#15:第5日 (8) 図書館・博物館ツアー

 美術館の応接室で待っていたら、やって来たのは眼鏡に顎鬚を生やした男の図書館司書ライブラリアンだった。40代くらいか。別に、女であることは期待してなかったが、さすがにこんな年配とはね。話しにくい。いや、俺以外の3人はきっと気さくにコミュニケイションするだろうな。

 司書ライブラリアンは恭しく歓迎の口上を述べると、さっそく案内しましょう、と言って先に立って歩き始めた。横に学芸員キュレーターが付いているが、これはバックヤードを通り抜けるための案内役だろう。思ったとおり、エントランスを出たところで――建物がつながってるのに、中を通っていかないのかよ――学芸員キュレーターは引き返していった。

 C翼の前を横切り、その南端と図書館をつなぐ回廊について案内を始める。これ、図書館の一部なのか。まあ、どうでもいいや。

 下に回廊をくぐり抜ける門が作られていて、両脇にライオンの像、上に天使の像が掲げられている。そしてそれをくぐり抜けて振り返ると? さっきと全く同じ意匠じゃないか。ちょっとくらい変えろよ。いつの時代の奴に文句を言えばいいのか判らないけどさ。

 四角くなった中庭の真ん中へ行き、図書館の建物全景を眺める。5階建てで、ファサードは三つ構えのアーチ状。

 で、ここを入ったところが5階? 崖っぷちに立ってるから、まだ下の階があるってことか。それは地上階から数えてなのか、1階から数えてなのか。どっちでもいいか。5階にはチケット売り場とゲート・マシーンがある。有料なのだが、もちろん俺たちは無料。

 入ると、図書館の歴史展示スペース。6階と7階が蔵書室と閲覧室。ちょっと待て。外からは5階建てに見えるんだから、入ったところが5階なら、8階と9階もあるはずだろう。そこは図書館と関係ない? 1階から4階には行ける? 説明なしかよ。

国立セーチェーニ図書館オルサゴシュ・セーチェーニ・ケニフタールは1802年にセーチェーニ・フェレンツ伯爵が国家へ寄贈した文献を基に設立されました……」

 ビッティーに聞いたとおりのことを司書ライブラリアンが話してくれる。歴史の講義はわざわざ展示スペースに行った。長い。「ハンガリーで出版された全ての文献、外国において出版されたハンガリー語またはハンガリー人の著作物を所蔵し……」。それもビッティーから聞いた。

 俺だけがぼーっと聞いているが、他の3人が適切に相槌を打ったり感嘆の声を上げたりしてくれるから楽でいい。6階には19世紀以前の書籍、7階には20世紀以後の書籍を置いているそうだ。7階のは今後どんどん増えていくな。

 ちなみに4階以下は書庫。どうせならそこも見せてくれれば。マルーシャがそれを訊いた。さすが。今日の観覧コースにないって? 君の色仕掛けで何とかならんか。しないのか。そうか。

 これだけの前置きを経てから、ようやく6階へ行く。エレヴェイターで上がると――たかが1フロアくらい、煩わしいから階段で上がって欲しいのだが――別の司書ライブラリアンが待ち受けていた。鬚のない、ちょっと若い、でも30代後半の男。しかし、その男に交替するわけでもなく、顎鬚の司書ライブラリアンの案内で廊下を進む。

 まず古地図の展示コーナー。ちょっと興味をそそられる。これを持って町に出られるとかなら嬉しいが、そんなことはさすがにない。19世紀のヨーロッパの地図を見て、ヨーロッパの3人がオーとかヤーとか声を出す。みんな自分の国が近いからな。当然ながら、新大陸の地図はない。一人疎外感を味わう。それは最初からか。

 それから、蔵書室へ。扉を開けて入る。古書の匂いがする。この辺が何世紀の書籍で、などと司書が言う。さっき通り抜けてきた門の上の辺りまで、蔵書室が続いている。

 一回りして元のエレヴェイター前に戻ると、鬚なしの司書がホールへどうぞと言う。そのために待ってたのか。ホールには古い蔵書が何点か置いてあった。見せてくれるために、わざわざ書庫から出してきてくれたらしい。

