#15:第2日 (8) アカデミーとレストラン

【By 研究者】

 プレゼンテイションのスケジュールは押しに押していた。ユーノが待つ研究室へ、マクロロジック社の特別研究員フェロークリストフ・ラインハルトが案内されて来たのは、予定を1時間以上も過ぎた頃だった。途中、一つをキャンセルしていて、これだ。ユーノもキャンセルするか訊かれたのだが、相手が話を聞きたければどうぞ、という返事をしたので、こうなった。

 ヤンカが言っていたとおり、ラインハルトは確かにハンサムだった。ゲルマン系らしい、真面目そうで精力的な感じ。何より目が真摯だった。ユーノに挨拶する前に、遅くなったことを誠実な態度で詫びた。案内してきた人によれば、どこでもディスカッションが弾んだためらしい。予想どおりなのだが、それなら最初からもっと余裕を持ったスケジュールにすればいいのに……

「時間はどれくらいあります?」

「最初に予定していたとおりの時間を使ってくれて結構だよ。僕はいくら遅くなっても構わないんだ。ああ、あなたの帰りが遅くなって困るようなことがなければ、だけど」

「では、予定どおりに」

 まず、惑星物理学の概説。惑星系の形成と進化、惑星の気候システム、惑星内部物理学など。特に太陽系と地球を例にしたモデル化。ユーノが一人でそれら全てを研究しているわけではないが、研究室の興味の対象になっていることは全て説明しておきたい。

 それから生命と地球の共進化に関するいくつかの論文について軽く話しただけで、瞬く間に30分が過ぎた。

「何か、ご質問は」

「惑星形成理論や長期気候変動予測では計算機シミュレイションも行っていると思うが、どんなモデルを使っている?」

「すぐに列挙できないほど多数のモデルを使っています。お望みなら時間をかけてリスト・アップしますが、それが目的ではなくて、計算機シミュレイションの精度を気にされているのでは?」

「そう。我々の会社でも、シミュレイション・パッケージを開発しているのでね」

「この研究室ではシミュレイション手法や精度見積もり自体も研究課題ですから、外部のソフトウェアに頼らないことを方針にしています」

「それは結構なことだ。計算機そのものも、このアカデミーの別部門が研究しているんだったね」

「ええ、計算機科学についてはネーメト・ヤンカの研究室で紹介したと思いますが、彼女は私の姉です」

「道理で二人とも同じように美しいと思ったよ。密に連携できるのは喜ばしいことだ」

「他にご質問は」

「応用研究で、社外と連携する予定は?」

「あいにく、興味を持ってくださる企業が少なくて。ですが、今のところは国からの予算でまかなえています」

「予算を他から獲得して研究範囲を広げるという考えは?」

「もちろん持っていますが、長期の課題として。御社が10年単位の計画に付き合ってくださるのなら共同研究を申し込みたいですが?」

「ぜひ連絡してもらいたいね」

 それ以上は質問がなかったので、プレゼンテイションは終了した。デスクに戻り、研究の続きをしていたら、ヤンカからヴォイス・チャットが入った。

ハロースィア、ユーノ。ラインハルトさんウールとの懇親会には参加しないの?」

「しないわ。まだやることが残ってるから」

「スケジュールが遅れたせいかしら」

「そうじゃないわ。遅れてくれたおかげで、それまでにやりたかったことがちょうどできたから。今は次の課題を整理しているところ」

「ラインハルトさんウールのお話は研究以外もとても興味深くて楽しいわよ」

「私の代わりに聞いておいてくれればいいわ。二人も参加して同じ話を聞くことないもの。帰ったらヨラーンと一緒に聞かせて」

「たまには気分転換も考えてね」

 楽しいことばかりしているのに、どうして気分転換しないといけないのだろう。2時間ほど続けてから、家に帰った。ヤンカはまだだったが、妹のヨラーンがいた。

「クリストフ・ラインハルトさんウールって、どうだった?」

 ヨラーンが無邪気な顔をしながら訊いて来た。そういえば、彼は明日、ヨラーンの通うエトヴェシュ・ロラーンド大学へ行くのだったか。

「プログラミング技術者だけど、ビジネスの話がお好きだったみたい。私の研究にはあまり興味がなかったんじゃないかしら。あなたのゲーム理論なら関係あると思うわ」

「ヤンカは何か言ってた?」

「何の説明をしたのか知らないし、どういう反応があったかも聞いてない。懇親会に行って、まだ帰ってこないっていうことは、よほど話が合うみたいね」

「大学でも夜に懇親会はするのよ。でも、出席できるのは教授クラスだけみたい」

「どうしても話したいなら、押しかけて行って勝手に紛れ込めばいいのよ。それくらい積極的な方が相手も興味を持ってくれるわ」

「どうしようかしら。でもまず、昼の講演を聴いてからよね。それと明日の、財団研究員の……名前は何だったかしら、アカデミーに来る人のことも、後で教えてね。数理心理学もゲーム理論に近いから、興味あるわ」

「ヤンカからも聞いてね。私の研究はたぶん興味を持ってもらえないし、時間の都合でキャンセルされるかもしれないから」

 一度くらいは、2時間3時間と話したくなるような研究者が来てくれないものだろうか。



【By 主人公】

 警察訪問は5時に終了。すぐに地下鉄メトロに乗ってホテルに戻り、着替えてランニングの準備。アネータが新たに用意してくれたレーサー・タイプの自転車に乗ってマルギット島へ行く。

