#15:第1日 (7) 研究者と盗賊

【By 研究者】

 日曜日にもかかわらず、ユーノは科学アカデミーに来ていた。ユーノだけではない。アカデミーの研究者は総じて、やりたいこと、やらねばならないことがあれば、休日でも来る。研究のことを仕事と思っていない者が多い。研究は楽しいからするのだ。だから休日は関係ない。

 ただ、余計な仕事と思われるようなことはある。そういうのはあまりやる気がしない。例えば、予算の申請。それから、外部の研究者が訪問してきたときに、自分の仕事を紹介すること。それが同じ分野の研究者で、ディスカッションができそうなら嬉しいことだが、違う分野のときが困る。ユーノの分野は研究者が少ないから、たいがい話が合わない。

 それなのに、今週は紹介が2件もある。2人の研究者を迎えることになっているが、困ったことに日がバラバラだ。一人は月曜日で、もう一人は火曜日。どうして日程を合わせてくれないのだろうと思う。こちらの説明することは同じなのに。

 とにかく、今日はその準備のために来た。こういうときの資料は用意しているものの、適度に更新していかなければならない。他の人に任せると、書いてあることがわからなくなるので、自分でするのが必須。プレゼンテイション用のスライド・データ・ファイルの他に、参照用の資料、Q&A資料も。いい質問でもしてくれれば嬉しいのだけど。

 しかし、あまり期待はしていない。来訪者の一人は、世界的なソフトウェア企業であるマクロロジック社の特別研究員フェローで、ゲーム開発部門の責任者だそうだ。もう一人はこれも世界的な企業体“財団ザ・ファウンデーション”の上級研究員シニア・リサーチャーで、数理心理学の権威。残念ながらどちらもユーノの専門である天文学とは関係ない。姉のヤンカの専門である計算機科学なら興味を引くかもしれない。

 それでも、資料は作らなければならない。アカデミーでは多種類の研究をしているということを見せるために。興味を引きそうになくても、プレゼンテイションをするだけはする。たった十数分間のために、準備だけは数時間もかけて。ずっと同じ資料と説明を使い回せれば、そう大した手間ではないのに……

 PCのチャイムが鳴った。ヴォイス・チャットの着信だ。ヤンカからだった。

ハロースィア、ユーノ。ちょっと聞いて」

「どうしたの?」

「さっき、マクロロジック社の特別研究員フェローが来たわ。クリストフ・ラインハルトさんウール

「あら、明日のはずでしょう?」

 だいたい、日曜日なのになぜアカデミーへ来たのかが不思議だ。休日と考えるのが普通だろう。

「こっちの研究部で、彼のことをよく知っている同僚がいて、連絡したらすぐに来てくれたのよ」

「ああ、そういうこと」

「写真で見たとおり、とてもハンサムな人だったわ。話もお上手だし、研究内容を少し聞かせてもらったの。研究といっても、ゲームの開発手順のようなものだけど」

「面白かった?」

 訊きながら、そういうものは自分は興味が持てない、とユーノは思っていた。たとえそのゲームが宇宙を題材にしていたとしても、天文学の知識は、ほんの添え物として使われているだけだろう。重力が正しく計算されているかどうかすら怪しい……

「面白かったわ。でも、計算機やプログラミングの話が主じゃないのよ。その裏側にある販売戦略みたいなものを絡めた内幕、とでもいうのかしら。ドキュメンタリードクメントゥムフィルムのようなものね」

「ああ、そういう観点のお話なのね。専門的なことは明日?」

「そうよ。明日のレジュメだけは簡単に伝えたけど、楽しみにしてるって言ってたわ」

「天文学は興味を持ってくれるかしら」

「彼が興味のない分野はないって、同僚が言ってたわ。質問も厳しいのをされるらしいから、準備は十分にね」

「わかったわ。わざわざ知らせてくれてありがとう。その彼は、まだ所内にいるの?」

「いるけど、もう半時間もしたら帰ると思うわ。それとも、こっちに会いに来る?」

 なぜわざわざユーノの方から会いに行くのか解らない。ハンサム、と言っていたから、見に来てみたらという意味だろうか。それくらいなら明日でもいい。研究内容と顔は関係ない。

