#15:第5日 (9) 尾行と接触
【By 盗賊】
Aが
「ターゲットAは、そっちへ行ったわ」
おそらく
Aから遅れて、クリストフらが門をくぐってきたのが見えた。Aだけが一人で急いで出てきたようだ。3人は一緒にタクシーにでも乗るのか。
2時間ほど後で、ディアナはクリストフと会うことにしているが、今は見つからないようにしないといけない。十分に距離を取ってから、Aの後を追う。
【By 主人公】
観覧が終わると、他の3人に断って、先に歴史博物館を出た。中庭を駆け抜け、回廊の門からは早足で歩く。T1はまだ見張っているか。いるな。もちろん、気付いてないことにしておく。
さて、ここから国立博物館へ一番近いルートは。距離的には2マイルないくらいだから、走るというのも考えられるが、大汗を掻きそうなのでやめておく。
ここではいつもの俺らしく、8分間隔の電車を7分待って、南行きに乗る。待った時間より短く、6分で
「あと30分で閉館です」
最終入館が5時半と書いているにもかかわらず、これだ。どうしよう。“
「有名な展示品を、3点ほど見られればいいんだ。すぐに見終わる」
渋い顔をしていた係員は、なぜクレジット・カードで支払うのだという感じでさらに不機嫌になったが、受け取ってそれをカード・リーダーに触れさせた瞬間、驚愕の表情に変わった。ディスプレイに注意表示でも出たようだ。
「あっ! あーっ、あー……」
急にしゃべれなくなってしまったらしい。近くにいた別の係員にカードを見せ、二人で大慌てしている。おい、カードを俺の見えないところへ持っていくんじゃないって。一人がどこかへ走って行って、一人が窓口へ戻ってきた。
「あー、あー、すぐに、すぐに館長を呼びますから……」
「そんなことしなくていい。早くチケットを発行してくれ。見る時間がなくなる」
「いや、でも、あの」
「いいから早く」
震える手でチケットとリーフレットを渡され、すぐさま中に入る。
大階段を駆け上がって、2階へ。立派な階段で、磨き抜かれた円柱が何本も立っていたり、壁に絵が掛かっていたり、天井画が描かれていたりするが、見ている暇はない。
一番手前の展示室に飛び込む。これか?
カーペットのように四角くはなく、半円形と言っていい。刺繍が見事だが、完全に色褪せている。説明を読む。ガラス・ケースに腐食を防ぐガスが入れてある? なるほど、このケースごと運ぶのは確かに大変そうだな。でも、日本人に任せたらやってくれるんじゃないか。
他に、小さな胸像が置いてある。イシュトヴァーン1世。それから
さて、目的は達したが、あと20分ほどある。他に何か見所は。リーフレットが、写真しか当てにならないのがなあ。"SZÉCHENYI"という単語があるが、これはセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の関連の展示だろう。見るべきかどうか、よく解らない。
とりあえず、隣の展示室へ入ってみる。何だこりゃ、食器? 銀食器だ。これはすごい。“セウソ・トレジャー”という名が付いた、ローマ帝国時代の銀食器のコレクション。
どうせ盗ませるのなら、こういうのにしてくれないかな。大量にありすぎて全部盗むのは無理だけどね。どれくらいの価値があるだろう。マイアミ・ドルフィンズ
さて他に。東西交流の歴史というのがある。そういや、20世紀の終わり頃までヨーロッパは西と東に別れてたんだったな。何かありそうな気もするが、探すほどの時間はない。
上の階へ行くと10世紀以降の歴史の展示。ここの方が歴史博物館より見る物が多い気がするなあ。石とか部屋とか階段とかの大がかりな物はないけど。
館内の客が少なくなってきた。偉そうな感じの男が二人で、うろうろと走り回っている。きっと、財団の優秀な研究者を探してるんだろう。放っておく。もう出ようと思うし。
【By 盗賊】
「ターゲットAが
ディアナは電話を切って、ため息をついた。ダフネはきっとうまくやるだろう。しかし、自分にクリストフのような男の相手ができるだろうか。何かしら、裏がありそうなタイプだ。一方的に利用されないよう、注意する必要があるが……
【By 主人公】
ホテルに戻るとアネータが待ち構えていて、「お客様がお見えです」と言う。とても複雑な表情。単語一つで表しきれない。ということは、客は女であるが、ジゼルでマルーシャでもない。たぶん、ユーノでもないだろう。さて、誰だ。
ロビーのソファーに座っていた女のところへ、アネータが行く。女が立ち上がってこちらへ振り返った。25歳くらいの美女で、黒髪を腰まで伸ばしていて、身長は5フィート半……T2か。ここで待つくらいなら、T1に尾行させなくてもよかったのに。
