#15:第1日 (6) 迷宮と城塞

 さて、そろそろ昼なので、食事に行く。城を出て北へ歩くと、丘の上に町並みが続いている。城地区ヴァルネジェドと呼ばれている。普通は城の下に街を作るものだと思うが、丘の上が意外に広かったからだろうか。

 タルノク通りを歩き、三位一体の像がある広場に出る。東を見るとマーチャーシュ教会。石造りでバラ窓があって、という典型的なゴシック様式。正面から見て右だけに高い鐘楼があり、珍しくアンバランスだ。ジョルナイ製のダイアモンド模様の屋根瓦も特徴的。

 ターゲットには関係なかろうが、中を覗いていく。金箔を使った壁画があることで有名だからだ。それだけでなく、柱、壁、天井、ステンドグラスまで何もかも豪華。これほどきらびやかにする意義が感じられないが、それは俺に信心が足りないからだろう。

 教会を出て少し川寄りへ行くと、漁夫の砦ハラスバスチャ。ネオ・ロマネスク様式の尖塔と回廊だが、戦いに使われたことはなく、街の美化計画の一環として建造されたもの。名前はかつてここに魚市が立っていたことに由来するらしい。砦というだけあって、見晴らしがいい。中の広場にはセントイシュトヴァーンの騎馬像が建つ。

 昼食はその砦の中にある、漁夫の砦レストランハラスバスチャ・エッテルム。1階が夏季限定でカフェになっている。お勧めを聞いて、グヤーシュとシュトルーデルのセットにする。グヤーシュは牛肉と野菜のスープで、そこにパンが付いている。シュトルーデルは詰め物の入ったパイ。チェリーかアップルが選べたので、チェリーにしておいた。いい景色が見られるのにずいぶんと空いているが、料金が高めだからだろうか。

 料理を持って来たウェイトレスが、やけに色目を使ってくる。黒い髪を男のように短く刈っているが、肩幅の狭さとわずかな胸の膨らみで、かろうじて女だと判った。男装をしたらきっと似合うだろう。こういう女でも俺に興味を持つことがあるのは知ってる。ノルウェーで前例があるから。

 雑な手つきで皿をテーブルに置いたが、立ち去ろうとしない。何だよ、チップでも要求するのか。あんまり俺のこと見ると催眠術にかかるからやめとけよ。財布の中を覗き、200フォリント硬貨コインがあったのでそれを渡す。

ありがとうクゥスヌム!」

 去って行く後ろ姿を見送ったが、尻の形が抜群だった。窓からの景色よりも見る価値がある、というのは言いすぎかな。

 食べながら、この後どこへ行くか考える。ブダ地区は基本的に見所が少ない。城で時間を潰さなかったら、他には……すぐ近くに、迷宮ラビリントゥスというのがある。この丘は石灰岩なので、洞窟、いわゆる鍾乳洞があり、そこを観覧できるらしい。面白そうなので行ってみよう。

 そして洞窟を利用した病院跡というのがあるらしい。戦時中に救急病院兼シェルターとして作られ、当時の設備や機器を展示する博物館になっているとのこと。迷宮ラビリントゥスだけで十分ではないかと思うので、こっちはやめておこう。

 それから少し南に行って、ゲッレールトの丘。城塞ツィタデッラ自由の像サバチャッグ・ソボルがある。麓にはゲッレールト温泉とルダシュ温泉。街の名所が温泉なんて、まるで日本のようだ。ただし、ここの温泉は水着で入るのだろうと思う。行けば水着の美女のキー・パーソンに会える……かもしれない。

 ずっと南にメメント・パークというのがある。人民共和国時代の共産主義者を讃える像が建っているのだが、行く必要性を感じない。そしてずっと北にアクインクム遺跡と博物館。うーむ、もしかしたら、今朝俺が行こうとしていたのはここではないか? たぶん時間が余るだろうから、後で行ってみよう。

 食べ終わってレストランを出ると、なぜかエメシェに会った。こんな短時間に2回も会うなんて、君、やっぱりキー・パーソンだな。

やあハイ、これから昼食か」

「ええ、ここは城の関係者は割引が利くので」

 聞きもしないことを言ってくるのは、言い訳だろう。美術館ガレリアの中ではうまかったのに、ここでは下手だな。しかも一人で来たということは、誰かに会うつもりだ。それが誰かを見届けてやる……のはちょっと性格が悪いかな。やめておこう。

 三位一体の像の前から、短いセントハロムシャグ通りを抜け、ウーリ通りを城の方向へ戻る。迷宮ラビリントゥスはライト・イエローの壁が目印なのだが、ちゃんと看板まで掲げられているので、すぐに判った。

