#15:第2日 (7) 犯罪統計と遺跡観覧

【By 刑事(女)】

 ポーラの順番が回ってきた。財団研究員アーティー・ナイトに対する説明会の、3番目の項目。犯罪統計の紹介だ。

 その前の、道路交通管制・監視システムの紹介と、通報出動指令室の紹介に比べ、あまり一般的でない。政府提出用の資料としてまとめたものの一部を紹介することになっているのだが、それをなぜ自分が、とポーラは思っていた。作成のほんの一部を手伝っただけなのに。全体の内容に詳しい人は他にもいるのに。

 もしかして、暇だと思われているのだろうか。あるいは、先月『東風エウロス』を易々と盗まれてしまったことに対する見せしめ? それならパタキ主任に責任を取って欲しい……

 スケジュールに遅れはないとのことで、応接室で待っていたら、予定の時間ぴったりにプレゼンテイションの相手がやって来た。事前にもらった写真で見るより、少しは有能に見える。

「初めまして、アーティー・ナイトさんウール。広域窃盗捜査課のジョルナイ・ポーラです」

 自己紹介をして握手する。相手の手は大きくて柔らかだった。身体つきはアスリートに見える。ソファーを勧め、自分も座る。ポーラが一対一でこういうプレゼンテイションをするのは初めてで、同じことを明日もすることになっている。クリストフ・ラインハルトを相手に。

「我が国における犯罪の統計を紹介します。最初は我が国全体、次にブダペスト市内、そしてその中で特に窃盗について詳しく説明します。しかし、おそらくそこまではあなたのご専門とはほとんど関係なく、ご興味も低いでしょうから、簡単に」

 紹介のメインは、犯罪行動における心理の観点からの統計だ。例えば、計画犯罪を行う際の事前行動――いわゆる下見――の際の行動傾向、あるいは犯行後の逃走における経路選択の傾向など。

 それは、財団の研究成果――アーティー・ナイトのものではないが――を参考に、警邏や配備を改善したところ、効果が見られたから、であるらしい。もっともそれは数多くの犯罪全体に関する効果であって、ポーラたちが追う絵画泥棒に対しては全く活かされていないが……

「……とここまでが前置きです。この後は個別の事例を説明しますが、何かご質問は?」

「つまらないことだが、統計は警察内部に担当部門がある?」

「ええ、もちろん。数字だけとはいえ、資料を外部に出すわけにはいけませんから。……もしかして、合衆国ではそうでない事例があったのですか?」

「そのとおりだよ。いつも身内の恥をさらして啓蒙してるんだ。ただ、犯罪者には独創性の高い奴はあまりいないから、助かってるけどね」

 アメリカ流のジョークなのだろう。ポーラは軽く微笑むだけにしておいた。それから個別事例の紹介。それに対してはジョークではない鋭い質問が飛んできた。想定問答の中にないものもあるので、答えに窮する。だからこんなことしたくなかったのに。

「判らないときはそう言ってくれて構わないんだけど、『しかし私の個人的な見解はこうです』ってのを言った方がいいんじゃないのかね」

「はあ、でも、それが警察全体としての見解と違うと困りますし……」

「まあね。政府関係者には余計なことを言わない方がいいだろうけど、こっちは外国の研究者だから。一応、討論をしに来たと思ってるんで、考えたことを何でも言い合うのがいいと思って」

「はあ」

「今の事例で君の意見が言いにくいのなら、俺の方から事例を出そうか」

 どうしてあなたから事例が出てくるんですか、とポーラは言いそうになったがやめた。出て来た事例はイタリアのある都市での犯罪。湾内に浮かぶ小島の屋敷の、地下金庫にあったダイアモンドを、窃盗団が狙っていた。警備員、電子セキュリティー・システム、難解な金庫に守られていたが、結果的に盗まれてしまった。防ぐ手立てはあったか?

