#14:第2日 (5) ランと洞窟

 本館のところでメグと別れる。メグは落とし物を処理したり、借りた備品を返したりしなければならない。

 一人でバンガローに戻り、シャワーを浴びて着替え、冷蔵庫からオレンジ・ジュースを出して飲む。空調が適度に効いていて気持ちいい。

 しばらくしたらメグが戻ってきた。オレンジ・ジュースを飲んでいる俺を見て、曖昧な笑みを浮かべている。「オレンジ・ジュースをお出しするのは私の役割なのに」と思っているのかもしれない。

「搾りたてのオレンジ・ジュースをお飲みいただこうと思って……」

 袋を持っていると思ったら、オレンジを入れてきたようだ。

「喉が渇いているから、それも飲むよ。ぜひ作ってくれ」

「かしこまりました!」

 とても嬉しそうにジュースを作り始めた。ソファーに座って、ミニ・キッチンに立つメグの後ろ姿を見ていると、俺も幸せを感じる。できれば隣に立って一緒にやりたいのだが、きっとメグは許してくれないだろう。対等の関係になるにはどうすればいいのやら。

「お待たせいたしました」

 メグがフレッシュ・オレンジ・ジュースの入ったグラスをテーブルに置く。立っているので、指示して座らせる。ずっと笑顔で俺の方を見ていて、目が「早くお飲みください」と言っているのが判る。ストローに口を付けて飲む。メグの手の味がするのは気のせいだろう。

「君も一口飲んでみてくれ」

「自分の分は別に用意しますが……」

「これを飲んでくれる方が、俺は嬉しいんだけど」

「かしこまりました。いただきますアイル・トライ!」

 メグが笑顔でジュースを一口飲む。こうして一緒に楽しむのがいいことなのだと教え込む。もちろん、メグが少し渋っているのは仕事中だからで、そうでない時間帯にはもっと喜んでくれることと思う。

 時計を見る。スーパー・ボウルの中継が終わったのが3時で、ピッシンヌ・ナチュレルで2時間ほど遊んだから、もう5時過ぎだ。日没は6時半だから、そろそろランニングに行かねばならない。

「でも、オルタンス女王の洞窟は4時で閉まっていますわ」

 観覧時間は9時から12時までと、2時から4時まで。もちろん。ゲートがあるわけでもなく、入場料を払う小屋に人がいる時間帯であって、いなければ小屋の窓口に金を置いて入ることもできるらしいが……

「聖地かもしれないし、勝手に入るのはよくないかもな」

「私もそう思います」

「でも、小屋までは行ってみようか」

「では、準備します」

「ちょっと待て」

 またあのドルフィン・ショーツに穿き替えるつもりだろうが、あれは太腿をさらしすぎているので、いけないと注意する。

「でも、虫は少ないですし蛇もいませんし、危険はないと思います。それに、動きやすいですし……」

「そうじゃなくて、君の太腿を他の男に見せたくないって言ってるんだよ」

あら、まあオー・マイ!」

 珍しく、メグが口元を押さえて驚いている。少し頬が赤くなった。

「気が付きませんでした。私が見好みよい姿でいる方が、他の方々から見たときに、あなたにとって誇らしいことかと思って……」

「君が綺麗な姿でいることはもちろん望ましいし、君と一緒にいることを羨ましく思われるのもいいんだけど、君に魅力がありすぎて嫉妬されることまでは望まないんだよ」

 本心とはちょっと違うが、それっぽい理屈を付けてみる。

「かしこまりました。あなたがとても素晴らしいので、私もそれに見合う姿をしなければいけないと思って、張り切りすぎましたわ。もう少し抑えめにします。ロング・パンツにしますね」

 今一つ理解しきっていないような気がするけれども、人前でセクシーさを抑えればいいということだけ判ってもらえればいいかと思う。

 で、今回はやっぱり俺の目の前で着替えるの? 下だけで、全部脱がない時は見ていてもいいのかなあ。俺はシャツからパンツまで全部着替えるんだけど。

 着替えたら、朝と同じく本館まで行って、自転車を借りるメグと別れ、先に走り出す。すぐにメグが追い付いてくる。ロング・パンツなので麗しい太腿は見えず、安心する。伴走しているだけなので、すごい勢いで漕ぐわけでもないから、ロング・パンツで何の問題もない。買い物に行くのと同じだろう。

