#13:第5日 (2) フォーム矯正

 着替えてレストランでコーンフレークを食べていると、テーブルの横に誰か立った。ネイヴィーのポロ・シャツにベージュのハーフ・レギンス。濃い金髪ブロンドのショート・ヘアの凜々しい美人だが、よく見たらアスリート女じゃないか。トレーニング・ウェア姿しか見たことがなかったから、一瞬判らなかったぞ。

失礼プロバチュテ、自己紹介していい?」

 ということは、俺が誰だか判ってるってこと? 会うごとに俺のことをずっと睨んでたから、何か文句を付けに来たのかと思うが、今はぎこちない笑顔を浮かべている。口元が引きつってるぞ。

「座ったらどう?」

 苦情を言いに来た奴を落ち着かせるためには、何か言う前に席を勧めることだ、というのを誰かに聞いたことがあるが、効果あるのかな。

 女は素直に座った。さて、何を言われるのか。

「名前はユーリヤ・ドブレヴァ。ブルガリアから来たの。プロのテニス・プレイヤーだけど、知らない?」

「申し訳ないが、テニスは苦手でね。君がグランド・スラマーだとしても名前が憶えられない」

 座らせて落ち着かせようとしたはずなのに、刺激するようなことを言ってしまったかな。まあ、いいや。いや、良くないか。女の笑顔が崩れそうになってる。

「いいのよ、別に。気にしないわ。マイナーな大会でいくつか勝っただけだものね」

 ツアーで勝ったことがあるってこと? マイナーだろうと勝つのがすごいことは解ってるんだけどね。でも、それで世界ランクが何位になるとかいうのはさっぱりだよ。

「それで、何の用?」

「あんた、アスリートなんでしょう。何のスポーツ?」

 何かと思ったらそんなことかよ。

「アメリカン・フットボール」

「詳しくは知らないけど、イメージは持ってるわ。槍投げかと思ったけど、違ったのね」

 槍投げと間違われるのはさすがに初めてだよ。野球のピッチャーと間違えられることの方が多いな。野球も世界的にはマイナー・スポーツだけど。

「それで、何?」

「あんたのトレーニングに少し興味があって」

 このステージは俺のトレーニングに興味を持つ奴が多いなあ。もう4人目だ。しかし君、いつも俺のこと睨んでたじゃないかよ。それだけはちゃんと憶えてるぞ。

「ランニングとジムで君に会ったのは憶えてるよ。しかし、俺のトレーニングはテニスの参考にはならないと思うが」

「何が参考になるかをあんたが気にする必要はないのよ。あたしが見たいと思ってるだけだから」

「なるほど、それで?」

「だから……あんたのトレーニングを、少し見せて欲しいってお願いに来たの」

 少し見せて欲しいって、いつもジムでこっちを凝視してるじゃないか。今さら何なんだよ。だいたい、トレーニングは見世物じゃないってのに。

 そういや、昨夜はイリーナがジムでのトレーニングを見たいと言ったから仕方なく行ったんだっけ。トレーニングの後も部屋に居座ろうとしたから、体操とバレエのデータを取ることを第1研究部に提案する、というお題を出し、うまくいったら今夜も一緒に夕食、という餌で釣ったらようやく帰った。でも、夕食だけでほんとに済むかなあ。それは後で悩むか。

「見せるのは別に構わない。自由に見てくれ」

「ありがとう。早速だけど、この後1時間くらいどう?」

 いや、早速すぎるだろ。しかも、朝食後すぐにトレーニングなんてあり得ないんだけど。

「夜じゃダメなのか」

「今日のあたしのトレーニングに活かしたいのよ」

 こういう無理なことを言う女はきっとキー・パーソンだぜ。何人目なんだよ。キー・パーソンの相手だけで時間がなくなるだろ。

「じゃあ、1時間だけだ」

「ありがとう。ジムで待ってるわ」

 少し歪んだ笑みを残してユーリヤはレストランを出て行った。いったい何が目的なのか解らない。トレーニングを見られるだけなら、詐欺に遭う可能性もないけど。

 あるいは、他の競争者コンテスタントが俺の調査時間を奪うために送り込んできた工作員エージェント? ランニングやジムで何度も会ったのは俺を見張ってた? それにしては演技が下手だよなあ。

