ステージ#13:第3日
#13:第3日 (1) 朝の運動
第3日 2007年7月3日(火)
【By ピアニスト】
朝の散歩なのに、ホテルの横の海岸まで来てしまった。ここは海が近くに見える。そして景色がとても綺麗だ。子供の頃は、オデッサへ遊びに来て、ここの海で泳いだこともある。何年ぶりだろうか。
それよりも、私はどうしてここへ来てしまったのだろう。私はいったい何を求めているのだろう。いいえ、本当は解っている。私はあの方の姿を探し求めているのだ。
あの方は、海が見えるところに来ている気がする。あの方は、海岸に現れる気がする。私はその姿を一目でも見ることを望んでいる。
けれど、海岸には誰もいなかった。歩いているのは私だけ。空は澄み渡り、こんなにも気持ちのいい風が吹いているのに、海を眺めているのは私一人だった。
いいえ、違う。私は海を眺めているのではない。ずっとビーチを気にしている。向こうから、あの方が歩いて来るかもしれない。そこのホテルから、あの方が出て来るかもしれない。そんなことばかり期待している。
けれども、そんなことは起こらなかった。やはりあの方はもういないのかもしれない。もしかしたら、私が大階段で見たのは、幻だったのだろうか。私の気の迷いが見せた、私の理想の姿を持つ、架空の存在……
もう帰ろう。私はここにいてはいけない。私の心が乱れるばかりだ。私の中の集中力が失われる。熱情も失われる。そうだ、私はあの方に会うべきではない。私の恐れている感情が、沸き起こるから。あの方に会ってしまったら、私はもっと心が乱れてしまうはずだから。
どうしよう。私はどうしたらいいだろう。きっと、他の人を探すべきなのだろう。私の心を温かくしてくれる人。私の気持ちをたぎらせ、熱情に駆り立ててくれる人。そしてその後で私の心を鎮めてくれる人を。
【By 主人公】
6時起床。今朝もランニングへ行くが、行き先を変える。シェフチェンコ公園だ。ランニング用に決まったコースがあるわけではないが、公園の中を大回りすると1マイル半くらいある。4周すれば6マイル。
ボールは投げないが、持っていく。7時にはコニーと待ち合わせて、海岸でボールを投げなければならない。部屋へ取りに戻るのは面倒だ。
ホテルから坂を上がって、ランジェロン門をくぐる。ここをスタート地点とする。時計回りか、反時計回りか。どっちでもいいが、気分的に時計回りで行ってみようか。
まず西へ走り出す。200ヤードほど行くと、少し広くなったところがある。ここにはバス停がある。公園の中が終点になっているのだ。
そこから南西へ、広い道を行く。しばらくすると、左手に巨大な建物が見えてくる。高層コンドミニアムで、公園の中にこんなものが建っている。1階はアート・ギャラリーになっているらしい。
その敷地の端まで行って、西に折れて細い道を入る。森の中から
遊園地の中を通り抜けて、さらに西へ。公園の端まで到達したら、北へ折れる。タラス・シェフチェンコ像が見えたら、北東へ向かう。噴水を回り込んで直進し、森の中を駆け抜けると、前方の視界が開けて、海が見える。ただし、港のクレーンが林立しているので、あまりいい眺めではない。“倒れた船員の慰霊碑”が建っている。
東南東へ向かうが、ここからは初日にホテルへ行くときに通った道。ハッヂベイという城塞の壁跡が左に見えてくる。
前から女が走ってきた。何度も見かけた、アスリート女じゃないか。どうして海岸を走ってないんだよ。「ハイ!」と声をかけたが、睨まれた上に、挨拶を返してこなかった。
しばらくしたら、子供が走ってきた。子供じゃない、少女だって。見たことがあるぞ。初日に、エカテリーナ2世像の前で俺に話しかけてきたよな。「ハイ!」と声をかけたら「ハイ!」と返してきた。一度会ったことがある男だと気付いた様子はなかった。
無名水兵の記念碑のところから見る黒海が、やはり一番綺麗に見える。そこから南へ折れるとランジェロン門。これで1周。
2周目、遊園地でアスリート女とすれ違った。そしてハッヂベイの手前でまたすれ違う。少女ともその辺りで会う。
どうやらアスリート女は俺と同じコースを逆回りに走っているらしい。少女も逆回りだが、ルートが少し違うようだ。きっと、公園の真ん中を東西に横切る広い道を通っているのだろう。その方が道が判りやすいからな。
ただ、さっきと同じような場所ですれ違ったのが不思議だが、走る距離とスピードが綺麗に反比例しているのだろうか。
4周走り終えて、アスリート女には計7回、少女には計4回会った。その他にも何人か散歩している人に会ったが、走っているのはその二人だけのようだ。
【By テニス・プレイヤー】
また嫌な夢を見た。負ける夢。そう、あたしは3回戦で負けた! あたしの方がパワーも上、テクニックも上なのに。
負けたのは、ミスが多いから。そう、あたしはミスが多い。原因はだいたい判ってる。あたしは冷静さが足りない!