「こちらがハンガリー語として最も古い12世紀の文献『葬送の説教と祈りハロッティ・ベセード・エス・ケニェルゲシュ』でして……」

 それ、やっぱり出てきたか。3人が感嘆の声を上げる。次はきっと、ハンガリーで最初に印刷・出版された、何とかいう本が出てくるんだろ。ほら出た。15世紀末だっけ? 北アメリカ大陸最古の文献でも、それよりは新しいからな。別に、そんなことを比較しても意味はないとは思うが。

 それから一番古い新聞とか、雑誌とか、絵画とか版画とか、揺籃期印刷本インキュナブラとかを見る。3人で仲良く語り合ってる。互いに敵なのにねえ。

「素晴らしいコレクションですね。ドクター・ナイトもそう思われるでしょう?」

 マルーシャが、普段絶対見せないような明るい表情で話しかけてくる。調子が狂う。

「新大陸は歴史が浅いんで、18世紀以前の物を見ると、頭が勝手に思考を停止して、声が出なくなるんだ」

「あら、お国の歴史の長さの比較ではありませんわ」

「もちろん解ってるけど、条件反射で、仕方ないんだ。素晴らしいと思ってるし、感心もしてるよ。顔や態度に出ないだけだから、気にしないでくれ」

「そうでしたか。顔や態度にすぐ出てしまう私の方が、はしゃぎすぎなのかもしれませんわね」

 マルーシャが優しげに微笑む。でもそれ、演技なんだろ。はしゃぐのも含めて。しかも解り合っててやってるよな、君ら。大したものだと、そっちの方に感心するよ。


 7階へ上がる。蔵書は少なめで、読むためのスペースが多い。現代の本もたくさん置いているから、普通の図書館の雰囲気に近い。その分、俺たちに見せるべきものはほとんどないようだ。月刊誌、週刊誌の棚もあるが、直近のもの数冊を残して、早めに書庫送りにしてしまうらしい。

「あと何年くらいで、書庫がいっぱいになってしまう見積もり?」

 ラインハルト氏が面白いことを尋ねる。俺は容積よりも重さの方が気になる。本というのはかなりの重量物だからな。本棚自体の重さというのもあるし。

「1世紀以上は余裕がありますが、雑誌や新聞は特別なものを除いて順次電子化を進めています。年数を経たものを廃却していけば、一時的に余裕が増えていくかもしれませんね」

「それなら書庫新造計画は、もう1世紀くらい先延ばしにしてもよさそうだな」

 ラインハルト氏が軽く笑う。他の二人も微笑む。問題を先送りにするのは世の常だ、しかたない。

 これで図書館観覧は終了。次は歴史博物館へ。

 中庭に出ると、真ん中辺りで、背が高くて額が広く眼鏡をかけた中年男が待機していた。もちろん、博物館の学芸員キュレーター。また男の案内か。

 それはさておき、博物館の建物全景を眺める。が、ファサードと言えるほどのものもなく、回廊の一部にしか見えない。E翼の本体は、反対側に張り出しているからだな。博物館の入口は、最初にくぐってきた門のちょうど向かい辺り。門よりもずっと小さいアーチ型のドアがあるだけだった。

 ともあれ、中へ。いきなり階段を下へ降りる。と、建物の内壁がむき出しになっている。古い時代の城の構造物をそのままにしてあったり、修復中だったりするものが見られるのだ。ビッティーが言っていた「建物そのものの歴史展示」だが、遺跡の中と言うよりは、進行中の建築現場のようで、男の職場に来たという気がする。

