#14:第2日 (3) ピッシンヌ・ナチュレル

 第51回スーパー・ボウルはペイトリオッツの大逆転勝利で幕を閉じた。MVPはトム・ブレイディだったが、どう考えてもジェイムズ・ホワイトに与えられるべきだった。

 ラッシング6回29ヤード2TDタッチダウン、レシーヴィング14回110ヤード1TDタッチダウン、2ポイント・コンヴァージョンでのラン成功1回。合計20得点。最後のTDタッチダウンもホワイトだ。これでなぜMVPでないのか理解に苦しむ。もっとも、ブレイディもそう思っていて、明日のインタヴューで「ジェイムズ・ホワイトがMVPに値する」と発言するはずだ。

 とにかく、メグもゲームを楽しんでくれたようでよかった。「本当にすごい逆転カムバックでした!」。そりゃそう思うだろう。最後、TDタッチダウンの瞬間に興奮して抱き付いてくれたらもっとよかった。

 さて、ゲームの感動の余韻を味わいながら、ピッシンヌ・ナチュレルへ行こう。向こうに着替え場所はないらしいし、ここで水着に着替えて、その上にポロ・シャツを羽織るつもりなのだが、メグも水着に着替えると言ってたよな。俺はベッド・ルームで着替え、メグは……バス・ルームで着替える? 見ててはいけないのか、そうか。境界線ボーダー・ラインが難しいなあ。

 買ってきてくれたダーク・ブルーのスイム・ショーツに穿き替え、メグがバス・ルームから出て来るのを待つ。

「お待たせいたしました」

 出て来たが、見かけ上、変わりがない。マイアミ・ドルフィンズのスタッフ、じゃなくて、マリン・グリーンのポロ・シャツに白のタイト・スカート。水着はその下に着ているということか。せめてラインくらい透けて見えないものか。

「水着の色を訊いてもいい?」

「白です」

 メグにふさわしい色だな。ここで見せてくれなんて言うと「紳士らしからぬ要求」などと言われそうなので、やめておく。

 バンガローを出て、例の三角屋根の建物へ向かう。その先の橋を渡る手前で、ピッシンヌ・ナチュレルへ行く道が分かれる。朝に見たヨットの近くに案内看板が立っていて、フランス語、英語、日本語が書かれている。

 椰子の木が立ち並ぶ白砂の上を歩いて行くと、4分の1マイルほどで道が行き止まって、ここからは水の中を歩く。足首くらいまでの深さだ。

 少し後ろを歩いてくるメグの顔を見る。メグが笑顔を返してくる。

「水の中で転ばないように、手を握っていてあげるよ」

「ありがとうございます!」

 左手でメグの右手を握り、俺が少し深い方を歩く。深いと言っても1インチも変わるものじゃない。

 水の中も白い砂。ところどころ、小石や貝の破片が落ちているのが見える。裸足では痛いだろう。俺はスポーツ・サンダルを履いていて、メグはウォーター・シューズを履いている。なかなか用意がいい。

 しばらく水の中を行くと、小さな岩があって、そこに看板が立っている。"PiSCiNe NATUReL"。大文字と小文字の交ぜ書き。メグが何か言う。最後に"Le"が足りない? まあ、スペースが足りないから。

 矢印が左の方を指しているので、そこでまた陸に上がる。別に、ここからずっと水の中を歩いても行けるはずだが、もっと深くなっているところがあるのだろう。

 陸に上がると、今度は林の中を歩く。砂地だが、ところどころに木の根が出っ張っていて、それを踏まないようにしないといけない。

 5分ほどで林を抜けると、そこがピッシンヌ・ナチュレル。エメラルド色の水が湖のように広がっている。海とつながっているのだが、細くて浅い水路なので、波が入ってこない。だから風で立つさざ波しかない。熱帯魚がたくさん入ってきているので、水に潜ればそれを見ることができるはずだ。