 せっかく普通の服に着替えたのに、再度トレーニング・ウェアに着替えてジムへ行く。ユーリヤは宣言どおり待っていた。彼女もまたトレーニング・ウェアに着替えている。タンク・トップとハーフ・レギンス。腕を組んでいるので、意外に胸が大きいことが判る。押さえつけているだろうに、あの大きさはかなりの、いや、そんなところは見なくていい。

「それで、見たいトレーニングってのは?」

「色々見たいんだけど、まず、一昨日やってた、あの槍投げみたいなのしてくれる?」

「投げるのは槍じゃない、ボールだ」

「ええ、解ってる。朝、ビーチで投げたの見たわ。でも、あの時は槍投げに見えたのよ」

 似てないと思うけどなあ。槍投げは確か腕を伸ばしたまま投げるはずだぜ。

「レジスタンス・バンドを使ってた練習か」

「そうよ」

 早速、準備をする。構えると、ユーリヤが俺の後ろに立って、「いろんな角度から見たいから動き回るけど、気にしないで」と言う。いや、鏡に映ってるんだぜ。気になるに決まってる。

 それでも気にならないふりをしてスローイングの動きモーションをする。そういえばコニーもこれを見て喜んでたな。何が嬉しいんだか。

 鏡に映ったユーリヤの顔にも、抑えきれない歓喜の笑みが浮かんでいる。しかし、続けるうちに表情が曖昧になって来た。いったいどうした?

「あの……もう少し、肘を上げてくれる?」

 は? そりゃ、フォームは変えられるけど、それで悪い結果になったら後で再矯正が難しいんだぜ。たかが肘を4分の1インチ上げるだけでも……

「あの……どうしたの? あたし、余計なこと言ったかしら?」

 え? ああ、俺が固まってたのか。考え事してたからな。この前からコントロールが乱れているのは、肘が下がってたのかと考えてるんだが。

「肘が上がってる方がいいフォームに見えると思うのか?」

「それは解らないんだけど、何となく切れがないと言うか美しくないと言うか……」

 切れ、か。俺がバレリーナ相手に言ったのと同じ感想だな。素人が見ても“微妙にうまくいってない”ことが判るんだろう。

 そういえば、デヴァイスを着けてジムでトレーニングをしたときの解析結果を、まだちゃんと見てないぞ。あれで何か判るかも。

「10分くらい待っててくれ」

「どうしたのよ、急に! 怒ったの?」

「怒ってはいないから、10分くらい待っててくれ」

 言い残して、部屋に戻る。

 イリーナからもらった資料は紙が1枚とメモリー・カード。紙はレポートの表紙のようなもので、特に意味はない。全てのデータはメモリー・カードに入っているようだが、どうやって見る?

 そういえばTVの横にデスクトップPCがあったな。電源を入れたら知らないOSが起動したが、大丈夫だろう。

 言語を英語に変える。メモリー・カードを挿す。“プログラムを起動しますか?” YESを選択。

 起動スプラッシュが表示されて、しばらく待つ。ヴューワー・ウィンドウが開いた。操作方法が解らんなあ。イリーナに聞いておけば良かった。

 画面の中の文字を読んでいく。"Replay"というのがあるから、これで見られるだろう。マネキンが表示された。俺と体型が全然違うが、まあいいか。

 時間を変更したい。このシーク・バーか。おお、マネキンが動く。スローイングの動きモーションのところを探そう。この辺か。

 腕の角度が何度になってるか、表示する機能あったりしない? クリックして、コンテクスト・メニューを表示して、“関節点の表示ディスプレイ・アーティキュレイションズ”、これだな。肩と肘と手首の関節を指定して……おお、角度が表示された。素晴らしい。