 もっとも、男ならハンサム、女なら美人であれば、それだけメディアに注目される可能性はある。それで予算が付いたりもするが、目立ったがために心ない中傷を受けたり、言わずもがなのコメントを言わされたりすることもあって、一長一短だ。ユーノとしては、むしろ“短”と捉えている。

「いいえ、行かない。でも、まだ声をかけられそうなら、明日は楽しみにしていると伝えておいて」

「解った。あなたの方は最後に近かったと思うけど、時間が押さないように注意しておくわ」

「あら、キャンセルになっても、それはそれで構わないけど」

 ヤンカはユーノが言ったことをジョークと受け取ったのか、軽く笑うと、すぐにチャットを切ってしまった。

 ラボ・ツアーはきちんと時間を決めてするものだが、一部のところで質疑応答が盛り上がったりして、時間をオーヴァーしそうになると、後の方の時間が削られる場合もある。まるまるキャンセルされると手間がなくて済むが、「短縮版でお願い」などと頼まれる方が面倒だったりする。用意したパネルを読むだけ、とかだと、聞かされる方も中途半端で困るだろう。ユーノのところでは、そういうことがよくある。明日はどうなるだろう。

 資料の直しはほぼ終わったが、ついでに明日からすることの一部を、先に始めてしまおうかとユーノは思った。どうせ家に帰ってもすることがないし、ここで研究をしている方が楽しいのだから。



【By 盗賊】

こんにちはスィア、エメシェ。今日の注文は?」

 ディアナは窓際の席に座った美術館ガレリア学芸員に声をかけた。彼女は窓の外を見ずに、ディアナの方ばかり見ている。

こんにちはスィア、ディアナ。コーヒーとアップルのシュトルーデルをお願いするわ」

 いつもながら、エメシェのディアナを見る目つきが熱っぽい。あれは憧れの目だろう。女性なのに、女性に憧れているのだ。ディアナの容姿が男性的だから、というのは理由の一つか。エメシェに限らず、ディアナは他の女性から憧れの眼差しで見られることが多い。もっとも、そういう役割だから仕方ない。

 ディアナが漁夫の砦レストランハラスバスチャ・エッテルムで働き始めたのは2週間ほど前からだ。それまでは、ファイン・アート美術館セープミューヴィセティ・ムーゼウムの近くのレストランにいた。もちろん、美術館ムーゼウムの学芸員から情報を得るため。しかしそのときは、館内のカフェで働く妹のドリナの方がたくさん情報を掴んできた。主に警備装置の概要や、警備員のシフトについて。

 国立美術館ネメゼティ・ガレリアにはカフェが付属していないので、外のカフェかレストランを利用するしかない。もっと美術館ガレリアに近い、別のレストランにはドリナが潜り込んだが、ディアナが運良くエメシェと懇意になれたので、ドリナは第1区警察署の近くのカフェに移った。そちらには姉のダフネもいる。

 エメシェは美術館ガレリアの館長の姪で、館内の事情に通じている。ディアナが無理をして近付かなくても、彼女の方から勝手にディアナに憧れて、頻繁にレストランに通うようになってくれたのがまた好都合だった。

 注文の品を持って行ったときに、ディアナはエメシェに話しかけた。

「コヴァルスキの絵は、相変わらず人気なの?」

「ええ、いつになったら見られるのかって、毎日訊かれるわ。木曜日からっていう表示を出しても質問されるのよ。警備員はもう、何も知らないって答えることにしたみたい」

 エメシェはうっとりとした目でディアナを見ながら言った。女性からそんな目で見られても、ディアナは本当は嬉しくなかった。

 ディアナが女性らしい身なりや仕草をしないのは、そういう自分でいたいからというだけで、女性の気を引きたいわけではない。むしろ、男性の気を引きたいと思っていた。ダフネやドリナのように。

