#13:第1日 (4) 道を案内させる女

 プーシキンスカ通りから小道を入って、考古学博物館。正面に4本の列柱が立った宮殿風の建物。

 その奥にあるのが文学博物館。こちらは真っ白の建物で、何となくホテルを思わせる。

失礼ですがプロバチュテ?」

 おいおい、また美人から声をかけられた。えーっと、君、ウクライナ系? それともロシア系?

何か用ワッツ・アップ?」

「チョコレート博物館へ行きたいの。案内してくださいます?」

 ああ、そういうのが確かにあるね。どこだっけ。そんなに遠くないはずだけど。

 そういやブリュッセルにもチョコレート博物館があったよな。ベルギーはチョコレートで有名だから解るけど、オデッサはチョコレートとどういう関係があるんだ?

 とにかく、美人が差し出した地図を見る。やっぱり近いじゃないか。プーシキンスカ通りを南へ行って、デリバシフスカ通りを西へ2ブロック。

「案内してくださいます?」

 説明するだけじゃなくて、連れてけってことかね。まあ、近いからいいけど。

「じゃあ、こっちへ」

「あら、こっちからの方がいいわ」

 美人がランヂェロニフスカ通りの方へ行こうと誘ってくる。確かに、南へ1ブロック行ってから西へ2ブロック行くのと、西・南・西と1ブロックずつ行くのとでは、距離に変わりはない。

 でも、そっちへ行くと、少女たちがたむろしている噴水広場の横を通るんだ。きっと注目を浴びるぜ。美人だからな。

 背は高くて5フィート9インチくらい。つややかでさらさらの長い金髪ブロンド。ほっそりと形のいい顔に、大きくつぶらなヘーゼル色の目。綺麗な弓形でおいしそうな唇。ライム色の麻っぽい半袖シャツを着ているが、その胸の膨らみ方が尋常でない。そのプロポーション、どうもマルーシャに酷似してるんだけど。

「私の顔、何か変かしら?」

 いや、顔3、胸7くらいで見てたんだけど。

「君によく似た女を見たことがあるなと思ってね。名前は?」

「ニュシャ」

「いい名前だ。ところで、マルーシャっていう名前に心当たりは?」

 美人が微笑んでいっそう美しくなる。

「友人がいるわ。あなたの友人と同じ人かしら?」

 まさか。マルーシャってのはあのマルーシャのためだけの名前じゃないだろ。

 それより、ニュシャがマルーシャの変装かもしれないと疑っているのだが、髪の色が違うし、染めたりウィッグを付けたりもしていなさそうだ。目の形も唇の形も違うし、化粧などでごまかしきれるようなものではないだろう。

 胸の大きさは同じくらいだけど、柔らかさはたぶんニュシャの方が、いや、触ったわけではないから確かなことは判らないけど。

 ところで、マルーシャの本名って何だっけ。ハンナ・イヴァンチェンコ……でも、ハンナの愛称がマルーシャになるのはおかしいな。そうだ、マリヤだったんじゃなかったか。

「マリヤ・イヴァンチェンコって名前だが」

「じゃあ、やっぱり私の友人と同じだわ」

 偶然の一致の確率って、どれくらいあるんだ?

 広場の少女たちの前を通り過ぎる。何人かがこっちを見ている。それだけじゃなく、ひそひそ話をしている。聞こえないけど。

「まさか! 彼女の恋人は、もっとハンサムな男だったわ」

 時々聞こえるような大声を出す少女もいた。やっぱりニュシャのことを噂してるな。誰なんだよ。もしかして有名人? 少女たちに顔とか名前とか知られてる? 明らかに釣り合わない男で悪かったよ。

 劇場の前で、リシェリエフスカ通りへ折れる。通行人は少女たちと違って特に反応はない。良かった。

「オデッサに来たのは、旅行?」

「ええ、あなたは?」

「俺も旅行だ」

「そう。ぜひ、楽しんで過ごしてね」

 どうしてそんな、観光案内所の係員みたいな言い方するんだ。それとも、ここには何度か来たことがある? だったら、なぜチョコレート博物館の場所を知らないんだよ。最近できたのか?

 俺の名前すら訊かないってことは、興味がない? デリバシフスカ通りへ折れる。あと100ヤードくらい。

「オデッサへはいつから?」

「一昨日から」

「どこに泊まってる?」

「友人の家に泊めてもらってるの」

「マルーシャのところ?」

「いいえ、別の友人のところ」

「いつまで滞在する予定?」

「来週の水曜日まで」

 チョコレート博物館に着いた。単独の建物ではなく、共同住宅テネメントの1階に入居している店舗を改装しただけのように見える。

「どうもありがとう! 中で友人が待ってるの。さようならド・ポバチェニャ!」

 捨てられてしまった。純粋に道案内のために声かけられたのか。君、キー・パーソンじゃないのかよ。俺も中へ入るか? いや、やめておこう。こんなところに男一人で入るなんておかしいだろ。

 次はどこへ行こうか。さっき考えていた順路に戻すかな。東へ2ブロック戻り、プーシキンスカ通りを南へ。西洋東洋美術館がある。スカイブルーの壁に、柱と窓周りが白い、爽やかな建物だ。ただし、柱や窓周りの上部の装飾は凝りに凝っている。