 これで見ると肘の角度は問題ないように思える。いや、肘が上がってるかどうかはこの角度じゃない、肩甲骨と上腕骨の角度だろ。表示してみる。

 おかしいか? おかしいかもしれない。再生して見る方がいいかも。"Replay"でマネキンを動かす。再生速度も自由自在。角度を表示したままの再生も可能。いい感じ。俺の時代のライヴ・モーション解析と同程度だな。

 しかし、美しいという概念がこれに当てはまるかなあ。まあ、見る奴によるか。

 とにかく、これを見てフォームを改善できるか? やってみるしかない。頭の中で、イメージを作ってみる。それからボールを持って、イメージどおり身体を動かしてみる。そうだ、ついでにボールを持って行こう。

 ジムに戻ると、ユーリヤはペック・フライを使っていたが、俺の顔を見てすぐにやめ、リスト・バンドで額の汗を拭きながら寄ってきた。いや、マシーン使いながら見ててもいいと思うが。それに何だ、その期待感にあふれた顔。遊園地へ行ったときの子供かよ。

 レジスタンス・バンドを腕に着けて、ボールを持ったままスローイングの動きモーションをする。何となく違和感がある。しかし、これは長らく練習をサボったせいかもしれない。自分の身体の感覚なんて当てにならないものだ。

 動きモーションを繰り返しながら、鏡の中のユーリヤの表情を見る。恍惚としているように見えるのは気のせいか。ポルノじゃあるまいし、やめてほしい。

「どう思う?」

「うぅーん、いいんじゃないかしら。できれば、外でボールを投げてみてくれる?」

 言うと思った。俺もそうしようと思ってたけど。バンドを外して、ビーチに出る。どうしようか、朝、コニーたちに見せたのと同じでいいか。

「朝もここで投げたんだが、君も見てた?」

「え? ……いいえ、見てないけど」

 言い淀むなよ。嘘をついてるんじゃないかと思うだろ。信用するけど。

 25ヤード先に向かってボールを投げる。思ったところに落ちたか? よく判らない。朝よりはうまくいったような気がするが。25セント硬貨を足下に置き、「これを狙う」とユーリヤに言ってボールを取りに行く。彼女の立っているところを目印にして、けろと合図をしてから投げる。

「ウォウ! 当たったわ!」

 ユーリヤの叫び声が聞こえた。本当に? 俺自身に、実感がないんだけど。当たるときは、見えてないけど当たったという感覚が何となく伝わってくるんだがなあ。

 ユーリヤのところへ行く。確かに、25セント硬貨を置いたところに、ボールの当たった跡がある。コインは衝撃で少し向こうへ飛んで行ったようだ。

「すごいわ。痺れちゃったファシネイテッド。テニスでも、コートの隅に置いたボールを狙って当てる練習があるけど、あれと同じね。当たるととっても気持ちがいいのよ」

「今のだけたまたま当たったのかもしれんよ」

「じゃあ、もっと何度もやってみて」

 もちろん、やるけどね。ボールを向こうに投げて、走って行って、ユーリヤの方へ投げ返す。当たった。

 また投げる。また当たった。10回投げて、10回とも当たった。

 ユーリヤは当たるたびに叫び、最後はビーチにへたり込んだ。そんなに興奮するようなことか。

「だって、ボールの尖ったところがコインに突き刺さるように当たるのよ。それに、フォームも美しいし……」

「実はこの前からコントロールが悪くなっていて当たらなかったんだが、君に言われてフォームを調整したら当たるようになったよ。ありがとう」

「あら、そうだったの、よかった! やっぱりフォームが美しくなったら当たるものなのね」

 そうかなあ、このステージ特有の都合のような気がするけど。しかも、違和感があるのに当たるってのはどうにかしたい。

「もう十分見たか?」

「ええ、ありがとう。もういいわ」

 いつまで座り込んでるんだか。手を持って立たせてやる。足がふらついている。よろけながら俺のしがみついてくるなよ、君も痴女か。

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