればいいと主張し……

「もちろん、泥棒の犯行予告のことだろうね」

「ええ、あなたも知ってたのね」

「TV局や通信社にも届いたらしい。ニュースは未明からそれ一色だ」

「そうだったの……」

 予想どおりではあるが、寝ていたため知らないのだ。9時頃に起きて、TVやネットのニュースを見ればいいと思っていた。警察署には問い合わせが殺到しているだろう。ただ、それを捌くのはポーラたち特務捜査官の仕事ではない。

 もちろん、午後にはプレス向けの会見が開かれて、パタキ主任がそれに答えるのだろうけれど。

「起こして申し訳なかったね。もう少し寝ていたいかな」

「いいえ、もう起きなければいけないと思っていたの。それに、今日は夕方にも仮眠を取る予定だから」

 本当はもう1時間くらい寝ていたかった。だが、後で仮眠を取るのは本当だ。今夜は恐らく徹夜になるはずだから。

「今日は、いや明日まで、泥棒対策で大変なんだろうね」

「ええ、そうなるわ」

「本当は今夜、君を夕食に誘おうと思っていたんだ」

「ありがとう。今夜はきっと無理だけど、明日の夜なら……」

「明日の夜には、ドイツへ帰る予定なんだ。しかし、何とか時間を作ってみよう。ただ、今日のうちにもう一度会っておきたいな。出勤はいつ? 今からそれまでに、会う時間はあるだろうか」

「署へは午後になって行けばいいから、十分時間があるわよ。ああ、そうだわ、私もあなたに相談したかったことがあるの」

「電話で言えそうなことなら、今聞くよ。それとも会ってからにするかい」

「今聞いて欲しいわ……昨日、展示室に飾ってあった『西風ゼピュロス』を見たでしょう?」

「もちろん」

「賊に狙われているから、展示室のものを模写と取り替えて、本物は館長室か保管庫に入れるかもしれないの。もちろん、必ずそうすると決まったわけじゃないわ。でもあなたら、どこに置いておくのが一番安全だと思う?」

「それはもちろん展示室だね。それが最も盗みにくい。カメラの動体検知はともかく、盗むのにガラスをどける必要があるのは、時間がかかるということだ。誰にも気付かれずにそれをすることは至難の業だと思うね」

「やっぱりそうかしら」

 もちろん、昨夜の打ち合わせでもその意見はあった。しかし、捕まりそうになった賊が自棄になって絵を傷付ける、ということも考えられないか。だったらやはり展示室は囮として模写にしておくべきだ、という案には首肯できる。

「それ以外の対策も考えたんだね?」

「ええ。じゃあ、例えば……例えばの話よ。本物を展示室に置かない場合、館長室と保管庫の、どちらの方が安全だと思う?」

「どちらでも同じだよ。見張る人数によるね。ただし、盗んだ後で逃げやすいのは館長室だろう。窓から屋上に出られるからね」

「あっ……確かにそうだわ」

 夜中のことだったので、眠さで皆、頭が鈍っていたのか、その意見は出なかった。しかし逆に言えば、窓から入ってくることも考えられそうだ。保管室には窓がなく、出入口が一ヶ所しかない。

 もちろん、館長室でも保管庫でも、中に人を置いて警備するはずなので、入口と出口の多さ、イコール盗みやすさ、ということにはならないだろうけれど。

「僕の意見が欲しい? もう少し時間をくれれば、考えられると思うよ」

「お願いしたいわ。じゃあ、11時にどこかで待ち合わせを……」

「君の部屋に行ってはいけないかな?」

「それは……構わないけれど……」

 人に見られさえしなければ、構わない。同僚以外を部屋に入れることはめったにないが、クリストフは既に入れたこともあるし……

「では、今から行くよ」

「今から? 11時でも構わないわ」

「一緒に考えれば、もっといいアイデアが湧くかもしれないだろう?」

「あっ……そうね」

 しかしクリストフが来た場合、落ち着いて考えることができるだろうか。ポーラは自信がなかった。会っていたら、彼のことだけを考えてしまいそうだから……

 電話を切ってから、ポーラは一つ言い忘れたことに気付いた。アカデミーのドクトル・ネーメトが、財団のドクトル・ナイトを招聘することを提案してきたのだった。アカデミーが開発した警備システムは、彼が書いた論文を参考にしたのだそうだ。だから彼からも何か意見がもらえるだろうということで。

 しかしポーラは、ドクトル・ナイトよりもクリストフの方が、ずっと役に立ってくれそうな気がするのだった。



【By 刑事(男)】

 8時になってから、ピスティは電話を架けた。ホテルの番号で、フロント係デスク・クラークがすぐに出た。自分の名前と、相手の名前を言ったが、刑事であることは言わなかった。相手はすぐに出た。何度聞いてもいい声だと思う。