 中へ入るかどうかは、収蔵品を確認してから決めよう。西洋の絵画はフランス・ハルス、ホセ・デ・リベラ、アレッサンドロ・マニャスコ……いや、全然知らないな。

 ああ、一人だけ知ってる名前があった。ルーベンス。知らない画家の絵でも傑作はあるだろうけど、それが俺には解らないから。

 東洋の収蔵品はイランの家具やタイル画、インドの宝石、チベットの宗教芸術、チャイナの漆器、日本の浮世絵、その他の儀式用塑像。

 インドの宝石が気になるな。確か、昔はインドの近海で真珠が採れたんだろ。いや、スリランカだったか? しかし、リーフレットを見ても真珠付き美術品のサムネイルはない。カーネリアンという赤い石だけだ。

 一応、入ってみるか。関係なさそうならすぐに出ればいい。1階が東洋のコレクションだった。リーフレットでは強調されていなかったが、実は日本のものが多いじゃないか。浮世絵がこんなに。チャイナと混同されてるんじゃないか?

 関係なさそうなものは放っておいて、宝石類。少ないな。やはり、カーネリアン。それから珊瑚。これって宝石か? それに、象牙細工。いや、絶対に宝石じゃない。これだけか。うーむ。仕方ない、もう出よう。

 南へ行って、プーシキン文学記念館。文学博物館があったのに、プーシキンだけ別格か。でも、これホテルだろ。この中の一部が記念館?

 ホテルの入口に男の銅像。もちろん、これがプーシキンだろう。でも、プーシキンがどんな顔をしてたか知らないんだけど。

 入ろう。プーシキンはどうやらオデッサにとって重要人物らしいし、知っておく必要がある。

 かつてプーシキンが滞在していたという部屋に、遺品や自筆原稿が展示されている。略歴も紹介されている。モスクワで地主貴族の息子として生まれる。幼い頃から文学に親しみ、詩を書く。デルジャーヴィンに認められ……まあ、この辺はどうでもいいか。

 オデッサとの関わりは? 1823年、オデッサへ移り住む。ヴォロンツォフに仕え、彼の妻のエリザベータを敬愛し、数多くの詩を捧げた。

 まさか不倫関係にあったんじゃないだろうな。NFLでもアリーナ・リーグでも、不倫がバレたらリーグの風紀を乱したとして契約打ち切りの上に賠償金を課されて、一生が台無しだぜ。

 1824年にプーシキンがオデッサを去るとき、エリザベータは指輪を与えた。しかし、指輪はオデッサに残されているという伝説があり……そういうおもしろい逸話があるなら、これをターゲットにした方がよかったんじゃないか?

 ここはこんなところかな。次へ行こう。一つ南のブロックにある、交響楽劇場。1898年竣工。元々は証券取引所として設計された建物らしい。ファサードはロッジアと呼ばれる柱廊になっていて、天井に黄道十二宮のシンボルが描かれている。オデッサ交響楽団の本拠。

 入口の前の看板に今後の公演スケジュールらしきものが書かれているが、キリルで読めない。中を見ることもできなかった。

 さて、ここからは少し変わった博物館を回ってみる。まず、貨幣博物館。ブーニナ通りを西へ2ブロック行って、カテリニンスカ通りを北へ上がり、グリェツカ通りの南側。貨幣のみで紙幣はないらしく、それはコイン・ショップとでもいうのではないかと思ったが、残念ながら今日は閉まっていた。週末に閉まっている博物館というのは、どういう人を対象にしているのだろう。

 カテリニンスカ通りへ戻り、北へ行くと、デリバシフスカ通り沿いにチョコレート博物館が見える。さっきの美人が友人を連れて出てきたりしないかと思ったのだが、期待はむなしく外れた。

 さらに北へ行くと、密輸博物館がある。博物館というほどの広さはなく、それこそ共同住宅テネメントの1階を2部屋借りてつなげたようなスペースだ。

残念ながら、英語の説明は全くない。しかし、“見れば判る”という類いの展示で、没収された密輸品とその密輸の方法が絵で説明してある。

磁器のティー・セットの中にコカインを隠す方法があれば、車のドアの中に煙草を隠す方法もある。国境の地下にトンネルを掘って、などというスパイ映画まがいの手法を見せるジオラマもある。シカゴの歴史博物館で密造酒の輸送方法の展示を見たことがあるが、あれよりももっと巧妙なものが多い。

 そして捕まった密輸犯の写真。こいつらの肖像権はどうなっているのだろうと思う。

 それとここでは、“秘密地下道”を回るツアーを申し込めるらしい。オデッサの街の地下には合計1500マイル以上に及ぶ地下道が掘られていて、そのうちの残存している一部を巡るものらしい。所用3時間。

 この世界最大の地下道は、第2次世界大戦時にドイツ軍に対するレジスタンスの拠点として掘られたもので、街の地下に縦横無尽に張り巡らされているのだが、時々陥没して上の建物が傾くこともあったそうだ。

 仮想世界のゲームでも、こういうところを舞台にしてみたらどうかと思うが、暗いところが苦手な競争者コンテスタントにとっては、はなはだ迷惑だろう。

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