ステージ#13:第6日
#13:第6日 (1) 夢で逢えたら
第6日 2007年7月6日(金)
6日目が始まっているのに、ビッティーに訊きたいことがどうしてこんなにも少ないんだろう。
「
「世界の全ての人々の教育レヴェル向上を理念として活動する、様々な分野の研究者によって構成された団体です」
イリーナが教えてくれたことと大差ないような気がする。しかし、どうも現実世界では実在しない団体なんじゃないかと。それなのにこの仮想世界では誰もが知っていそうだし。
「もっと詳しいことは教えてくれないのか。本部はどこにあるとかコミッショナーは誰かとか」
「本部はアテネ、代表はカティナ・メルクーリです」
「財団のように、仮想世界にのみ存在する団体?」
そうだとしたら、
「仮想世界における社会の組織構造は必ずしも現実世界と一致しているとは限りません」
「そうは言っても、仮想世界の独自設定があるなら、俺の記憶にも追加しておいてくれないと」
「追加されているはずですが、認識できていないというのであれば調査します」
「頼むぜ、ビッティー。君から情報を聞く機会はあと1回、明後日のこの時間しかないんだ。しかもその時にはゲートが開いちまってる。あらかじめもらえるはずの情報が不足していたせいでターゲットを逃したってのなら、不公平じゃないか」
「申し訳ありませんが、調査の上、記憶を調整します。明後日まで待っていただく必要はなく、本日午前6時までに更新を行います」
俺の時間を止めるのだって自由自在のはずだから、この場ですぐにでもできそうなものだが、何か事情があるのだろうか。それとも、夢の中で記憶を追加するのか。
「一応言っておくが、君を責めてるんじゃないからな、ビッティー。君の背後にいる、この世界を仕切ってる奴への要望だ」
「心得ています」
「俺が君のことを大好きだっていうのも解ってくれてるよな」
「心得ています」
「もう一つ質問だが、俺がフットボールを投げるときのフォームに何か調整したか」
「何もしていません」
「じゃあ、俺の感覚を何か変えた?」
「何もしていません」
そうすると、俺がボールを思ったところに投げられないのは、やはり練習不足だったということになるのかなあ。
「君はボールを投げるときの正しいフォームを見たら美しいと感じる?」
「私にはそのような感覚はありません」
「美しいっていったい何なんだろうな」
「私はそれについて意見を持っていません」
「君の声はとても美しいと感じるよ、ビッティー」
「そうですか」
ああ、この冷たい響き。真冬の深夜に月の光を浴びているかのようだ。
「今回のターゲットは“
「そうですか」
「ところで、黒海は真珠の産地じゃないんだよな」
「いいえ、世界中どこの水域でも貝類が生息していれば、真珠を産出する可能性があります。ただし、それを産業としているかどうかという観点であれば、黒海はそれには当たりません」
百科事典的な答えで素晴らしい。そういえば、真珠の本物と偽物はどうやって見分けるかを習っておいた方がよかったかもしれない。そんなことする時間すらなかったけど。
「今夜は以上だ。おやすみ、ビッティー」
「ステージを再開します。おやすみなさい、アーティー」
【By ピアニスト】
とても幸せな夢を見た……
音楽も声もなかったけれど、明るくて、幻想的で、情感にあふれていた。そこにはあの方がいた。名前でお呼びしたいけれど、その響きだけで私の心が熱くなってしまう。それに、私とあの方の二人だけの世界では、名前など必要ないのだ。だから頭の中で考えるときには、
私は前夜、あの方のことを考えながら眠りに落ちただだろうか。よく憶えていない。
頭の中では『熱情』の旋律が流れていた。作曲者がどんな思いを込めたかについても想像した。けれど、その想像はいつの間にか姿を変えて、あの方のことになっていたかもしれない。
あの方の姿は見えず、声が聞こえたわけでもない。あの方が存在することという、その概念。それをお慕いする私自身の感情。知らない間に、そこへ行き着いていたのだろうか。
「おはよう、ティーラ。少し寝坊したのかしら?」
隣のベッドでマルーシャが身を起こして、こちらを見ていた。私は時計を見た。6時5分前だった。目覚ましを鳴らすのを忘れたのだろうか。今頃の時期は、5時半頃に起きて、身支度をして、散歩に行くことにしていたのに。
「おはよう、マルーシャ。そうね、いつもより少し長く寝てしまったわ。とても気持ちがよかったの」
「ええ、あなたの表情を見れば判るわ。とても気分がよさそうな顔をしているもの。きっといい夢を見たのね」
「そう、とてもいい夢だったわ。不思議な夢……具体的な内容は憶えていないのに、幸せな感情にあふれていて、いつまでも浸っていたいと思ったわ。だってこのところ夢を見たら、それはいつもピアノのことで苦悩している場面だったりしたから、今朝のは特別に素晴らしく感じられたんだわ」
「きっとアーティーの夢だったのね」
「えっ……」
言わなかったのに、どうしてマルーシャには判ってしまったのだろう。ああでも、あの方の名前を呼ばないで欲しい。その響きだけで、私の心も身体も熱くなってしまうから。
「あなたが夜中に呟く声が聞こえたのよ、“アーティー”って」
「私が……そんなことを?」
顔までが熱くなってしまった。
「羞じらうことはないのよ。お慕いする人に夢で会えるなんて、素敵なことじゃないの。どんなに愛しても、夢ですら会えない人もいるのに」
「ええ、そうだわ。とても素敵なこと……それに、今夜もお会いできるわ」
「あなたの声を聞いたからかしら、私の夢にも出てきたのよ、アーティーが」
胸がドキリとした。どうしてマルーシャがあの方の夢を見ただけで?
「それは……どんな夢だったの?」
「あなたと彼が一緒にいる夢よ。私はどこだか判らないところに漂いながら、二人のことを見ているの。夢だと判ったけれど、ずっとずっと覚めないでいて欲しいと思ったわ。どうして夢だと判ったと思う?」
「判らないわ。どこでもない風景だったからかしら?」
私の夢では、光の中にいたように思う。それはどこでもない世界だった。マルーシャの夢もそんな風だったのではないかしら。
「私の隣に、ハンナがいたからよ。私は自分自身を見ているのかと思ったけど、すぐにハンナだと判ったわ。きっと昨日、彼女のことをアーティーに話したからね。ハンナに会えたのもずいぶん久しぶりで、とても嬉しく感じて、本当に素敵な夢だったわ」
ハンナはマルーシャの心の中にいる存在。子供の頃はその名前をよく聞いたけれど、昨日あの方がその名前を口にするまで忘れていた。私のもう一人の姉になるはずだった人。
どんな人だったのだろう。なぜか気になってきた。ハンナがもしここにいたら、私とあの方の出会いを喜んでくれただろうか?
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