「ハロー、ジガさんウールなの?」

「おはようございます、シニョリーナ・ミノーラ。まだお休みでしたか?」

 パタキ主任を真似て、ビアンカのことを“シニョリーナ”と呼んでみた。彼女にはやはりその敬称の方が合う気がしたから。

「いいえ、もう起きていました。それどころか、ニュースを見て、大変なことになったと驚いているんです!」

「もちろん、解っています。美術館への予告状のことですね? もしかしてご心配ではないかと思って、お知らせのために電話したのです」

「まあ! ではもう、泥棒を捕まえるための対策が整ったのでしょうか?」

 ビアンカがそういう質問をしてきたということは、パタキ主任からは彼女に何も言っていないということだ。彼は朝7時から署長に呼ばれて出勤しているはず。睡眠時間が短くて大変だったろう。そしていくら何でも7時台にはビアンカへ電話すまいと思ったので、ピスティは8時に架けたのだった。

「残念ながら、まだそこまでは手筈が整っていません。しかし、今日の午後には対策ができるでしょう。それに我々には、いや美術館には、例の警備システムがあります。もちろん憶えておいででしょう?」

「ええ、あれさえあれば、泥棒は絵に近付くこともできないのですね?」

「そういうことです。それに、これは秘密事項なのですが、絵を他の場所へ移したかも知れない、という情報を密かに流そうとしているのですよ」

 秘密事項でも、ビアンカに言うことは全く問題ないとピスティは思っていた。それどころか、彼女に教えることを、得意にすら感じる。

「他の場所へ? 密かに? どういうことでしょう?」

「つまりですね、例えばです、例えばの話。模写があるのを憶えておいでですね?」

「ええ、ラカトシュ・フュレプさんウールがお描きになったものですね」

「そうです。そして、展示室のものを、模写と替えてしまうかもしれない、という話をしましたね?」

 本当は、取り替えてしまうと言い切ったはずだが、ビアンカがそれを思い出さないことを、ピスティは期待した。

「ええ、そういうお話でした」

「実際は、そうしたのかどうか、それはあなたにも言えません。しかし、それを実行した、という噂を、意図的に流すのです。そして、本物は館長室にあるとか、あるいは保管庫にあるとか、はたまた別の場所に移してしまったとか、そういうバラバラな噂も流すのです。美術館の学芸員キュレーターや、他の職員によって。賊は彼らから情報を仕入れようとしているに違いありませんから、いろんな噂のために、混乱することでしょう。しかし、いずれにしろ、展示室の絵を確認しようとするでしょう。それが本物か模写かを。そこを捕まえてしまえばいいのですよ」

「あら、私には複雑すぎて、どういうことか解りませんでしたわ。結局、展示室に賊が侵入するのなら、そこにあるのが本物のままでも構わないのではありませんか? 噂を流す必要があるのでしょうか」

 痛いところを突かれたと感じて、ピスティは動揺した。本当はさっき言ったことは、ピスティの頭の中のものだったのだ。いいアイデアだとビアンカが言ってくれれば、パタキ主任や館長に進言するつもりだったのに。

「ええ、ですから、例えばの話ですよ。そういった、色々な対策をこれから講じるということです」

「そうですか。失礼しました。警備のことは難しすぎて、私には理解が及ばないのでしょうね」

「ああ、いいえ、そういうことではありません。しかし何ぶん、対策の詳細は秘密事項で、あなたにも言えないことでありますから」

「もちろん、それも理解しておりますわ。ところで、アカデミーにもご相談なさるのかしら」

「警備システムのことでですね。ええ、もちろんそれも検討のうちです」

「そうすると昨日の内覧に出席されていた、財団の……ドクトル・ナイトにもご相談なさるのかしら」

「ああ、ええと……そうなのですが、どうしてご存じなのです?」

「それは、ドクトル・ネーメトから伺ったからですわ。昼食の後、タクシーで美術館へ戻るときです。内覧でシステムを説明したときに、そのことを言うつもりで、すっかり忘れていたと」

 忘れていた、というのは知らなかったが、ピスティがドクトル・ナイトの論文が関係していると知ったのは、夜中の打ち合わせのときだった。しかし、それはドクトル・ネーメトが個人的に相談すればよいだけで、警察や美術館から彼に協力を要請することはない、ということになったはずだった。

「シニョリーナ・ミノーラは彼のことをよくご存じなのですか?」

「いいえ、昨日の内覧で、ご挨拶しただけですわ」

「あなたのご推薦であれば積極的に検討するかもしれませんが、今のところ彼に頼ることはないだろうと、警察では考えているのですよ。美術館の考えも同じです」

「まあ、そうでしたか」

「とにかく、今日は午後から大勢の観覧客が押しかけるだろうと考えています。入場制限をするかもしれません。あなたがもう一度絵をご覧になりたいのなら、特別に計らおうと思って連絡させていただいたのですよ」

「それはご親切にありがとうございます。少し考えさせてくださいますか」

「もちろんですとも。後で電話をいただければ」

 パタキ主任が同じような話を彼女にしなければいいな、と思いながら、ピスティは電話を切った。

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