#13:第8日 (5) 過去の美人
「ところで、どうしてケルソネソスへ?」
イリーナがキャンプへ行くときのようなわくわく顔で訊いてくる。遺跡に興味があるのだが、昨夜までケルソネソスのことに気付かなかった、と苦しい言い訳をしておく。
「君は一度行ったことがあると言ってたけど、いつのこと?」
逆に訊くことでごまかす。
「4年前です」
「君も遺跡に興味が?」
「あら、いいえ、違うんです。実は、“黒海の真珠”という美人コンテストがあって、ウクライナ代表として出場を……」
何だと?
「ほう! それは素晴らしい。それで、
まさかイリーナがターゲットの情報源だったとは。もう少し会う時間を増やしていれば、もっと早く気付いていたかもしれないということか。しかし、そんな暇は見つけ出せなかったって。
「いいえ、
「それでも素晴らしい。前の方の席に、今年の
「あら、そうだったんですか? 気付きませんでした」
たぶん、俺のことしか見てなかったからだろう。
「そうかもしれない。だって、彼女たちより君の方がずっと美しいよ」
「まあ! そう言っていただけると、とても嬉しいです!」
イリーナがわざとらしく俺の腕にしなだれかかってきた。しかし、お世辞ではなくて、コニーにも言ったが、今年の
飛行機が離陸してからもコンテストのことを聞く。イリーナが出場した4年前は第7回なので、今年は第11回。黒海周辺だけでなくポーランドやカザフスタン、ロシア内の自治共和国の代表が来ることもあるらしい。全部で14、5人。
ファッション・モデルのように何種類もの服に着替えて、ステージで歩いたり踊ったり、プール・サイドで水着になったり。イリーナの水着姿はぜひ見てみたいが、今はそんな妄想をしているときではない。
優勝はもちろん一人、
「その頃は今よりもう少しやせてたんですけど……」
「君は今のプロポーションが一番いいと思うよ」
「まあ! とても嬉しいです!」
コンテストの審査員はどう言うか知らないが、俺の好みだから仕方ない。審査項目の中に学校の成績が含まれていれば、イリーナが優勝したと思う。財団に就職できたということは頭がいいのだろうし、学業を頑張っていたに違いないから。
ところで、水着審査というのは時代によって廃止されたり復活したりする。“美人”に何を求めるかに依ると思うのだが、容姿を重要とするならやればいいし、知性や思想が大事ならやらなくてもいいだろう。
いっそ、コンテストが“水着審査あり”と“なし”の2種類あってもいいんじゃないかと思うが、このステージには関係ないので、深く考えるのはやめる。
それにしても、イリーナが
待てよ、彼女に腕時計をかざして獲得を宣言したときに、どう判定されるかを確かめればいいだけじゃないのか。確か、音と振動で知らせる機能があったよな。
しかし、彼女を右の窓際に座らせたので、左手を近付けると少々不自然な体勢になる。飛行機を降りてからにしよう。時間はまだある。
「研究所では、
「だって、容姿と研究内容は関係ありませんから」
いいことだと思うが、そもそもイリーナ以外も美人ばかりだった。研究所だけじゃなくて、オデッサの町全体がそうだ。おそらくウクライナ全体がそうなんだろう。だから"beauty"が美人のことだと気付くのに遅れた。恐ろしく念の入った目眩ましだ。
しばらくコンテストのことを聞く。4年前のことだからかイリーナはよく憶えていて、水着のデザインまで教えてくれた。ビキニとワン・ピースを自前で両方用意する他、主催者が提供する出場者全員共通のデザインのものがある? どれも見てみたいが、今それを言うわけにはいかない。
予定よりも5分早く、10時45分にセヴァストポリ到着。席が後ろの方なので、出るのを待たないといけない。美人たちはもう行ってしまった。追い付くのは難しそうだ。さりげなくラーレに近付き、挨拶する。
「帰国直前にお寄りになったんですね。こちらの女性は? あら、財団の研究所の!」
いや、二人で歩いてるところを君に撮られたんだけど、憶えてないのか。映像を見返しても、構図やポーズばかり気にして、顔を見てないのかなあ。
「君はどうしてこっちへ?」
「“黒海の真珠”という美人コンテストからお誘いがあって。コンテスト自体はもう終わっていて、受賞者も決まったんですけど、プロモーション・ヴィデオの撮影を見せてもらってるんです」
なるほど、やはり彼女も関わっていたのか。しかし、いつからこのコンテストを知ってたかが問題だよ。昨日の朝、一緒に食事したんだから、その日の予定をもっと詳しく聞いておけば、「美人コンテストの取材に」とかいう情報が出てきたんだろう。今さら思い付いても遅い。
「君の映画が合衆国で公開されたら見に行くよ」
「ありがとうございます。大きな賞をいただけるように努めますわ」
