#13:第2日 (3) ラボ・ツアー (2)

 第2研究部での技術紹介は、仮想世界のシナリオ・データの分岐の圧縮。主人公メイン・パーソンが自由に行動すると、膨大な数のシナリオ分岐が必要になるが、それを効率よく圧縮する技術だ。ツリー構造ではなくネットワーク構造と階層構造を複雑に組み合わせたところがポイントだそうだ。

「シナリオのつながりをそれで管理できるのは解ったが、登場人物が話す内容が前と矛盾しないように、という管理はどうやってする?」

「よくぞ訊いてくれました! 実は話の内容の構文解析をするツールというのがあるんですよ」

 別の研究員がすかさずパネルを出してきて説明する。町、建物、人物などの属性データとシナリオの分岐データとを参照して、その人物が話すのにふさわしい文章かどうかをチェックできるのだという。

 そしてもう一つすごいのは、話す内容に“嘘”“記憶違い”“隠し事”などの“正しくない内容”を含む場合を許容するところだ。もちろん、それにはシナリオ上に“理由付け”が必要なのだが。

「でも、そもそもシナリオを用意すること自体が大変なんですよ。1日に話す内容だけでも膨大な量ですからね。雑談とかジョークとかを入れようと思ったら、プロのシナリオ・ライターでもを上げると思います。だから今、登場人物の性格属性データと疑似記憶データから自律的にしゃべらせる仕組みを研究中なんです。別のチームのテーマですがね。でも、それが導入されたときでも、この圧縮技術やチェック・ツールは有効になるように作ってます」

「チェック・ロジックが間違っていると、登場人物があらぬことをしゃべり出すかもしれないぞ。注意してくれ」

「もちろんですよ! でも、それをちゃんと確認するのは10年か20年後くらい先の研究者だと思いますね。それまでは自律会話機能が実現できないでしょうから」

 そういうのは先に理論だけでも構築しておくもんだ。しかし、言語学者と連携する必要があるだろうな。

 次は第3研究部。イリーナに連れられて階段を降りる。彼女の胸の揺動は本当に素晴らしい。

 技術紹介は、音声データのリアルタイム構文解析と応答分岐判断。仮想世界において主人公メイン・パーソンが話した言葉を解析することと、その内容によって会話の相手に適切な行動――シナリオ分岐――をとらせるためのロジックの開発だ。

 説明者はオルガ・ヴィタリイという美人。細かいニュアンスの違いを判別することはもちろん重要だが、主人公メイン・パーソンが曖昧なことを言ったり支離滅裂なことを話したりもするので、相手に聞き直しさせる場合や、“勘違い”させることも必要だという。

「つまり、訳が解らなかったら全部同じ反応、というわけではないんだな」

「そうです。ずっと意味不明なことを言ってたら怒り出す、なんていう分岐にも入りますし、そこに至るまでの時間も、個人の属性はもちろん、時と場合によって様々に変化させるんです」

「意味不明ではなく、その場面において全く想定しないことを主人公メイン・パーソンがしゃべり始めたら?」

「いいえ、あらゆる会話を想定しますよ。例えば主人公メイン・パーソンが食事中に突然政治的主張を始めても、それに対する意見を言わせることだってできます」

「そうすると、ラボ・ツアーの途中に突然、説明員を口説き始めたら、ちゃんと応答してくれるってこともあるんだよな、イリーナ?」

「ああ! すいません、今の私にはそのシナリオが不十分なので応答できません!」

「私は常に用意していますので、試して下さっても結構ですよ?」

 アドリブでイリーナをちょっといじめてみたが、やはり対応できなかった。しかしオルガは対応できるらしい。本当かな。

「いや、やめておこう。実は俺はそういうのは前の日の晩に用意しないとできないんだ。アドリブでしゃべって失敗したら恥を掻くし、フロリダの研究所内で噂になっても困る」

「あら! やっぱり昨日の夜にラボ・ツアーのことをお知らせしておくべきでしたね。そうしたら、とても素晴らしい口説き文句をお聞かせいただけたのに」

 シナリオのことを常に考えているだけあって、オルガはとっさのジョークもうまいようだ。とても敵わない。

「もう一つ質問だが、会話をしているうちに頭が混乱して気絶してしまう、なんていうこともできるのか?」

 メキシカン・クルーズの時のティーラのことが思い出されたので訊いてみた。あの時、別に俺は彼女が混乱するようなことを言った憶えはないが。

「頭が混乱して? うーん、たいていの場合はパニックを起こすことになっていると思いますが、特に気の弱い性格とか気絶しやすい体質という属性でしたら、あるいは気絶するかもしれません。ただ、シナリオ上、気絶する必然性があるのでしたら、もちろん用意できますよ。愛の言葉を囁かれて、感激のあまり……というのでも可能です。自由自在ですから」