 ところで、さっきからずっとメグと手をつないでいる。水から上がって、転ぶ心配がなくなっても、手をつないだままにしていた。しかしメグは何も言わない。むしろ嬉しそうに手を握り返してきていた。

 私情に近いが、境界線ボーダー・ラインよりも仕事の側に含まれていたと思われる。ただし、このまま水の中へ連れて行こうとすると、やんわりと断られるに違いない。

 メグには荷物を持って木陰で待機してもらい、シャツを脱いで、一人で水の中へ入っていく。緑が濃くなっているところが深いのは解るので、そこには近付かないようにする。時々、水の中から丸い岩がが、水面のあたりが細くなって、マッシュルームのような形をしている。もちろん、長い年月をかけて波で削られたのだろう。

 周りには他の観光客がいて、腰まで浸かったり、潜ったりしている。ずっととどまって下を向いているのは、魚の群れでも見ているのだろう。

 俺の周りにはなぜか魚が寄ってこない。これはいつものことだ。キー・パーソンには好かれても、動物には好かれないらしい。メグを連れてきたら魚が寄ってくるかもしれない。しかし、あの綺麗な白い肌を魚につつき回されても困るので、連れてくるのはやめておく。

 泳げないので、足の着く深さのところで、ゴーグルとスノーケルを着けて水の中を覗く。白い底砂が広がる中に、ところどころ珊瑚の塊がある。その周りを魚が泳ぐ。

 熱帯魚のはずだが、色とりどりではない。白と黒が多い。名前を知っているような、知らないような、いろいろな魚が泳いでいる。なぜかあまり感動はない。魚が俺を無視しているからだろう。手を伸ばして寄ってくれば可愛らしく思えるのだろうが、そんなことにはならない。

 もしかしたら、魚には俺が見えていないのかもしれない。仮想世界の中で閉じている、とか。だから奴らと俺が接触するのは、奴らが料理されて食卓に並ぶ時だけ……我ながら滑稽な妄想だと思う。

 水底に波形の割れ目がある。シャコ貝が口を開けているのだろう。一生そこにとどまっているつもりだろうか。それでよく生きていられるものだ。

 珊瑚に紐が絡まっている。ウミヘビかもしれないので近付かないでおく。ところで、この仮想世界で毒のある生物に刺されたり噛まれたりしたら死ぬのだろうか。さっき、ミノカサゴを見たような気がするので、注意しているのだが。

 まあ、もし向こうに俺が見えていないのだとしたら、こちらから手を出さない限り刺される、噛まれることはない、ということになる。動物が俺を無視するのは、そういうトラブルを避けるための仕様かもしれない、という気がしてきた。

こんにちはボンジュール、ムッシュー」

 しかし、やはりキー・パーソンは無視してくれない。いや、待て。俺は休暇ヴァケイション中であって、キー・パーソンなど存在しないはずだ。それでも俺に声をかけてくるのは、これまでの例から考えると、他の競争者コンテスタンツにとってのキー・パーソンということになる。下手をするとターゲットを保持している人物だったりして、関わり合いになるとろくなことが起こらないのも判っている。

「ハロー、何か用ワッツ・アップ?」

「一人で来たの?」

 振り返ると若い女がいた。童顔のくせにプロポーションがやたらとよくて、いわゆる“危険な曲線デンジャラス・カーヴ”だ。ビキニの水着の面積が極端に少ないが、見せつけるためだろうな。

「いや、向こうでパートナーが待ってる」

 恋人とも言えずガール・フレンドとも言えず、さりとて世話係とは言いたくないので、仲間パートナーということにしておく。ただし、配偶者パートナーと受け取ってくれるかもしれない。

「この辺りで指輪を落としたの。探すのを手伝ってくれる?」

 なぜそんな物を落とす。だいたい、そういうのは水の中に入る前に外しておくものだろう。不用心にも程がある。

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