 三つ辻まで走って、朝はここで折り返したが、北へ行く。1マイルほどで飛行場への道が左に分かれるが、さらに北へ。4分の1マイルほどで、未舗装の小道に入る。

 やはり4分の1マイルほどで、洞窟前の小屋に到着。もちろん、小屋は閉まっているし、洞窟へは森の中を少し歩かねばならないので、ここからは見えない。

 車が1台停まっている。どうやら先客がいるようだ。そして小屋の窓口の前にコインや紙幣がたくさん。時間外に入ったのはその先客だけではないようだ。

 入るには一人250CFPフラン。約2ドル半は安いと思う。入ろうと思っていなかったが、どうしようか。

 そもそも、窓口の閉めた鎧戸シャッターに料金を書いた紙が貼り付けてあるということは、時間外に入る客がいることを想定しているのだろう。

 しばらく考えているうちに、話し声と足音がした。森の中から誰か来る。現地人らしい男と、日本人らしい男女。メグが現地人にフランス語で話しかけ、「時間外に入っても何も問題ないそうです」と言う。そういうことなら入ることにする。

 日本人の女が嬉しそうにフランス語で「さようならオ・ルヴォワール」と言ったので、俺も挨拶を返しておく。俺とメグは新婚旅行客に見えてくれただろうか。

 小屋から先は道が細くなっているので、「危ないから」と言ってメグの手を取る。メグが嬉しそうに握り返してくる。俺が何かと理由を付けて手を握ると嬉しそうにしてくれるので、もっと握ってやった方がいいかもしれない。ただ、ホテル内ならバンガロー以外ではよろしくないだろう。

 もとより、道が狭いので、横に並んでは歩けず、俺が先に行く。原生林と思われる、椰子と羊歯シダが生い茂る小道だ。

 程なく、洞窟の前に到着。鍾乳洞らしく、鍾乳石スタラクタイトがびっしりとぶら下がっている。折れて槍のように降ってきそうな気もするので、ヘルメットが欲しいところだ。

 名前の由来は、部族内の抗争中に、オルタンス女王が身を隠したという伝説から。当時はオルタンスの父が王で、息子がいなかったため、娘であるオルタンスを後継者に決めた。しかし王の弟、すなわちオルタンスの叔父はその決定に承知しなかったので、混乱が治まるまでオルタンスは1年間ここに身を隠したのだという。

 洞窟の中に細い水路があり、粗末な木橋が架かっている。それを渡って奥へ行き、見上げると天井に穴が開いていて、光が降ってくる。夕方の赤っぽい光なので、岩が赤く照らされて、なかなか幻想的だ。

 オルタンスはこの一番奥に潜んでいて、食料を運んでくれる彼女の友人二人以外、誰も居場所を知らなかったらしい。食料は上の穴から降ろしたそうだ。

 もっと奥もあるのだが、暗くて何も見えない。灯りも持って来てないし、怪我をすると危ないので、この辺りで引き返す。

 中から外を見ると、巨大なトンネルの出口が原生林で覆われたように見える。冒険映画の撮影をするにはちょうどいいだろう。そして主人公ヒーローとヒロインがここに隠れ、冒険の合間に愛を誓い合ったり……というのはハリウッド映画の定番の展開で、俺としてはあまり面白くないと思う。愛を語るなら月夜のビーチの方がいい。

 入り口あたりの崖を少し登ったところに木で櫓が組んであって、女の像が立っている。もちろん、オルタンス女王だろう。しかし、周りに汚れた布がぶら下がっていて、見栄えが悪い。もう少しどうにかならないものか。

 十分に見たと思うので、ホテルへ引き返す。日が暮れるまでに戻らないと、途中に灯りがなくて難儀する。何しろ、自転車にもライトが付いていない。

 途中で暗くなってきたが、夕闇に目が慣れてくるとそれなりに見えるもので、7時少し前にホテルに無事着いた。

 このまま夕食に行くとまたメグに怒られるので、バンガローへシャワーを浴びに戻る。本日3度目のシャワーだ。メグは自転車を返し、シャワーを浴びて着替えるついでに、夕食の相手を探すと言っていた。今夜は心当たりがあるらしい。まさか、ピッシンヌ・ナチュレルで俺に声をかけてきた女ではないだろうな?

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