#13:第5日 (7) 急ぎの契約

「ところで、そこへ連れてってくれたってのはどんな奴?」

「プロフェソル・ディーマ・アンドロニコスっていうギリシャ人。建築家だけど、あなたよりも筋肉がすごいの。ハンサムでね、ラリサがすごく喜んでた。彼女は、あの人のお話はよくわかんないって言ってたんだけどね。建築家なのに、トレーニングのお話をしてくれたんだよ。建築の話はしなかったの」

建築家アーキテクトはビルダーともいうだろ。だから建築物ビルディングだけじゃなくて肉体構築ボディー・ビルディングにも詳しいんじゃないのか」

「あっ、そうか! どうして自分で言わなかったんだろうね。話し方がすごく丁寧なんだけど、面白いこと言ってくれないの」

 君みたいな子供の相手が苦手なんだろうよ。俺だって得意じゃない。君が勝手に俺に懐いてきてるだけだ。

「計測した結果は見られたのか」

「まだだよ。明日の午後だって。でも、デヴァイスはもう使わせてくれないの。結果を見てから、動きを直したかったのに」

「動きを直すことはできるだろ。直ったかどうかが計測できないってだけだ」

「うん、そう。でも、ウクライナのクラブの子は、この後も使えるんだよ。羨ましいなあ」

「それは仕方ない。ここはウクライナだからな」

「ルーマニアにも研究所があればいいのになあ。アーティー、あなたが知ってる研究所は、ウクライナにないの?」

 それを今訊かれても困る。ビッティーに訊いてからでないと判らない。しかし、たぶんないと思う。

「さあな。あったとしてもブカレストだろう」

「そうだよね。やっぱりブカレストに行かないと、いい施設がないのかなあ」

 言いながら、シモナは走ってきたのとは逆の方向へ歩き始めた。そっちはホテルだ。まさか、またホテルへ行こうとしてるんじゃないだろうな。

「アーティー、あなたが知ってる研究所の装置って使わせてもらえそう?」

「それは訊いてみないと判らない」

 訊くことは訊いている。たぶん、その結果をイリーナが持って来てるだろう。

「訊いてみてよ」

評議会ザ・カンファレンスみたいに1回しか使えないかもしれないぞ」

「それでもいいよ。使ってみて良さそうだったら、他のメンバーに欲しいと思わせることができるかもしれないから。ラリサは欲しいって言ってたもん」

「じゃあ、評議会ザ・カンファレンスの装置でいいじゃないか」

「一つで決めるより、二つを比較した方がいいものが選べるから」

 君、子供のくせに面白い原理を知ってるな。そのとおりだよ。

「研究所に訊いてみるよ。たぶん、ホテルに研究員が一人来てるはずだ」

「じゃあ、あたしも付いて行く! ホテルまで走って行こうよ!」

 言うと思った。けど、スラックスと革靴では走りたくないんだよ。それを言うと、シモナは「先に行ってる!」と言って、走って行ってしまった。

 しかし、しばらくしたら戻ってきた。俺の後ろを回ってまた走って行く。俺がホテルに着くまで、そうして走り続ける気か。

 俺とどこの間を往復してるのか知らないが、俺がホテルに近付くにつれて、だんだんと距離が短くなっていくわけで、では、最終的にどれだけの距離を走るか求めよ、というパズルがあるよな。結局は走っている時間でその距離が求められるのだが。

 ホテルに着くと、予想どおりイリーナが待っていた。

こんにちはドーブロホ・ドニャー、アーティー! ご依頼いただいた件の報告に……あら、その少女は?」

 気にするなと言っても気にするだろうな。エステルと同じで。そういう嗜好がないとはっきり言ってもいいくらいだけど。

「ルーマニアの将来のオリンピック体操競技金メダル候補だ。たまたま公園で会ってトレーニングの方法の相談をしてた」

「初めまして! あたし、シモナ・スタネスク! ウワォゥ、すごく綺麗な人だなー、アーティーの恋人?」

 余計なこと言うな! いや、この場合はもしかしたらいい結果を生むかもしれない。

「そうよ、財団ウクライナ研究所のイリーナ・メンチェンコ。初めまして」

 その気になるな! しかし、おかげで俺の嗜好に対する嫌疑は晴れたに違いない。

「アーティーって財団の人なの?」

「そうだ。イリーナと少し話をするから、待っててくれ」

「じゃあ、ジムを見に行ってるね!」

 勝手に入るなって。まあ、この前もやらかしたからモトローナは解ってくれると思うが。イリーナは今日も部屋へ行こうと言ったがそれは許さず、ロビーの隅の方で密やかに話をする。

「体操クラブは断られましたが、バレエ団の方はデータが取れました。プリマ・ドンナの一人が、とても協力的で助かったそうです。今夜中に解析して明日の午前中にフィードバックする予定ですが、その時にご一緒にいかがですか?」