 俺は急に楽しくなったのだが、ラインハルト氏は冷静だ。映画の撮影現場で見飽きているのかもしれない。

 そこを通り抜けて、普通の展示室へ。壁石に彫られていたレリーフの復元や、壁から剥ぎ取ってきた数々の紋章、バルコニーの手すりと思われる列柱の一部などが並んでいる。

 壁に開けられたアーチ状の戸口は、過去の様式で復元したもので、それをくぐり抜けると礼拝堂。崩れかけた部分を修復してあるが、石積みの一部は過去の時代のままだ。俺だけがはしゃいでいて、他の3人はおとなしい。興味の対象の違いか。

 名残惜しくも上のフロアに戻り、過去の発掘品を見る。城が戦争などで壊されたときに埋まった品々を掘り出してきて、復元したものだそうだ。

 土色に染まりながら僅かに当時の色味を残したカーペットやタペストリーが展示されている。もちろん、繊維の一部はボロボロになっているが、不思議なことに、染めた部分だけがなくなっていたりする。染めたことで、繊維の強度が変わったか、腐食しやすくなったのだろう。

 それから、過去の服飾品。なぜか靴がやたらと多い。革製だから、布より強くて残りやすかったのだろう。残念ながら色味はほとんどない。

 隣の展示室は、「光と影」と題した国の歴史展示。1000年以上の歴史を持つから、展示品も多いはずで、ここと国立博物館とで分担しているらしい。ビッティーに教えてもらったように、特にブダペストに絡むものが多い。

 ローマ時代、というのはアクインクムのことを指しているらしく、アクインクム遺跡の出土品を展示していた。アクインクムには専用の博物館があったで、こちらはおそらく概要紹介くらいにしてあるのだろう。向こうへ行く時間がない人はここでどうぞ、というわけだ。向こうにあった、蒸気風呂スダトリウムの遺物の一部も展示されていた。

 その時代以降の、ブダペスト周辺の都市変遷が年代を追って紹介され、建国以降には戦争史も含まれていた。この辺りは国境が何度も変わってるからだろう。歴史が長い国は、領土の変遷を憶えるだけでも大変だ。

 で、建国の歴史となると欠かせないのがイシュトヴァーン1世関連。その時代にもちろんブダ城は存在しないが、パネル展示で紹介している。戴冠式で使用された王冠、笏、宝珠、剣、そして外套マントルの写真。これらは現存しているらしいが、ここにはない。

外套マントルのみ国立博物館にあります。その他は国会議事堂で展示しています。」

 どうしてそんなバラバラに保管を。元々は全部国立博物館にあったが、外套マントルは破損の可能性があって動かせなかった? なるほど。王冠や剣は堅いもんな。

 その王冠は世界で唯一現存する“聖なる象徴”として知られるそうだ。とんでもなく価値がありそう。それをこのステージのターゲットにしたらよかったのでは? いや、盗んでもいい理由がないか。

 そういえば、明日は国会議事堂にも行けるんじゃなかったか。一応見に行くか。国立博物館にも行きたいが、それも明日にするときっと時間が足りない。今日、この後はどうか。6時閉館だっけ。ここの見学は5時に終わるだろうから、滑り込んで30分だけでも見るか。全部は見きれないと思うけど。

 特別展示エリアへ。6色に塗られた立方体が出てきた。立体パズルか。ルービックス・キューブ? 建築学者ルビク・エルネーが1974年に考案し、1980年代に世界中で大ヒットした……いや、知らないって。内部のメカニカルが気になるな。解法はおそらく数学上のいろいろな問題になることが考えられるし、プログラミング技法の練習問題にもなりそうだ。

「このようなパズルは、ドクター・ナイトがお得意ではありませんか?」

 マルーシャがまた笑顔で話しかけてくる。君、何の目的でそれを訊いてくるのさ。

「こういうパズルはなるべく遠ざけてるんだよ。解法を考え始めると、夜に眠れなくなるからね」

「まあ、ではやはり、お好きなのですね」

 絵の中のフローラのような表情でマルーシャが微笑んだ。こうして見ると、普通の美女にしか見えないな。

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