「そうか。俺も今夜のうちに、いつでも口説けるように準備をするよ」

 これで終わりかと思ったらまだあって、もう一度第1研究部に戻った。ただし今度はハードウェア作成チームで、主人公メイン・パーソンの行動データをリアルタイムに取得するためのデヴァイスを開発しているとのことだった。

 これが何と、腕時計の形をしている。装着しているだけで身体の各部の電位を測定し、頭から手足まで、瞬きから爪先の動きまで把握できるらしい。

 実際に、体育館――研究所内のレクリエーション設備として付属している――へ行って、動作を見せてもらう。

 デヴァイスを装着した後、いくつかの基本姿勢をとり、それを基準位置としてインプットすると、後は歩いても走ってもジャンプしても、テニスをしてもバスケットボールをしてもフットサルをしても、身体の動きを正確に把握することができる! それだけでなく、脳波と心拍と血圧まで測れる。

 これはいい。これを使って、俺のスローイング・フォームを確認できないだろうか。ただし、素早い動きに付いて行くことはできるが、動きの分解能はまだ指一本分とのことだった。16分の1インチくらいの精度が欲しいところだ。

「電位を測定するということは、例えばプールの中で水泳をしたら?」

「ああ! バレてしまいましたね。それは正確性が落ちるんです。汗を掻く程度なら補正できるんですが、濡れて接地してしまうとダメなんです。だから、大雨の中もダメ。そこは今後の課題です」

 さて、ここで一つお願いがあるんですが、と研究員が意味深長な笑みを浮かべる。

「今日これから夜まで、このデヴァイスを装着していただけませんか。遠隔でデータを取りたいところですが、それはまだできないので、専用の無線ストレージをお渡しします。ジーンズのポケットにでも入れておいて下さい。デヴァイスの方は、今夜シャワーを浴びる前に外していただければ」

「いいけど、条件が二つある」

「何でしょう?」

「一つは、解析結果を俺に見せること」

「もちろん、結構ですとも。2、3日かかると思いますが、全てお渡しします」

「もう一つは、解析する担当には、俺のデータであると知らせないこと」

「それはどうして?」

「デートをしてる最中にどこで心拍数が上がったか、どこでキスをしたかを調べられたら困るんだよ」

「ああ! ご心配なく、解析結果に対する秘密は守りますよ。でも、調べられて困る時間にはデヴァイスを外すっていうのが一番簡単では?」

「なるほど、それは気が付かなかった。都合の悪いデータを隠してはいけないと、カレッジの時に教わったんでね」

 ラボ・ツアーを終えて最初の会議室に戻る。主任以外にも人が集まっている。ほとんどはツアー中に説明を担当してくれた研究員だが、その他もいて、半分くらい女だった。この研究所はそんなに女が多いのか。

 感想を述べた後で、追加の質問をしてみた。

主人公メイン・パーソンの身体に何らかのパターンを埋め込むことによって、仮想世界の登場人物にそれを認識させることは可能?」

 いわゆる“目の秘密”が実現可能かどうかの質問だ。

「現状の技術では、アヴァターはあなたの“姿勢”は検知しますが、“造形”を検知して何かを判断することはありませんよ。しかし、もちろん将来的には造形を検知することになるでしょうし、そこに何らかのパターン、例えばデジタル・ウォーターマークやユーリオンのような隠しデータを検知すれば、特殊な対応をさせることも可能でしょうね」

 アクソノフ氏が言った。やはり、そういうのは一応可能ということか。

「見て判断するということは、近眼の登場人物には効きにくいかな?」

「パターンの粒度によるでしょう。身体でポーズを作るのなら近眼でも見えますし、指紋を見て判断するなら目のいい人でも相当近付かないと検知できない」

「声はどうだろう。特定の周波数パターンを、話の内容とは関係なく混ぜる」

「音声の歪み検出を使えばそういうパターンを分離できると思いますが……今はそこまではやってませんよ」

 今度はキリウク氏が答えた。可能は可能だが、余計な機能であると考えているらしい。

「催眠術は使える?」

「必要性があればそういうシナリオを作るまでです」

 必要性が認められるにはかなり時間がかかりそうだ。そこまで余裕がないのだろう。そもそも、ここで開発している“ことになっている”技術は、2007年よりはもっと後の時代のレヴェルじゃないのかと思うのだが。

 その後は、俺の研究に関する質問。個々の論文に関するものではなく、シミュレーターの性能やモデルとして使えるデータの種類に関するものが多かった。その辺は、既に読んでいた論文があるのでだいたいは答えることができた。解らないことは「後で回答する」ということにしておいたが、たぶん回答する機会はないだろう。

 全てが終わって外へ出ると、「昼食はどうされますか?」とイリーナが訊いてきた。

「特に決めていない。お薦めの店を紹介してくれるとありがたい」

「解りました! あの、私も一緒に食べに行ってもいいでしょうか?」

「もちろん」

「ありがとうございます! 私の研究のお話をしますね。それと、あなたの研究でもっとお聞きしたいことがあるんです!」

 話をするのはいいが、消化が悪くならない程度にして欲しい。

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