 が、博物館とは思えない、一般の民家の建物だ。そこにいきなり地下への階段の口が開いている。降りるとチケット売り場があって、どこからか音楽が聞こえてくるが、雰囲気作りだろうか。遊園地のお化け屋敷ホーンテッド・ハウスじゃあるまいし、音がしない方が却って不気味さを演出していいと思うんだが。しかも上着が欲しくなるほどひやりとしてるし。

 ともあれ金を払い、順路に従って暗い洞窟を歩き始める。結構広くて、全体の範囲は1万平方キロメートルに渡っており、観覧コースだけでも1キロメートルあるらしい。

 最初の小部屋に入ると、中世風に着飾ったマネキンが何体か立っている。演劇の一場面を見るかのようで、逆に“迷宮”感に欠ける。奥へ進んで行くと、次の小部屋ではマネキンがマスクを着けていた。仮面舞踏会というよりは、怪しい集会の場に来たかのようだ。

 さらに進むと、石棺の上に人形が寝ている。冠を被っているから、王の死を演出したつもり? どうでもいいが、通路は基本的に灯りがなく、真っ暗で手探りでないと進めないところがある。小部屋より通路の方が“迷宮”感があるとはどういうことだ。

 次の小部屋では、椅子に座る王の石像があった。胸像が並んでいる部屋もある。ドラキュラと書かれた看板が出てきた。あれはルーマニアじゃなかったのか? まあいい。何とかして“迷宮”感を出したいんだろう。というか、迷宮より“地下牢ダンジョン”と呼ぶ方がふさわしくないか? ドラキュラの柩だ。もう本当に、ヴィデオ・ゲームの世界かお化け屋敷か。生首っぽいのが並んでるところもあるし、本当に地下牢ダンジョンになってるところもあるし。

 それが終わると真面目な展示の小部屋。この洞窟が過去にどのように使われたかとか、世界の有名な洞窟についての解説。ちゃんと合衆国のマンモス・ケイヴも紹介されている。

 そして映画コーナー。お化け屋敷と真面目と、どっちが本筋なのかよく判らないが、いろんな人に入って欲しいという趣旨か。

 出入口が他にいくつかあって、病院跡の方からも出られるようなのだが、おとなしく元の入口に戻る。外に出ると、明るく暑い。


 次はゲッレールトの丘へ行きたいが、少し遠いので路面電車トラムを利用してみる。丘を西側へ降りていき、シタクトゥ公園の横を抜けてクリスティアナ通りに出ると、ちょうど電停がある。南行きに乗り、ルダシュ温泉ジョルジュフュルドゥという電停で降りる。エリザベスエルジェーベト橋の下だ。そこから丘へ登るのが最適な道かどうかは判らないが、とにかく登る。

 城の建つ“丘”とは違って、こちらは突兀とした“岩山”だ。急坂や階段の細道を登っていき――なぜこの丘にはケーブル・カーフニクラーがないのだろう――4分の1マイル強で頂上へ。川面からの高さは770フィートとなっていて、城の丘よりも断然高い。どうしてこっちに城を建てなかったのかと思うが、古い時代では高すぎて資材が運べなかったのだろうか。

 山頂の巨大な城塞ツィタデッラは1848年から49年にかけてハプスブルク家が建造したらしい。もちろん、その後の戦争でも使われて、大砲が設置されたりした。そのいくつかは展示されている。戦争に興味はないので、景色を楽しむ。自由の像サバチャッグ・ソボルの辺りからは、対岸のペスト地区がよく見えて、崖っぷちの柵にもたれていると、風が気持ちいい。

こんにちはスィアミスターウラム

 誰だよ、お前。優男……いや、女? 髪はブルネットで短くて、中性的な顔立ちで、背も高いし、パンツ・スタイルだし、男か女かよく判らない。暑いのにサマー・ジャケットを着て胸元を隠しているが、どうやら胸はありそうだな。肩幅が広めに見えるのは、パッドを入れてるんだろう。しかし、胸もパッドの可能性が。まさか、女装男子ドラッグ・クイーンじゃないだろうな。喉仏アダムズ・アップルがなさそうだから、やはり女か。

