#13:第2日 (8) 夜のジム

「ところで、次は君のことだけど」

「あら、それよりあなたのこと、もっと聞かせて欲しいわ。あなたの身体、とても鍛えられてるけど、何かスポーツをしてるの?」

 モルドヴァのことを話すよりも楽しそうな表情で、コニーが訊いてくる。

「アメリカン・フットボール」

「合衆国で人気があるのは知ってるわ。でも、見たことがないし、サッカーとの違いも解らない。それに、フットボールなら脚を鍛ればいいのに、どうして肩や腕まで鍛えてるのかしら」

 シャツの上から見てるだけなのに、よく解るな。俺は彼女の胸の谷間を見て、モデルのわりに深いなと思っている程度なのに。

「名前はフットボールだが、ボールを投げたり受けたり持って走ったりする。ラグビーに近い」

「ラグビーなら解るわ。モルドヴァでも人気があるもの。私はそんなに何度も見たことないけど」

「君も体型を保つために何か運動をしてるのでは?」

「ボクササイズと水泳をやってる。時々ジムにも行くの。ここでも昨日行って、少しトレーニングしたわ」

「昨日は俺も行ったが、君のことを見かけなかった」

「夕食の前よ。他には誰もいなかったわ」

「コニー、それならこの後でジムへ行って、アーティーにトレーニングを教えてもらったら?」

 ラーレはずっとしゃべらなかったのに、いきなり余計なことを言い始めた。

「あら、面白そう。でも、食事の後はしばらく休憩したいわ」

「もちろん、その方がいいと思うわ。アーティー、あなたはどう?」

「俺のトレーニングは体型を保つためじゃなくて、フットボールに特化したものだ。しかもQBクォーターバックというポジションのためのね。どこかに筋肉を付けたいというのなら教えられることはあるかもしれないが、フィットネスなら専門のトレーナーに相談した方がいいと思うよ」

「あら、そうなの。でも、教えてくれなくてもいいから、あなたのトレーニングしているところが見たいわ。あなたの身体ってバランスが取れているから、動くところをもっとよく見てみたいもの」

 だから、観賞用の身体じゃないってのに。動くところを見たいならランニングに付き合えよ。まあ、ラーレみたいにあれしろこれしろと言わなそうだから、見たいのなら好きにすればいいと思うが。

「じゃあ、行こうか。10時からでは遅すぎる?」

「いいえ、ちょうどいいと思うわ」

 その後、ようやくコニーの個人情報を聞くことができた。大学で文学を学んで、教師になろうと思っていたが、並行してモデル育成スクールにも通っていた。イングランドとの交換留学プログラムに参加して、以来ロンドン郊外に住んでいるらしい。

 ウェイトレスのパート・タイムをしながら学業とモデルのレッスンを続けていたが、とあるコンテストで最終選考に残り、モデル・エージェンシーと契約。とあるファッション写真家の知遇を得ていくつかの雑誌の表紙を飾り、今はとあるブランドと専属契約の締結を進めているところだそうだ。

 順風満帆だが、写真家と結びついたところに秘訣があるように思う。きっと有名な写真家だったのだろう。そいつと一時的に結婚して売り込んでもらう、なんていうのはよくある手法だ。

「それで、オデッサへは何をしに?」

「休暇でキシナウの実家に帰った後で、ある人の勧めで休養しに」

 ある人というのは“写真家”じゃないようだな。どうやらスポンサーが複数いるらしい。ラーレもそのうち彼女のスポンサーになるかもしれない。まあ、俺にはどうでもいいことだ。

 それから俺の経歴を訊かれる。マイアミ大で工学を修めて財団へ就職し、その後26歳で特例によりドクターを取得した、ということにしておく。どうしてこの仮想世界での俺の“正式な経歴”は、いまだに記憶に追加されないんだろう。

 夕食を終えて部屋に戻ったが、今日は調査ができなかったので、あまりすることがない。せいぜい、行った場所を地図に書き込むくらい。研究所に呼ばれたイヴェントは何の意味があったんだろうと考える。イリーナがキー・パーソンかと思ったら、ただのデートの相手役をさせられただけだったし。

 10時になったので、着替えてジムへ行く。昨日から何度も見かけているアスリートの女がまたいる。帰り支度をしていたように見えたが、俺がトレーニングを始めたら彼女も再開した。

 5分ほどしたらラーレが来た。いや、どうして君が来るんだよ。しかも、カメラ持ってるし。ジム内で性格を変えないでくれよ。

 アスリート女と何か話をしている。「あなたのことは映らないように気を付けますから」という言葉が聞こえてきた。どうやらカメラの持ち込みについて注意を受けたらしい。当然だな。ホテル側の許可は取ってたとしても、他の利用者にも断るべきだろう。

 どうやら解決したらしく、ラーレは邪魔にならない場所に三脚を立てて撮り始めた。三脚って!

