#13:第6日 (2) What a catch!

【By 主人公】

 6時に起きて、頭の中に何かが追加されているかと確認しようとしたのだが、記憶というのは何か外部の刺激をきっかけにして引き出されるものだし、辞書の記述を変えたとかいう単純なものでもないので、やめた。着替えてビーチへ行く。

 シモナが昨日と同じところにいた。俺の姿を見てなぜか嬉しそうに跳ねている。嗜好がよく解らない。コニーはいないようだ。たぶん、寝坊だろう。起きる時間が一定してないからな。

「おはよう、シモナ」

「おはよう、アーティー!」

「テニス・プレイヤーを見かけなかったか」

「あっちで走ってるよ」

 ビーチの南の方を見る。確かに、女が走っている。あのトレーニング・ウェアはユーリヤのものだな。

「走ろうよ! レディー・セット・ゴー!」

 シモナが走って行ってしまった。俺は準備運動をしてからじゃないと走らないってのに。無視して準備運動を始める。シモナは行ったきり戻ってこない。俺が走ってないのに気付かないのか。

 入れ替わるようにしてユーリヤがこっちへ走ってきた。なぜそんな物欲しそうな目をしているのか。何もやらんぞ。俺の前まで来て走るのをやめた。

「もう1往復してきたわ」

 腰に手を当て、胸を張って言う。膨らみが大きいのは知ってるから、そんなに強調しなくてもいい。

「もっと早く来た方がよかったか」

「いいえ、あなたがだいたい6時過ぎに来るのは判ってたから。あたしもいつもの時間から走り始めただけよ。準備運動はそろそろ終わりそう?」

「あと5分くらいかな。先に走っていていいぞ。すぐに追い付く」

「そんなことしたらあなたの走ってるところが見られないじゃない」

 シモナと同じようなことを言う。

「わあ、またミス・ユーリヤ・ドブレヴァがいる! おはよう!」

 そのシモナが戻ってきた。ユーリヤはシモナのことを冷めた目で見ている。仲良くしろよ、君ら。

おはようグッド・モーニング……ミス・シモーナ・スタニスク」

 ユーリヤの言葉が英語に変わった。シモナに合わせたのだと思うが。ついでに名前の呼び方まで英語風の発音になっている。

「ミス・ドブレヴァの身体って、すごく鍛えられていてかっこいいねソー・クール! あたしもこれくらい鍛えられたらいいのになあ」

 またシモナの羨望エンヴィーが始まった。ユーリヤがむずがゆい顔をしているのが面白い。こんな風に羨ましがられることがなかったんだろう。

「テニスと体操じゃ、使う筋肉が違うでしょ。あたしみたいに脚が太くなってもいいの?」

「最近はこれくらい鍛えるのがいいって言う人もたくさんいるよ。カタリナ・ポノルだってすごく鍛えてるし。でも、あたしのクラブのコーチたちは違う考えみたいなの」

「カタリナ・ポノルって誰?」

「あたしと同じ、コンスタンツァ出身の体操競技者ジムナスト。オリンピックとヨーロッパ選手権で金メダルを獲ってるの。あたしの目標の人!」

「その目標を信じてトレーニングを続ければ、いつか達成できるわ。アーティー、そろそろ走れそう?」

「走るけど、君らより速く走るつもりだが」

「最初は一緒に走るって約束だよ! 一昨日言ってた」

「君のスピードが落ちたら置いて行く」

「それでもいいよ。レディー・セット・ゴー!」

 シモナがまた駆け出す。後を追って走り出すと、ユーリヤが横に並びかけてくる。それがなぜかすぐ隣ではなく、1ヤードほど間を取っている。なるほど、走っている姿を“見る”ためか。何だよ、その絡みつくような視線は。

 対してシモナは手をつなぎそうなくらい近くに寄って走っている。遊んでやっている犬のように嬉しそうな走り方だ。

 半マイルほど走ると昨日と同じようにシモナがへこたれた。ユーリヤは付いて来る。しかし、折り返してスピードを上げるとユーリヤも脱落した。

 シモナは昨日のように、すれ違いざまに方向転換する。が、やっぱりすぐに遅れてしまう。

 2往復目、シモナはすれ違うと折り返したが、ユーリヤは笑顔で左手を挙げた。その手にタッチしてやると"Woo-hoo!"と声を出す。盛り上がってどうするんだよ。復路も同じ。

 シモナはユーリヤの前を走っているので、タッチに気付かない。気付いてたら同じようにやりたがっただろう。

 3往復目も同じことをしたが、最後にユーリヤにタッチしたのは半マイルの辺りだった。走り終わってクーリング・ダウンをしていると、シモナが「またボール投げてよ!」と言う。