何か用ワッツ・アップ?」

「ああ、やっぱりアメリカ人アメリカンだね。一緒に景色を見ていいかい?」

 話のつながりが見えんぞ。俺がアメリカ人アメリカンであることと、景色を見ることに何の関係性が。

「目的は?」

「一緒に景色を見てくれないのかい?」

 そんな不思議そうな顔をするな。こっちは当然の質問をしただけなのに。

「どういう目的を持って俺に近付いた?」

「一人で景色を見るのが寂しいからだよ。君なら一緒に見てくれるかと思って」

 笑顔に戻ったが、女らしくも男らしくもないな。両性者ハーマフロダイト? スペインではゲイに目を付けられたが、俺はそういう仲間フェローじゃないんだけど。

「景色を見て、それから?」

「とにかく、まず景色を見ようよ」

 本当にそれだけか? そいつがペストの方を指差す。顔がついそっちに向いてしまう。俺の横に並びかけてきて、柵にもたれる。実に自然な動きだ。まるでさっきからずっと一緒にいたかのような。なんだか、独特のペースの奴だ。

「君の名前を聞いていいかい」

 しばらく景色を眺めた後で、そいつが訊いてきた。言っていいものだろうか。

「そっちから先にどうぞ」

「これは失礼。ジゼル・ヴェイユ。スイスのヌーシャテルから来た」

 そいつがこっちへ振り向いた気配がした。視線を向けると、やはり俺を見ている。

「ジジって呼んでいいよ」

 中性的だが、微妙に女に近い笑顔だ。いや、ジゼルは女の名前だし、ジジがその愛称ディミニュティヴだってのは解ってるけど、一緒に景色を見ているだけなのに、それで呼ぶ機会あるのか?

「アーティー・ナイトだ。フォート・ローダーデイル、フロリダ州」

「本名はアーサー?」

「そうだ」

 なぜそんなことに興味を持つ。

「ブダペストは初めて?」

「そうだ」

僕もだよミー・トゥ

 ジゼルはなぜか英語で話しているのだが、“アイ”“僕のマイ”“僕にミー”の発音に微妙な癖があって、母語までよく判らなくなっている。しかし、ヌーシャテルはスイス西部のはずで、フランス語圏だろう。ドイツ語圏ならジゼルではなくギーゼラという名になるはずだ。

城塞ツィタデッラの中は見た?」

「まだだ」

「一緒に見に行こうよ」

「興味がない」

「じゃあ、丘の下の洞窟を見に行こう」

「どうして俺を誘うんだ?」

「一人で行くのが寂しいからだよ。君なら一緒に行ってくれるかと思って」

 全然寂しそうに見えないんだけどな。しかし、本当に女か男かはっきりしない笑顔だなあ。

「それとも、僕みたいな性別不明ジェンダー・アンノウンの人はお気に召さないのかい? 君が望むのなら、もう少し女性らしくすることもできるけど」

「自分自身がしたいように振る舞えばいいさ。俺の目を気にすることはない」

「そう言ってくれると嬉しいよ。君に声をかけてよかった」

 よく解らんところで喜んでるなあ。ところで、この馴れ馴れしさは何なんだろう。キー・パーソン? でも、スイス人だよな。とはいえ、ウクライナでは7ヶ国のキー・パーソンズが入り乱れる状態だったから、国籍だけでは何とも言えない。あるいは競争者コンテスタントということも考えられるが。

「それで、一緒に洞窟を見に行ってくれるかい?」

「洞窟に何があるんだ」

 教会になっていることは一応知っているが、敢えて訊いてみる。

「知らないの? じゃあ、着いてからのお楽しみにしようよ」

 だから、何が目的で俺を誘うんだって。

「目的がはっきりしない勧誘には応じないことにしてるんだ」

「もちろん、そう言うだろうね。じゃあ、こういう理由はどうかな」

 ジゼルは背伸びして、俺の耳に口を近付けてきた。普通ならここまで近付かれると警戒してしまうものだが、なぜだか身体が動かない。

「君、誰かに跡をけられてるよ。辺りを窺うと気付かれて、何をされるか判らない。僕の言うとおりにした方がいい」

 けられて? まさか。下から登ってくるときに、誰も追いつけないようなスピードで歩いたんだけど。ジゼルが背伸びをやめて、俺の顔を見た。こんなに近くで見ても、女か男かはっきりしない。ただ、肌が綺麗だなと思うだけだ。

「一緒に行ってくれるよね?」

「エスコートした方がいいか?」

「嬉しいけど、そういう淑女みたいな扱いにはあまり慣れてないんだ。一緒に歩いてくれればいいよ。さあ、行こうか」

 ジゼルはまた一瞬だけ女らしく微笑んでから、元の中性的な表情に戻って歩き始めた。男と腕を組むより、肩を並べて歩くのが好みなのかもしれない。

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