「警備員は増やせなかったんですね?」

「うん、湾内が国立公園だったので、人数や灯火が制限されていた」

「では、金庫室あるいはその上の部屋に人を配置すべきだったでしょう」

「セキュリティー・システムはどうしようか。部屋の中で人が動くと動作してしまう」

「……切るしかないのでは」

「そのとおり。では、なぜダイアモンドの持ち主はそうしなかったのか?」

「警備を過信していたのでしょうか」

「後から取り返せると思ってたんだ。窃盗団の中に、実は裏切り者がいた。そいつは持ち主と結託して、窃盗団から奪い返す計画を立てていた。窃盗団の中にそれを察知した奴がいて、結局は奪い返せなかったんだがね」

「はあ、そうでしたか」

 そんな特殊な事例を出されても、とポーラは思ったが、すぐにピンときて、もしかして『西風ゼピュロス』の警備の参考になるのではないか、と考え直す。窃盗団の中にスパイを送り込むことができれば、盗まれても取り返すことが……え? 違う違う。

 窃盗団が、警備側にスパイを送り込んでくるのを、警戒しなければならないのだ。単純な手だが、だからこそ騙されやすい。

 すぐに、美術館ガレリアの館長や学芸員、警備員の中に、窃盗団と通じている者がいるか、調べないと。わざとじゃなくても、うっかり情報を漏らすこともあるし。それだけではない、警察の側にも……警官はともかく、パタキ主任やピスティを疑うのは心苦しいが、万が一のことを考えると……

 しかし、今回のことを彼に相談すべきだろうか。彼の専門は数理心理学の権威であって、犯罪心理学の権威ではない。参考にして失敗したら、ポーラが責任を取らされる! どうすればいいのか、すぐには思い付かない……

「あの、それでその事例の場合は、どうすれば盗難を防げたのでしょうか?」

「君が言った案が一つと、もう一つは全く別のところで保管することかな。結果論に過ぎないんだけど、対策を“考える”ことに意味があるって話だよ」

「はあ……」

 もちろんポーラも考えるのだが……最終的に、誰と相談しようか?



【By オペラ歌手シンガー

 以前、ブダペストを訪れたときには、アクインクムは見なかった。街中から少し外れているので、来る時間が取れなかったのだったか。初めて見る場所は新鮮で楽しい。円形闘技場の跡は各地で見たことがあるが、ここのはとても姿よく残っている。これが実際に使われている時代まで遡って仮想世界を構築してほしいものだが、記録が残っていないのでは無理だろう。それにその時代では私の名声も通用しない。

 アクインクムの博物館、そして都市遺跡も見る。石積みから、過去の生活を想像するのは楽しい。ここがゲームの世界でなければ、1日過ごしてもいい場所だ。今は、ここで何かのヒントを探さなければならない。しかし、ここには何もない気がする。訪れなければならないが、得るものが何もない場所、というのがこのゲームにあることを知っている。

 ミトラ神殿ミトレーアム跡を見る。神殿にしては小さな敷地だが、この遺跡の中では重要であるらしい。それを眺める私の後ろに、誰かが立った。叡知を感じるが、殺気は感じない。振り返ると見覚えのある姿だった。昨夜、ホテルの中で見かけた。短いブルネットの髪、中性的だがやや男性寄りの顔立ち、身長は私よりわずかに高く、痩せ気味で……

やあプリビート、パンナ・マルーシャ・チュライ。昨夜は挨拶したのに返してくれなくて残念だったよ」

 ウクライナ語で話しかけてきた。そして彼女は私の肩書きを意識していない。彼女は私がを知っているのだろう。もちろん、私も彼女が何者かを知っている。ただ、昨夜はもっと女性的な顔に見えたのに、意識して変えているのだろうか。

「ごめんなさい。あなたのこと、知らなかったから」

「仕方ないね。君は世界的な著名人だけど、僕の名前が知られているのはスイスと南フランスの一部くらいだから。ジゼル・ヴェイユ。経営コンサルタントだ。少し話がしたいんだけど、構わないかな?」