 うん、それは言われなくても行こうと思ってた。しかし、午前中にフィードバックか。仕事が早いな。体操クラブの依頼先を聞く。予想どおり、シモナが合同練習をしているクラブだった。

「なぜ断られたか聞いてる?」

「時間がないとのことでした」

評議会ザ・カンファレンスって知ってる?」

「ええ、世界的な研究者集団のことですね? 全ての人々の教育レヴェルの向上を目指しているという……」

 そういう団体なのか。財団とは何が違うんだろうな。

「その研究所が似たような研究をしていて、さっきのシモナがデータを取ってもらったそうだ」

「そういえば……バレエの方にも、評議会ザ・カンファレンスが来たと聞いたような気がします」

「みんな同じようなこと考えてるんだな。日まで同じなのは不思議だけど」

「そうですね」

「それで、体操の方は評議会ザ・カンファレンスに協力することにして、財団の方が断られたってことじゃないかと思うんだけど、違うかな」

「そうかもしれません。確認してみましょうか?」

「一応、してみてくれ。ただ、あのシモナはジュニアの大会で度々入賞していて、ルーマニア体操界の期待の新星、というのは本当らしい。彼女のデータを取ることは、有用なんじゃないかなあ」

 期待の新星かどうかは知らないが、そういうことにしておく。

「でも、ウクライナの研究所がルーマニアの競技者ジムナストに協力するのは、きっとみんな抵抗が……」

「財団は世界レヴェルの組織なんだろ。公正としての正義のために行動する。国籍なんて気にするべきじゃないよ」

「そうですね。でも、私から提案するのは……それに、所属が違いますし……」

「俺が直接、第1研究部に掛け合ってもいいけど、ウクライナ研究所の理念の問題だ。しかし、君が労を執ってくれるのなら、俺としても報いる気持ちはあるんだが……」

 本当はこんな、褒美で釣るようなことは言いたくないんだが。

「……やってみます。今ならまだ第1研究部の主要メンバーは残ってると思いますから、すぐに電話を……」

 イリーナは携帯電話モバイルフォンを架けながら外へ出ていった。仕事のことだけに、聞かれてはまずい内容があるからだろう。

 ジムへシモナの様子を見に行く。ユーリヤがいた。機嫌が悪そうだな。しまった、見つかった。手招きされた。行くしかないか。

「アーティー、この子、あなたの知り合いだって言ってるけど」

「そうだ。ルーマニア体操界の期待の新星、シモナ・スタネスク」

「ブルガリアのテニス・プレイヤーのユーリヤ・ドブレヴァだよね! どうしてこんなこところにいるの?」

 ユーリヤがますます不機嫌になった。子供相手だぞ、顔に出すなよ。

「ホテルの宿泊客以外は立ち入り禁止だって、ちゃんと教えておいてくれない?」

「了解。シモナ、装置のことがもうすぐ解るから、ロビーへ戻るぞ」

「イエッサー!」

 大きな声出すなって。ロビーへ戻ると、ちょうどイリーナも外から入ってきたところだった。

「データを取るのは了承してくれました。ただ、取るなら今日中にしたいとのことです。明日の午前中は……その、もう一方へ出張ですし、午後からでは解析が週末になってしまうので」

「契約はできるだけ急げばいいと思うが、遅い時間に未成年を連れ出すのはなあ」

「何の話?」

 シモナが口を挟んでくる。

「財団の装置でデータを取るなら今日だって話」

「今から? 大丈夫だよ、今日はこの後、練習はなくて、レクリエーションだし自由参加だから、こっそり抜け出しても平気」

 そうは行くか。誘拐同然でデータを取ったら法令遵守コンプライアンスに関わる。

「契約も必要なんだ。君は未成年だから、保護者の同意も必要だ。評議会ザ・カンファレンスの時は誰が契約したか知ってるか」

「知らない。けど、たぶんコーチの誰かだと思うよ。合同練習に来る前に同意書を作ったから」

 遠征中はコーチが保護者の義務を代行する、とかいう類いの? だとしても、保護者の代わりにコーチの同意が必要ってだけだろ。

「時間がないから、俺がクラブへ説明に行った方が良さそうだな。既に一度話は聞いてるだろうから、納得させるのはそんなに困難じゃないだろう。イリーナ、契約書を管理する法務部門の担当を一人引っ張り出せるよう手配してくれるか。勤務時間外だからごねるかもしれないが」

「やってみます。一度書面は見せたと聞いたような気もしますが、それなら説明が早くなると思うので、確認します」

「シモナ、君たちが泊まってるホテルへ案内してくれ」

「解った! 走って行くの?」

「モトローナ、タクシー呼んでくれ」

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