 準備運動の後、レーンを走り出す。まだ陽が高いので、結構暑い。走っている人も少ない。一番いい時間帯は日が落ちる直前、つまり6時半から1時間くらいだろう。そうなると夕食の時間が難しい。一人なら自由に調整できるが、今日は7時から約束があるからな。

 島を2周走って、ホテルに戻り、シャワーを浴びて着替え。もちろん、アネータが用意してくれている。メグの意見を聞いたのかどうかは知らない。ただ、着替え終わった俺の姿をチェックして、満足そうに頷くのはメグとそっくり。

「レストランはカジュアルを頼んだつもりだが、この服はインフォーマルだよな。なぜだ」

「お相手のジゼル・ヴェイユさんアッソニのご指定です」

「で、どこのレストランだっけ」

市民公園ヴァーロシュリゲットの近くのパプリカ・ヴェンデーグレです。少し遠いので、タクシーをご利用ください」

 ジゼルがフォー・シーズンズから乗ってきて、ここへ寄ることになっている? まあ、二人で行くのに別々にタクシーを使う必要はないよな。

「次にレストランを予約するときはもっと近いのにしてくれないか。歩いて行けるところで」

「明日も予約するのですか?」

「それはまだ判らない」

 するとしても、ホテルのレストランで十分じゃないかと思う。ロビーで待ってると、6時50分にタクシーが来た。ジゼルが乗っていたが、ジャケットにパンツにソフト・ハット! 完全にメンズ・コーディネイトだ。俺は男と夕食に行くのか。いや、別にそれが嫌なんじゃないけど。それに中身は女だし。

やあサリュー、アーティー、今夜のこの時間をとても楽しみにしていたよ」

「スカートを穿いてくるのかと思ってた」

「僕のしたいように振る舞えって言ってくれたのは君だよ。もっと女性らしくして欲しいのなら、どうして言ってくれなかったんだい?」

「予想を言っただけであって、願望を述べたわけじゃない」

 パプリカ・ヴェンデーグレはインフォーマルで来るのも着飾りすぎじゃないかと思うほどカジュアルだった。中は木の柱や梁に椰子か何かの葉で葺いていて、南国の――ちょうど前回のニュー・カレドニアのような――ビーチ・バーを思わせる造りだった。

 案内されて二人掛けの席に向かい合って座る。明かりが薄暗いので、ジゼルが美青年にしか見えない。痴女化することはないだろうから、安心であるという考え方もできる。

「誘っておいて何だが、ここのお薦めを知らないんだ」

「構わないよ。僕が食べたいものを注文していいだろう?」

 任せる。まずグヤーシュのノケドリ添え。グヤーシュは昨日食べたスープよりずっと汁気が少ない。ノケドリはトウモロコシの粒くらいの大きさに丸めたパスタ。飲み物は、ジゼルはビール、俺はもちろんオレンジ・ジュース。

「今日の仕事はどうだった?」

 メグみたいなこと訊いてくるんじゃないって。

「交通局と警察に行ったが、ずっと話を聞いてて、時々意見を言うだけだから、仕事って感じじゃないな。行政の視察みたいなものだ」

「つまらなかったんだ」

「つまらなかったよ。何も得るところがないからな」

「でも、この世界じゃそれが普通だよ。僕らは何も実にならないことをやらされてる。現実に戻れたとして、せいぜい泥棒対策ができるくらい? 探偵にすらなれないよね」

 ジゼルは食べ方がちょっとがさつ。しかし、わざとやっている気もする。女性らしくしろと言ったら、きっとおしとやかに食べるだろう。

「そうだな。今回はこれまでと様子が違って、出張で来てるふりをさせられてるから、ターゲット探しであることをつい忘れそうになる」

「何が違ってるの?」

 まず記憶が違っていることを話す。第二仮想記憶の障害が解消されたという件。ジゼルが不思議そうな顔をする。

「よくそれで頭が混乱しないね。解離性同一性障害でも、記憶は人格ごとに独立してるはずだし」

「鈍感なんで気にならないんだろう」

「仮想世界に入ったときの記憶は以前のまま?」

「そうだな、財団研究者としてその日に何をしていたかという記憶はない」

 去年の誕生日のことを思い出して、記憶が二つあったら混乱するかもしれないので、思い出さないでおく。

 次の料理はフォワグラのソテー、アップル・スライスとライス添え。ハンガリーはフォワグラの生産量が世界2位らしい。外をカリッと焼き上げ、中はとろっとしてそこそこうまいのだが、やはり脂肪が気になるのでジゼルに少し譲る。ジゼルは痩せているのにたくさん食べる。胸ではなく、どこへ入っていくのか。

「マルーシャと少しだけ話をしたよ」

「競争者であることをバラしてか」

「もちろん。声をかけたときから解ってたみたいだけどね。君のこと愛してるけど、自分の口からは言えないってさ」

冗談だろキディン

「うん、冗談だジャスト・キディン。でも競合して、何度も当たってるらしいから、心が通じ合ってるんじゃないのかな」

「騙してもいいけど、暴力だけは振るってくれるなって言ってあるよ」

「君を投げ飛ばしたりしたの? 見かけによらないね。僕なら素直に君に押し倒されるのに」

 冗談だろキディン冗談だよなジャスト・キディン

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