「話ならホテルでもできるわ」

「人目があるところは好かないんだ。誰に聞かれるか判らないし、盗み聞きも簡単だからね」

 辺りは無人というわけではない。観光客が数人、近くにいる。盗聴は……高性能な集音マイクを使えば可能かもしれない。

「向こうに、ベンチがあるわ」

「いいとも」

 遺跡の最も北のエリアに、石積みに囲まれるようにしてベンチが一つ、ぽつんと置いてある。そこへ向かう。彼女も後から付いて来る。大股で、歩き方も男性的だ。私に何かを意識させようとしているのか。

 私がベンチに座ると、すぐ横に腰を下ろした。間は10センチメートルほど。遠慮がない。

「もしかして、僕が跡をけてきたと思ってる?」

「ゲッレールトの丘まで私の後ろにいたのは知ってるわ。私はなるべく急いでブダ城へ移動したけれど、あなたはそこにもいた。それから警察署」

「丘へ付いていったのは予定どおりなんだよ。ただ、その後は全部偶然。追うのを諦めてブダ城へ行ったらたまたま君がいて、昼食の後、迷宮ラビリントゥスにでも行こうとしたらたまたま君が階段の方へ行くのを見かけて。その後は全く意識してなかったんだけど、ここへ来たらやっぱり君がいたというわけ。これだけ偶然が重なれば声をかけたくなるのは解ってくれると思うけど」

「そう、理解したわ」

「それから、僕は君の邪魔をするつもりはないんだ。ヴァケイション中だからね。彼とも約束したし。彼って誰だか判るよね?」

「ええ」

 彼女が、私の反応を伺っているのも解っている。私と彼の関係を知ろうとしているのか。彼女が上体を傾けて、私に顔を寄せてきた。

「彼って有能な競争者コンクルサントなのかな? 知ってることを教えてくれると嬉しいんだけど」

「それを聞いてどうするの?」

「別にどうも。ただ、彼のことを知りたいんだ。他の競争者のことがこんなに気になるなんて初めてでね。ヴァケイション中で、気持ちが全然違うからかもしれないけど」

「私の知る限り、とても有能」

「負けたことあるんだ」

「ええ、何度か」

「そんなに何度も同じステージになるものなのかな」

「あるステージの結末のせいで、競合確率が高くなっている状態。この世界の仕様の一部らしいわ」

「初めて聞く仕様だね。裁定者アービターに聞いたら教えてくれるのかな。いや、無理だろうな。それはそうと、彼とは今夜一緒に食事するんだ。君とも食事したいけど、空いてる日はあるかい?」

「明日の朝食ではいかが?」

「朝食か。君、ゆっくり朝食を採る方? せめて1時間くらいは話したいんだけど」

「時間の許す限りお相手するわ」

「じゃあ、それで。朝食の前に部屋に電話をくれないかな。それで時間を合わせよう」

「ええ」

「ところで、僕みたいな性別不明ジェンダー・アンノウンの人は君の好みに合う? もう少し男性的にもできるし、女性的にもできるよ」

「あなたはその姿が十分魅力的だと思うわ」

「そう言ってくれると嬉しいよ。君に声をかけてよかった。僕はそろそろホテルに戻ろうと思うけど、君は?」

「他に寄るところがあるから」

「解った。そうそう、僕の方から質問してばかりじゃ失礼だったね。君の方から何か訊きたいことは?」

「明日の朝食の時に」

「他の二人の競争者コンテスタンツのことは聞かなくていい?」

「話したの?」

「うん、少しだけど」

「いいえ、聞かなくてもいいわ」

「君は彼と同じことを言うんだね」

 彼女は立って、穏やかな顔で私を見下ろした。私は無表情に彼女を見上げる。

「僕も彼と競合したいな。彼と対戦して勝つとか負けるとかって、どんな気持ちになるんだろう」

「私はとてもつらいわ」

「つらい? そうなのかい?」

「ええ」

 私は彼女から視線を外した。目の前の石積みを見てはいたが、焦点は合っていなかった。

「自分自身が、コントロールできなくなりそうだから」

「その話は明日聞けるかな」

 彼女は爽やかな笑顔を残して去っていった。表情が、少し女性的になっていた。

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