#14:第5日 (6) ウヴェア島

 警察を出て、大急ぎでココティエ広場へ行って、常駐しているタクシーを拾う。飛行場に着くのは出発の5分前くらいだろう。買い物をしてる時間もない。しかし、ロレーヌの荷物も回収できたし……って、やけに小さい鞄だな。着替えとか入ってるのか?

「いいえ、着替えは日本へ送ったスーツ・ケースに入ってる。これには、財布とパスポートとスマートフォンテレフォン・アンテリジャンハンカチムシュワールと化粧品と……」

 じゃあ、ウヴェア島に行ったら着替えはどうするつもりなんだよ。またメグのを借りるのか? 下着のサイズは合わないだろ。いくら楽園だからって、裸で生活はできないんだぜ。そりゃ、向こうも未開の僻地じゃあるまいし、商店くらいあるだろうけどさ。

 タクシーの運転手に頑張らせて、10分かっきりでマジャンタ飛行場に着いた。離陸の5分前だが、狭い飛行場だけに、入り口からチェックイン・カウンターは目と鼻の先ストーンズ・スロウだし、搭乗口はすぐ横だ。もちろん、俺たちが最後の客であるらしく、地上スタッフにせき立てられながらタラップを上がる。荷物は全部機内持ち込みにしたが、大きさも重さも問題ないはず。

 飛行機はパン島イル・デ・パンへ飛んだときよりもさらに小型で、40席ほどしかない。埋まっているのはその半分ほど。しかし、左右2列ずつの座席なので、一人だけ離れてしまう。もちろん、俺が離れる。女一人を離れさせると、文句を言うに決まっているから。

 すぐに飛び立って、グランドテール島を離れ、北へ。右の窓に、ロワイヨテ諸島のリフー島とマレ島が見える。どちらもパン島イル・デ・パンの数倍も大きい島だが、目指すウヴェア島はパン島イル・デ・パンより狭く、三日月のように細い形だ。三角形の環礁の一辺だけが残っていて、凹凸の具合からタツノオトシゴシーホースにも見える。


 40分でウヴェア・ウルプ飛行場に到着。ホテルから迎えの車が来ていた。日本人観光客と共に乗る。運転手はカナック。フランス語と片言の日本語を話す。

 ところで、日本人観光客が俺たちの方を見ながらひそひそと何か話し合っている。俺のことは見ていない。メグとロレーヌを見ているのだろう。ロレーヌはともかく、メグの美しさを褒めそやされるのは嬉しい。彼女の顔は日本人も好みだと思う。

 走り出して5分ほどで海岸線に出た。日本人たちが歓声をあげる。ロレーヌも窓に張り付く。なにがしかの記憶を呼び覚まされたか。

 地図を見て判っていたことだが、ウヴェア島南部の西側の浜は、綺麗な弓なりのビーチが続いている。その南端から、すぐ隣のムリ島に橋でつながっていて、そのムリ島の西側――正確には北西側だが――も弓なりのビーチだ。

 ちょうど日没直前で、赤くなった水平線を挟んで、上には薄暗い空、下には青黒い海が広がっている。絵に描いたような夕暮れの海だ。そういえばメグと、毎晩二人でビーチで月を見ようと約束したが、昨日は果たせていない。今夜は見ることにしよう。ロレーヌが邪魔だが、近くで放っておけばいい。

 ムリ橋を渡るときにまた歓声が上がり、そこからすぐホテルに着く。パラディ・ドゥヴェア、つまり“ウヴェアの楽園”。フカマチ氏が言っていた『楽園に一番近い島イル・ラ・プル・プロシュ・ドゥ・パラディ』から採ったのだろう。ホテルの支配人は日本人! 本当に、日本人の観光のための島だ。

 天井の高いロビーで、チェックインの手続きを待つ。メグがやってくれている。ロレーヌはソファーに座りながら、辺りを見回して、そわそわしているように見える。手洗いに行きたいのか。違うな、外に出てみたいんだろう。“思い出の地”かどうか、気になってるんだな。

 ただ、このホテルはわりあい新しそうなので、10年前にあったかどうか怪しい。彼女がウヴェア島へ来たとしても、違うところに泊まっただろう。

 優しいメグは日本人たちに先にチェックインさせたので、俺たちが最後になった。ここでも泊まるところはバンガローで、本館を出て、ボード・ウォーク沿いの左右に計20棟ほど並んでいる。海側はスイートで1棟1室、陸側はコネクティング・ルームにもなる1棟2室だ。寄棟屋根ヒップ・ルーフで、どことなく日本建築を思わせる。その一番北の端のコネクティング・ルームへ入る。隣は本日空き部屋。

「2室を使ってもよかったのですが、1室で十分広いし、ソファー・ベッドが使えると言われて……」

 しかしそのソファーは狭くて、ベッドとして使えそうにないが、どうせ3人でベッドに寝ることになるだろうから、どうだって構わない。そういえば、メグはチェックインの時に3人をどういう関係として記載したのだろう。まあ、気にしないでおくか。

 ロレーヌがさっきから窓の外を気にしている。部屋の中の検分は後にして、外へ出る。海とビーチは夕焼けの残照で赤く染まっていて、暗くなった上天には星が輝いている。他のバンガローを見ると、テラスの椅子に座って夕焼けを眺めている客たちがいる。俺もあれをやりたいと思っていたのだった。

 ロレーヌが一人でビーチを北へ歩き出す。ここへ来るまで、俺から1ヤードとは離れようとしなかったというのに、どうやら少し安心し始めたようだ。この時とばかりに、メグが腕を組んでくる。その笑顔も明るい。やはり夕方からここへ移動したのは正解だった。しかし、やはり二人きりで来たかった。

 どんどん夕闇が濃くなっていく中を、ロレーヌが歩いていく。後からゆっくりと追いかける。ムリ島の北の端に近い、少し尖った岬のようなところに来た。岬は岬でも、ビーチだ。少し向こうに、さっき渡ったムリ橋が見えている。立ち止まっているロレーヌにようやく追い付く。日は暮れ果てて、表情はほとんど闇に溶け込んでいる。

「何か思い出したか」

「ここかもしれない……」

 確信がないのは、明るいところで見てないからだろう。朝になってから見たら、思い出すかもしれない。それにはあと10時間ほど待つ必要がある。

「もしここだとしたら、どうなるんだ?」

 根本的なことを訊いてみる。“思い出の地”というのは、その場所を憶えているときは、過去の記憶との異同を確かめ、昔を懐かしむために訪れる。憶えていないときは、その場所を記憶に刻むために。ロレーヌの場合は後者だが、この場所を記憶してどうしようというのか。

「解らない。ここだった、って思って、終わってしまうかもしれない。でも、今度は確実に憶えて、次に機会があれば来てみたい、って思うかも」

「どうせならもっと楽しい思い出を作ってから帰る方がいいんじゃないか」

「例えばどういうの?」

「それは今から考える」

 俺なら、メグと一緒に来たというだけで十分楽しいけどな。本当に、どうして二人きりじゃないんだろう。夜中にロレーヌの寝てる隙に、二人でビーチに出たりした方がいいんだろうか。

 西の空が黒くなった代わりに、東の空に月が昇っている。満月の一歩手前というところだ。メグに満月がいつだか調べてもらっていたが、明日とのこと。

 その月明かりの中、バンガローに戻る。メグが上機嫌の顔でスーツ・ケースを開け、服をクローゼットに吊している。1泊で帰る選択肢がなくなったようだ。

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