マイアミへ行きたい、とは言われなかった。彼女の場合、カメラを通して見る俺の姿にしか興味がないからだろう。
飛行機から降りると、すぐにレンタカー会社へ向かう。手荷物を預けていないので早々に出発できる。
車にはナヴィゲイションが付いていなかったので、俺が地図を見て道案内しなければならない。ケルソネソスまで、直線距離では近いのだが、道は一直線でなく、湾を回り込んだり山を越えたりしないといけないので、3倍くらいの距離になる。
イリーナも慣れない道なので、集中力が要るのか、口数が少ない。俺も地図を見るのと、イリーナのスカートがずり上がって太股がよく見える仕組みを鑑賞するのとで、頭がいっぱいだった。
30分ほどかかってようやく市街地に入り、気が落ち着く。
「町を見て4年前のことを思い出した?」
「いいえ、全く。あの時は、どこへ行くにもバスに乗っているだけで、道はさっぱり憶えてないんです。海辺の景色のいいところへ行っても、それがどこだか判らなくて」
わりあいいいホテルに泊まらせてもらったり、海が見えるプールへ撮影に行ったりしたのだが、その場所が判らず、観光もコンテストの合間にケルソネソスとグラフスカヤ・プリスタニという海辺の公園に連れて行ってもらったくらいだそうだ。
ようやくケルソネソスに到着。北向きに突き出した小さな半島の一角に広がる遺跡群だった。現役の聖堂や、発掘品を収めた博物館もある。
バシリカの跡は三つあるのだが、そのうちの"1935 basilica"が特に有名であるらしいので、そこへ行く。
野原の中を歩くと、周囲に家々のものと思われる壁の一部が点在していて、いかにも遺跡らしい風景だ。
バシリカは海辺の低い崖の際にあり、入口とその周囲の壁、教会堂を支えたであろう列柱の一部が残っている。あの入口がゲートだろう。
"1935"というのはこのバシリカが発掘された西暦を指すらしい。他のところに比べても群を抜いて綺麗に壁が残っているが、たぶん一部は復元されたのだろう。ウクライナの前の紙幣にもデザインされていた、とイリーナが教えてくれた。
石の壁の中央に門が開いている。石の表面がコンクリートで塗り直したかのように綺麗だ。
「これは憶えてる?」
「ええ、よく憶えてます」
二人で壁を眺めるが、まだ入口をくぐらずに、崖の方へ行こうとイリーナを誘う。崖と言っても数フィートの高さしかなくて、飛んで降りることもできそうだ。実際、降りられて、波打ち際まで行ける。しかし降りずに、海を眺める。
北西にはオデッサがあるはずだが、水平線の彼方に陸地らしき影が見えるだけだ。黒海というのはやはり広かった。
「綺麗な景色ですね」
言いながらイリーナが身を寄せてくる。肩を抱いて欲しそうなので、その期待に応えてやる。
彼女を左に立たせたので、腕時計を近付けることができる。肩に手を置くと、手首に振動が伝わってきて……3回震えて1回休み! これは確か“真”の場合のパターンではなかったか? そのセットが5回繰り返されてから、止まった。
しかし、イリーナがターゲットだとすると、他のコンテスタントはどうやって彼女を獲得できた? あるいは、
謎だが、後でビッティーに訊くしかない。いや、ここで“獲得”を宣言すればその場で教えてもらえるかもしれないが、数分の差でしかないし、後で訊くか。
「君はいつヴァケイションを取る予定?」
「10月に……以前から、オーストリアへ行きたいと思っていて……」
「それは素晴らしい。
「ええ、でも、今は合衆国にしようと思ってるんです。マイアミに行ってみたくなって……」
どうしてみんなマイアミに来たがるんだろう。そんなたいしたところじゃないんだが。
「もしマイアミに来たら、俺が君のラボ・ツアーを担当するよ」
「本当ですか!? 嬉しいです……もし可能なら、観光案内もしていただければ……それがダメなら、お食事だけでも……」
「どれくらいできるか判らないが、最大限努力するよ」
「ありがとうございます!」
不可能なのは判っているのだが、この場でできる限り嬉しがらせてやりたい気がして、調子のいいことを言ってしまう。マイアミとマイアミ・ビーチは別の町だ、などと定番のことをしばらく話し、それからおもむろにバシリカの方へ戻る。
入口の前で立ち止まって、周りを見渡す。車を置いた辺りから、何人かの団体がこっちへ向かっている。その目から隠れるかのように、入口をくぐる。イリーナと腕を組んで。
そして人目がないのをいいことに、イリーナを抱き寄せて、顔を被せていく。イリーナが目を閉じた。獲得を宣言するのは唇を離してからにしようと思う。
クローズ時刻までまだあと5分ほどある。
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