#14:第2日 (4) ピッシンヌ・ナチュレル (2)

「落としたのはどういう指輪?」

「結婚指輪なの。なくしたら、夫に嫌われちゃうわ」

 女が冗談めかして言う。いや、夫に打ち明けて一緒に探せよ。

 夫はどこに? 向こうの方にいるけど、どこか判らない? 1時間くらい前から別々に楽しんでる? 1時間前から水の中に入ってるんだったら、指だってふやけてるだろ。どうして指輪が外れるんだよ。

「砂を触っているうちに、指輪と指の間に砂が入って、痛くなって外したの。水着の紐に通しておいたんだけど、後でこの辺りで紐を結び直したから、その時に落としたのかと思って……」

 ビキニの紐って、そんなにしょっちゅう外れるものなのか? 探してやってもいいけど、その時に外れないでくれよ。

 それと、夫も呼んで一緒に探させようぜ。この場所を忘れるかもしれないから、夫を探しに行けない? いや、俺がしばらくここに立っててやるから、その間に呼んで来いよ。

「時間がかかったらあなたに悪いわ。二人で探せばすぐに見つかるかも」

 胸を揺らしながら頼んだって、今の俺の心は動かないぞ。まあ、紳士だから淑女には親切にはしてやるけどな。

 しかし、ゴーグルを着けて水底を見たって、指輪なんて簡単に見つかるもんか。砂にちょっとでも埋まってたら見えない。かといって、足や手で砂を払いながら探しても、そのせいで逆に埋まるかもしれないし、迂闊なことはできない。

 15分ほど探し回ったが、見つからない。水底で口を開けているシャコ貝の中に入ったんじゃないのか。

 女は常に俺の方に尻を向けて探している。どういう意図があるのかは判らない。

「しばらく一人で探しててくれ。道具を取ってくる」

 言い残して、岸へ向かう。木陰にメグが立って、俺の方を見て微笑んでいる。どうして座ってないんだろう。

「座ってしまったら、あなたが見えませんから」

「俺のことをずっと見てた?」

「ええ」

「さっきから俺の近くに見知らぬ女性がいることも知ってる?」

「ええ」

 まさか、嫉妬なんかしてないよな。女がいる理由は言わず、魚網フィッシング・ネットを持っているか訊く。さすがメグ、トート・バッグの中に小さな魚網を入れていた。目が十分小さいので使えそうだ。それを持って女の元へ戻る。

「ああ! 戻って来てくれたのね、よかった! 何を持って来たの?」

「魚網だ。これで底砂をさらってみる。指輪があれば一緒にすくえるだろう」

 俺がさっき探したところではなく、女が探していたあたりの底砂をすくう。何度目かに、見事に指輪が網にかかった。しかし、なぜ二つ?

「君が落としたのは金の指輪、それとも銀の指輪?」

 両手に一つずつ持って訊くと、女が笑っている。

「いいえ、鉄の指輪ですって言った方がいいのかしら? でも、私が落としたのは金の指輪よ」

 試しに指にはめさせてみると、ぴったりだった。もう一つの方は二回りほどサイズが大きい。

「ありがとう! あなた、ル・メリディアンに泊まってる? 後で部屋に何かお礼を持って行くわ」

 断る。そんなことをしてもらうと、メグと二人きりの時間が減る。

 女と別れ、もう一つの指輪をどうするかだが、水の中に戻すわけにもいかないので、ホテルへ持って帰って、落とし物として届けることにする。ひとまず、メグの元へ戻る。

「何かすくえましたか?」

「指輪を一つ」

 メグの前に差し出すと、両手で受け取ってくれた。目を見開いて驚いている。

「まあ! これを探してらしたのですか?」

 改めて、さっきの女のことを説明する。金の指輪と銀の指輪の話をするとメグも喜んでくれた。

「解りました。おっしゃるとおり、これはホテルへ届けましょう。そのお客様のお名前も調べておきます」

「別に会いたいとは思ってないけど」

「私があなたの代わりに何かした方がいいかもしれませんから」

 でも、顔が判らなきゃ名前も調べられないぜ。え、顔は憶えてる? ずっと双眼鏡で見てた?