一つのミスが別のミスを呼ぶ。そんなときに、冷静になりきれない。自分に対する怒りを抑えきれない。トレーナーに付いてもらって、メンタル・トレーニングはやっているのに、なぜ?
でも、そんなことばかり気にしてられない。もう起きなきゃ。トレーニングを始める時間。まず、ランニング。それからフィットネス。新しいコーチとの契約も進めないと。
着替えて、ホテルを出て、準備運動。今日はどっちを走ろうか。ビーチか、公園か。昨日はビーチだったから、今日は公園かな。
そういえばあいつ、どこ走ってるのかしら。あの体格のいい男。あの使えそうな筋肉、すごく気になる。
坂を駆け上がって、ランジェロン門へ。反時計回りにする。北へ上がって、無名水兵の記念碑へ。視界が開けるこの一瞬だけ、心が落ち着く。
北西に向かって、崖沿いの道を走る。前を子供が走ってる。どうしてあの子、一人なんだろ。あっさり追い抜く。前から男が走ってくる。あいつだ!
「ハイ!」
声をかけてきた。返事をしなかった。別に、返事をしたっていいはずなのに。何となく、いけ好かないから。
それなのに、気になる。きっと、あいつがアスリートだから。ああいう、運動に特化した体格が羨ましいから。私だって、負けない。だからもっと鍛える。
倒れた船員の慰霊碑を見て、左へ。南西方向に走る。散歩してる老人を追い抜いて、噴水を過ぎて、シェフチェンコ像からは南東へ。
「ハイ!」
どうしてあたし、返事しないんだろう。ううん、返事する必要なんてない。身体を鍛えるのは自分のため。他のことなんて気にしなくていい。
道に沿って、南東から北東へ方向を変えて、広い駐車場へ出る。子供と出会った。ああ、こっちの道を通ってるのね。子供は北東へ。そっちへ行くと無名水兵の記念碑。あたしは東へ折れる。
ランジェロン門に着く。2周目。無名水兵の記念碑の先に、さっきの子供が見える。追い抜く。
北西へ一直線に走る。またあいつ。声をかけてきた。無視する。ルナ・パークでも会う。また無視する。どうしてあいつと同じところで何度も会うの?
3周目に入ろうとすると、ランジェロン門のところに男が立っていた。さっきの男とは違う。けど、すごく筋肉質。タンク・トップがはち切れそうな分厚い胸板、その前で組んだ腕の、上腕二頭筋の太いこと!
ウェイト・リフティング? ボディー・ビルかもしれない。ギリシャ系のハンサムな顔。そんなことは、見なくていい。どうしてあいつもあたしのこと見てるの? 無視して走り去る。
やっぱり無名水兵の記念碑の先で、子供を追い抜く。やっぱり倒れた船員の慰霊碑の手前で、あいつと会う。そしてやっぱりルナ・パークでも会う。ランジェロン門に戻ると、ギリシャ系の男がいる。4周目も全く同じ。
走り終えて、門を通り抜けようとすると、ずっとそこにいたギリシャ系のマッチョの男が声をかけてきた。腕の筋肉を間近で見て、思わず息を呑む……
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