 20分ほど経った頃に、ようやくコニーが来た。驚いたことに、トレーニング・ウェアを着ている。セパレート・タイプで、へそを出している。腹筋は見て判るほど割れてはいないものの、余分な肉は全くない。

 しかし、トレーニングはせず、俺の近くに立ってずっと見ている。だからといって俺が張り切る必要もないと思う。

「走ってみてくれない?」

 ショルダー・プレスをしている最中にそんなことを言い出す。トレッドミルはあまり使わないことにしてるんだけど。しかし、走り出すと嬉しそうに見ている。君も何かやれよ。

「どこを見てるんだ?」

「太股とお尻よ。動きが滑らかでとってもいいわ」

 モデルは静止するのが仕事だろうに、どうして動きに興味を持つんだよ。もしかして、動く筋肉のフェティッシュか? しかもラーレまで満足げにうなずいてるし。

 おまけに、アスリート女の視線まで感じるんだけど、気のせいか?

「ボールを投げる練習をするんでしょう? 投げてみてくれない?」

「ボールは持ってきてない」

「投げる動きだけでいいわ」

 なぜそんなものが見たいのか。下半身の動きを見たから、上半身の動きも見たい? さっきのショルダー・プレスじゃなぜいけないんだよ。まあ、やらない理由もないので、鏡の前でスローイングの動きモーションをする。コニーは熱心に見ている。

「やっぱり、ボールを持って投げる動きをしてくれない?」

「どうしてそんな動きが見たい?」

「だって、ボールを掴んでると、手の力の入り方が違うでしょう?」

 それはそのとおりだが、それをするには部屋にボールを取りに行かなくてはならない。よく解らないのだが、コニーの目を見ているとそうしなければならないような気がしてくる。マルーシャとまでは行かないが、目に強制力を持っているらしい。

 一言断って、部屋へボールを取りに行く。戻ってくると、コニーはトレッドミルで走っていた。アスリート女もまだいる。俺がスローイングを始めると、コニーはトレッドミルをやめて見に来た。ボールを持つと投げたくなるし、手を速く振るとボールがすっぽ抜けて飛んで行ったりすることもあるので、本当は持ちたくない。

 5分ほどやってコニーを見ると、目が「まだまだ」と言っているので、仕方なく続ける。5分経ってもう一度見ても「まだまだ」。結局、15分くらいやらされた。モーションだけを連続でこんなにやったのは初めてだ。普通は、フォームを補正したらボールを投げて確かめるからな。

「感想があるなら聞こうか」

「とても美しい動きだったわ。でも、完璧じゃないみたい。何となくそう思うだけだけど」

「実際にボールを投げるのとは、少し動きが違うからな」

「じゃあ、それを見せて」

「明日の朝だ」

「いいわ。何時にどこで待ち合わせるの?」

「君は今朝、6時にビーチで散歩をしていたと思うが、その時間でもいいか?」

「あら、今朝はたまたま早起きしたの。いつもはもっと遅いのよ。7時くらい」

「じゃあ、7時にビーチだ」

「いいわ。その後、どこかへ連れて行ってくれる?」

 何だ、その要求は。デートへ誘えっていう意味? どうしてラーレが後ろで頷いてるんだよ。俺がいない間に何か相談したのか? 明日、君をデートに誘ったら、俺はいつ調査をすればいいんだ。

「昼食まで? 夕食まで?」

「夕食の前まで」

 つまりその後、誰かと夕食の約束があるわけか。

「ここでは一応そういうことにしておくが、明日の朝に正式に誘うことにしよう」

「ありがとう!」

「ところで、君はトレーニングしないのか?」

「トレッドミルで少し走ったけど、今夜はもう遅いから、明日の朝にするわ。あなたも見ていてくれるわよね?」

 確かに、もう11時だ。フットボールの練習を真面目にした後で、筋力トレーニングをする、というスケジュールなら遅い時間ではないが、一般人はこんな時間までトレーニングはしないだろう。そこにいるアスリート女はまだ頑張ってるみたいだけど。

 それに、モデルは早く寝ないと美容に悪いに違いない。寝坊してまた約束の時間に遅れてきたら困るので、切り上げることにする。

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