「だって、あなたが溺れられたら、すぐ助けに行かないといけませんから。ご安心ください、その女性のことはほんの少ししか見ていません。ほとんどずっとあなただけを見ていました」

 俺のことしか目に入らない、って言いたい? そこまで熱烈に見てくれるのなら、一緒に水に入って、すぐ横に付いていてくれればいいのに。

「もうしばらくここで過ごされますか?」

「そうしよう」

 とりあえず、水を飲むことにする。ずっと日向にいるので汗をかいている。メグがトート・バッグの中からミネラル・ウォーターのボトルを出してくる。封は切られていない。

「君は水を飲んでないのか」

「私は自分用のを飲みました」

「そっちはまだ残ってる?」

「ええ」

「それが飲みたい」

 メグが嬉しそうな顔をしてトート・バッグの中から別のボトルを出し、「どうぞヒア・ユー・アー!」と両手で差し出す。メグが口を付けたものに俺も口を付けたいなんて、中学生並みの発想だが、「仕事中のメグ」に何かいたずらするとしたらこれくらいしかない。

 キャップを開けて水を一口飲み、メグに差し出す。メグがキスをするかのようにボトルに口を付け、ほんの一口飲む。キャップを渡すと閉めて、トート・バッグに戻した。

「行ってくる」

お気を付けてステイ・セーフ!」

 あくまでも付いてこないつもりだ。朝に考えたとおり、足の着かないところに行って溺れてやろうかと思う。

こんにちはボンジュール、ムッシュー」

 しかし、深みへ行くまでにやはり女から声をかけられた。振り返ると女の二人組。ショート・ヘアで痩せた女と、ロング・ヘアで胸が大きい女。彼女らもキー・パーソンズなのか。

「ハロー、何か用ワッツ・アップ?」

「一人で来たの?」

「いや、向こうでパートナーが待ってる」

 さっきと同じ受け答えをする。で、君らは何を落としたんだ。

「それはオム? ファム?」

淑女レディーだ」

 俺がゲイに見えるのか。それとも、もしかして彼女らが同性ペアなのか。

「どうして一緒に来ないの?」

「はしゃぎすぎて、ちょっと休憩中だ」

 どうして一緒に休憩しないのか突っ込まれたら困るのだが。

「向こうの深いところへ泳ぎに行かない?」

「あいにく、泳げないんだ。だから、足の届かないところへは行けない」

 俺、溺れようとしてたんじゃなかったっけ。まあいいか。

 それにしても、どうして俺が海に入ると、深いところへ誘う女が出現するのかな。そっちにターゲットのヒントがあっても、今回の俺には関係ないんだけど。

 いや、あるいは俺が競争者コンテスタントだと思っている奴がいて、そいつが差し向けてきたのかもしれんな。前例もある。しかし、俺は競争者コンテスタントらしい行動をしているはずがないんだがなあ。

 二人組は諦めて行ってしまった。一人になり、腰の深さほどのところで、顔を水に浸ける。相変わらず俺の近くに魚はいない。足元にはナマコシー・キューカンバーが何匹かいるばかり。

 ちょっと思い付いて、息を大きく吸い込んでから潜る。周りが水だけの世界になる。透明度は素晴らしく、数十ヤード先まで見えている。人もいるし、魚もいる。人の水着は全部緑に見える。

 30秒ほど我慢してから、立ち上がる。空気の世界に戻ってくる。振り返ってメグがいるあたりを見たが、こちらに来る様子はない。俺が溺れていないことが判っているらしい。少し悔しい。

 潜るのを何度か繰り返したら、疲れてきたのか、息を止められる時間がだんだん短くなってきた。海を十分堪能したので、メグの元に戻ることにした。

 メグが笑顔でバス・タオルを渡してくれる。身体を拭いて、もう一度水を飲み、手をつないでホテルへ戻った。

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