「投げるから、ちょっと待ってな」

「ミス・ドブレヴァにも見せてあげるの?」

「見たいと言うかどうかは判らんが、彼女が走っているところへ投げたら危ない」

「今日はコインに当たりそう?」

「当たると思う」

 25セント硬貨をシモナに渡す。シモナがそれを脚の間に置く。ユーリヤが戻ってきた。タンク・トップが汗だくになって、下着のラインがくっきりと見えている。いつもより速く走ったのだろうか。息が苦しいなら、そんなに無理に笑顔を作らなくてもいいんだが。

「今からアーティーがボールを投げるんだよ」

「知ってるわ。コインを狙うんでしょ」

「どうして知ってるの?」

「昨日、特別に見せてもらったのよ」

 特別、のところを強調したように聞こえた。何か良からぬ独占欲を持っているのか。

 気付かないふりをしてボールを投げる。落ちたところに走って行って、ボールを拾い上げて振り返ると、シモナがバンザイをするように両手を振ってから、1歩横にけた。半ヤードも離れていないが、間違ってシモナに当てることはないだろう。

 ボールを投げた。落下地点の砂が舞い上がる。コインに当たった感触があった。ようやく感覚と一致したのか。

「ウワォゥ! すごーいエ・ミヌナート!」

 砂と同じようにシモナがジャンプして舞い上がる。俺が向こうへ行く間に、シモナが犬のように駆け回ってボールとコインを拾い上げる。

「本当に当たったよ! こんな小さなターゲットなのに。こういうときって、“アメイジング!”って言えばいいの?」

「使い方としては合ってる」

 ユーリヤは早くもへたり込んでいる。走り疲れたのかと思ったら、「見ていると身体がゾクゾクして、膝の力が抜けちゃうから……」だった。シモナは元気に走り回っているのに、対照的だな。

 もう一度やる。また当たって、シモナが駆け回る。3回目の前にシモナが言った。

「ボールを捕りたい!」

「やめとけよ。手の骨が折れるぞ」

「大丈夫だよ。あたし、手も鍛えてるもん。握力も強いんだよ」

「じゃあ、胸に穴が開く」

「どうして胸に当たるの?」

 しつこいので、両腕と胸の間で受け止める捕り方を教え、5ヤードくらいの緩いパスを何本か受けさせる。タイミングの取り方がうまいのか、一つも落とさない。

 気が済んだようなので、またコインに向かって投げる。シモナが足下に置いたコインから1歩ける。しかし、何か嫌な予感が。

 投げようとしたとき、シモナがコインより手前に走り込んで来るのが見えた。やっぱりやりやがった!

 しかし、こんなのはゲームでも慣れている。ターゲットがCBコーナーバックにカヴァーされているのが見えたら、瞬時に手首の動きを変えてオーヴァースローする癖が付いているから。投げたが、これなら頭の上を1ヤード以上越えていくだろう。

「オー・ドムネゼウレ!」

 何か言いながらシモナが後ろへ走った。やめろ、転ぶ。ジャンプした!? 身体が宙にふわりと浮いた後で、砂の上に背中から落っこちた。

「大丈夫か!?」

 慌てて駆け寄る。まさかボールを追いかけようとするとは思わなかった。シモナが背中を丸めたまま、砂の上に横たわっている。ユーリヤも立ち上がって寄ってきた。「うー!」というシモナのうめき声が聞こえる。

「ヘイ、シモナ! 大丈夫か!?」

「ドアレ! ダラム・プリンス・ミンジァ! 捕ったよアイ・コウト・イット!」

 ボールを両手で差し上げながらシモナが言った。嘘だろユア・キディン! 背面ジャンプして頭越しに捕っただと!? そんなサーカス・キャッチ、A F Lアリーナ・フットボール・リーグでもめったにねえよ。

 とにかく起き上がらせて、背中をさする。シモナはもう笑顔になっている。

「大丈夫。ちゃんと怪我しないような姿勢で落ちたんだよ。体操の練習の時でも平均台からよく落ちたりするし、慣れてるの」

「怪我しなかったのはよかったが、勝手なことをする奴とはこれ以上一緒にトレーニングできない」

 髪の毛や背中の砂を払いながら言ってやった。シモナの笑顔が驚きに急変し、大きな目をさらに大きく広げた。

「ごめんなさい、もうしないよ! だから、もっと一緒にトレーニングしてよ!」

「シモナ、君は向上心が強いし、練習熱心だし、何より素直だから注目していたんだ。だからトレーニングを一緒にしたし、研究所も紹介した。しかし、何をしても許してやろうと思ったわけじゃないんだぞ。夕方まで反省しな」

「ううー……」

 シモナの顔がくしゃくしゃに崩れて、目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「ごめんなさい! ごめんなさい、もうしないから! もうしないから……」

 いくら謝っても、こればかりは許すわけにいかない。手を貸して立たせてやり、ホテルの前まで送って行くと、シモナは泣きながら一人で帰って行った。

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