 彼女たちは美貌に加えて女性らしい仕草と身体付きで、どこで働いても大人気だ! もっとも、男性と深い関係になるわけにはいかない。それは今の計画を達成するまで、お預けだ。

「本当に木曜日から見られるのかしら」

「それも警察次第なの。準備が間に合わないと、来週からになるかもしれないわ」

「間に合うといいわね」

 それから、「ごゆっくりヨ・イトヴァジャト」と言ってディアナはテーブルを離れた。エメシェの視線が後ろから追いかけてくるのを感じる。だが、もはや長話は必要ない。この1、2週間で、聞きたいことはほとんど聞いてしまった。

 警察は『西風ゼピュロス』の模写を用意しようとしているらしい。画家に描かせているに違いないが、その名前は判っていない。どうやら、警察の“絵画泥棒担当”の女性刑事が進めているようだ。

 そして本物の絵は、バックヤードの保管庫に置いてある……というのはほとんどの学芸員が知っている。ただ、実はそれは本当ではなく、実際には館長室の金庫の中に収められている。それはほんの一部の学芸員だけが知っている。

 ……というのも嘘で、真実は警察署の留置場の中にあるらしい! それは館長とエメシェの他、数人のみが知っていることなのだそうだ。エメシェはこの極秘事項を、ディアナと共有することに喜びを感じているみたいだった。もちろん彼女は、ディアナの口が硬いと信じている。ディアナはそのことを、誰にも言っていない……ダフネとドリナを除いては。

 留置場にあるのでは、さすがに手を出すことはできない。しかし、警察の内部情報は必要だ。そしてもうだいぶ前から、ダフネは“絵画泥棒担当”の主任刑事に取り入って、情報を引き出していた。取り入って、というのは正しくないかもしれない。取り入ろうとしたのは事実だが、大した秋波を送るでもなく、主任刑事の方からダフネに手を出してきた。カフェで、ちょっと愛想よくして見せただけで。

 もちろん、本当はそれだけではなくて、ダフネが妖艶な美貌とグラマラスな身体の持ち主であることも関係しているだろう。主任刑事はそういうタイプの女性が好みであるらしい。その好みを探るために、ダフネ、ディアナ、ドリナが順々に近付いたら、ダフネに反応した、しかも熱烈に、というのが真相だ。ダフネの次に気に入ったのがドリナで、ディアナにはほとんど反応を示さなかった。たぶん、“グラマラスな身体”がポイントなのだろう。

 担当の刑事たちは3人いて、もう一人の男性刑事もダフネに興味を示していたのだが、ついこの前からドリナに食いついてきた。カフェを移ったのは大成功だったようだ。残る一人の女性刑事から情報を引き出す術がないのだが、それは致し方ない。情報源が二人もいれば、今のところは十分だ。既に美術館ガレリアの詳しい見取り図や、警備員の配置表、警察官の配置表とシフトなど、主要な情報は得ている。あとは『西風ゼピュロス』が戻ってくるスケジュールだ。

 そしてもちろん、映画でよくあるように、真夜中に美術館ガレリアへ忍び込んで盗み出す……ということは考えていない。そんなことは、到底できっこないのだ。だから忍び込むと見せかけて、裏を掻く。そのために刑事二人と学芸員を利用する。

 狙うのに一番いいのは、絵を移動させるタイミングだ。詳細な計画は、一番頭のいいダフネが考える。とにかく木曜日まで情報を集める。急がなくても、エメシェはいろいろと話してくれるだろう。ディアナが聞かなければ聞かないほど、エメシェはディアナの気を引こうとして、話したがるに違いないのだから。

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