「
妖艶な雰囲気を漂わせているわりに、言葉遣いは丁寧で誠実だ。どっちを信用していいか解らん。
そもそも、服装が悪い。白いオーガンジーの透けたブラウスに、黒いタイトスカート。膝丈だが、スリット入り。誠実さを表したいなら、もっと肌を隠して欲しいところだ。
「科学アカデミーや大学の関係者ではない?」
「関係者でないといけませんか?」
「そうは言わない。訊いてみただけだ。それで、何の話を」
「あなたの論文について詳しいお話が伺いたいんです」
「30分で済みそうか」
「この後にお約束でも?」
「7時から夕食」
と言いつつ、アネータには予約しろと指示していなかった。
「ご一緒させていただきたいですわ。私の分は自分で支払いますから」
「そうはいかない。一緒に食事する女性の食事代は払う主義なんでね。ヘイ、アネータ」
「
何を驚いている。世話係として心の準備が足らんぞ。
「ホテルのレストランを、7時から2人で予約」
「イエス・サー」
「それまで、彼女を部屋で歓待する」
「イエス・サー」
「君は退出せず、同室で待機すること」
「!? ……イエス・サー」
「どうぞ、部屋へ」
エレヴェイターへダフネを先導する。もちろん、エレヴェイターのボタンはアネータが押すし、フロアに着いたら部屋のドアはアネータが開けるし、リヴィング・ルームの窓際の適切な位置にアネータが椅子を置く。
そして、ドアに近いところにも椅子を置いて、アネータが座る。見張らせるのは、女が無茶しないようにということだ。無茶というのは暴行ではなくて、自分から脱いだりする行為のこと。あるいは、あからさまな泥棒の相談。
改めてダフネを観察する。マルーシャのスラヴ系とも、ビアンカのラテン系とも違う、独特の美しさだ。オリエンタルでもない。ちょうどその三つのいいところをうまく配合したような感じ。ただ、はっと目を奪われるほどではない。逆に、しみじみと鑑賞したくなるような美と言うべきか。
「夕食が近いので、飲み物は水ということにさせてもらう」
「構いませんわ」
「それで、話が聞きたい論文とは」
ダフネがハンド・バッグから出してきたのは『複数プレイヤーが相互回避行動を取る場合の行動競合率とフィードバック学習による競合率の変化について』だった。今回はこれが大人気だな。
「ちょうど昨日、大学の学生にも話してきたよ」
「それは好都合でした」
「君はこれをどれくらい理解している?」
「テストですかしら?」
「そう思ってもらっても構わない」
「論文内に示されているシミュレイションの例で、道路交通流の平衡状態が変化する場合ですと……」
ダフネは、昨日俺が学生に対してしたのと同じような説明をやってのけた。彼女、本当に泥棒なのか? 普段は何の仕事をしてるんだ。
「そこまで解っているなら質問の必要なんてなさそうだけど」
「そうでもありませんわ。あなたのこの理論に基づいて、ある確率を計算していただきたいんです」
「何の確率?」
「初回のシミュレイションの結果が、最終的な平衡状態と同じになる確率です」
平衡状態は数千回から数万回、数十万回のシミュレイションの結果として示される。もちろん、初回からその平衡状態に落ちる可能性もある。
かといってその確率がシミュレイションの回数分の1、つまり数千分の1や数十万分の1というわけではない。なぜなら、それは“一番ありそうな状態”だからだ。ドット・マップにすると“濃いところ”という感じ。だから数十分の1とか……
「それを何に応用したい?」
泥棒したときに成功する確率を計算したいのかもしれないけど、成功率99%でも失敗するときは失敗するぜ。一発勝負なんだから。フットボールなら、1ヤードない距離の
「具体例を出せば計算しやすいのですか?」
「そう。カジノで儲けようというわけじゃないんだろう?」
「ええ、偶然に頼らない要素がたくさんあります」
「それならプレイヤーとフィールドの条件を示してもらう必要がある」
「プレイヤーはよく知っているのですが、フィールドで不確定要素がたくさんあるのです。でも、フィールドはあなたの方がよく知ってらっしゃるんですわ」
「続きは夕食の後にしよう」
7時になってしまう。
「夕食中にはご相談できませんか?」
「その後に約束でも?」
「いいえ、何も」
ダフネは優美に微笑んで言った。俺には入りそうなんだけどな、ユーノから。
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