#12:第7日 (19) 隠されたメッセージ

 アンティパストが出てきた。トマトのチーズ詰めファルシ。ガーリックが効いている。

 だが、その味よりも、彼の話の続きが気になって仕方ない。どうして私は、こんな気持ちになっているのだろう。

「その後は……もう一つのマリーナへ?」

「そう。デメトリアの治療は応急処置だったんで、救急病院へ運んでもらった。その後、ホテルへ行って、着替えて、デメトリアとここへ来た。もちろん、サレルノの中心から離れることが目的なんだが、デートの詳しい内容は説明しなくていいよな」

「私へのメッセージを残したのは?」

「君なら俺を探してくれるんじゃないかと思って。ホテルとギンザーニの両方に残したんだが、どっちを見た?」

「両方とも」

「ベアトリーチェや料理人は、ちゃんと演技してくれたようだな。君が気付かないなんて、たいしたものだ」

 二人とも、手紙を昨日受け取ったと言った。演技とはそのことだろう。演技どころか、自然な笑顔だった。

 それから、デメトリア・パレッティが船のチケットを用意し、船長に言伝てを頼み、アマルフィでヴァケイション中の競争者コンテスタントや、観光中のキー・パーソンにメッセージを伝えて……

「私や彼らの移動には、どんな意図があったの?」

 私は操られるままに動いたが、その真意をまだ見抜けていない。何か意味があったはずなのだ。おそらくは、ターゲットに関する何か。

「まず一つは、クリシュナンや教授の目を欺くこと。君が意味ありげな行動を取ってくれれば、彼らの注意がそっちへ行く」

「教授も?」

「指輪がすり替えられたことに気付いたら、俺を捜そうとしたかもしれないからさ。ただ、あのアタッシェ・ケースの錠は、そこそこの解錠技術がないと開けられないから、少なくとも午前中は安泰と思っていた」

「彼らの仲間には元々錠前師が一人いたから、その男を呼び戻せば開けられたかも」

「そういうのがいたのは、アルビナの言葉の端々から気付いてた。でも、鍵穴を壊しておいたし、それで数時間稼げるから」

 教授のことだから、アルマン・ラフィーをすぐ呼び戻せるところにかくまっていたに違いない。それでも、錠前自体が壊されていればすぐには開けられないわけで、彼の判断は正しかっただろう。

「ごめんなさい、話を中断してしまったわ」

 第一皿が出てきたので、話を戻す。フェトチーネ・アッラ・ナポリターナ。トマト・ソースに、ニンニクとバジルの香り。

「だが、クリシュナンは、どうやら欺けなかったようだ。彼の話したことは、ほぼ正しい。気付かれなかったのは、海に落ちてから、救急病院へ行くまで、いや、そこからホテルへ行くまでかな」

「私は尾行されていたように感じなかったわ」

「アマルフィに着いたときも?」

「ええ」

「だが、君が船に乗ったのを確認した奴がいる、というのは船長に聞いたよ」

「ごめんなさい、私の注意力が散漫で、気付かなかっただけかもしれない」

 私はあの時確かに、ぼんやりしていた。自分が何をしているかも、よく解っていなかった。

「謝ることはない。もう一つの意図は、ターゲットの動きを複雑にすること。船長に渡してから、三つの選択オプションがあった。一つ、エロイーズ。彼女は君も知っているだろう。プレゼントを渡したいからということで、ソレントからアマルフィに来てもらった。二つ、ナカムラ・ツカサ。ヴァケイション中の競争者コンテスタント。自称・無職に近い画家。この二人はクリシュナンもちゃんと見ていた。三つ、船長からクラウディアへ戻す。その選択オプションを、クリシュナンは見落としたのかな」

 彼が船長に渡した包みの中には、二つではなく、三つの品が入っていたということだろう。

「船長と話をしなかったからだわ」

「そういうことか。時間がなかったんだろうな。実は俺も、彼に会ったことがないんだ。君は同じ船に乗っていたから、会っているだろう」

「ええ、メッセージをもらったわ」

「俺はそんな指示をしていないよ」

「ナカムラ・ツカサからのメッセージ」

「彼と話したのか」

「ええ。あなたが、フットボールの話を聞かせてくれなかったと言っていたわ」

「それだけ?」

「次に会ったら、約束どおり、スタジアムへ連れて行って、ゲームの解説をしろ、と」

「なるほど」

 彼はしばらく黙って考えていたが、急に「デザートは?」と訊いてきた。

「今日はいらないわ」

「デリツィア・アル・リモーネは君のお気に入りなのか」

「ええ」

「そういえばモントリオールでもレモンのケーキを気に入ってくれたな」

「ええ、レモンが好きだから」

「憶えておこう」

 食事を終えて店を出たが、この後どうするのだろう。素直に、ゲートへ向かうのか。クリシュナンを追いかけなくて、いいのだろうか。

 モトの後ろにまたがり、彼の身体を再びしっかりと抱きしめる。走り始めると、私の心の中に、彼の“効果”が少しずつ侵入してくるのが感じられた。

 彼には目だけでなく、触れているだけでも相手の心に入り込むような、何かがあるのに違いなかった。セニョリータ・ゴディアも同じように、彼に心を奪われたのだろう。私もようやく、身体で理解した。

 30分で、サレルノ市街に戻ってきた。まだクリシュナンかその協力者が見張っているのではないかと思うが、彼はモトを停めた。古ぼけた大きな建物の前。駅の少し北、ミケーレ・コンフォルティ通りを走っていたはず。

 降りるのかと思ったら、彼はモトにまたがったまま、その建物を見つめている。その視線の先、建物の上部の壁に、"Stadio Comunale Donato Vestuti"とある。

 競技場だろう。陸上競技のトラックと、フットボールのピッチを複合したフィールド。ただ、あまりにも古すぎて、使用していないはず。私の時代では、公園に改装されていたと思う。

 なぜ彼は、ここで止まったのだろう。

「違うな。ここじゃない。しかし、他にはありそうもないが」

「何を探しているの?」

「言ってもいいんだが、このモトに盗聴器が仕掛けられたりしてない?」

「ないわ。乗る前に確認したから」

 本当は、バッグの中のセンサーが反応しないから。けれど、彼には言わないでおく。

 だが、彼は何も言わなかった。ヘルメットを外し、ナヴィの地図を見ているらしい。何か考えごとをしているようなので、私は黙っていよう。

「いやいや、やはり違う。ここでは彼の美的感覚に合わない」

 “彼”とは誰だろう。運び屋キャリアーであるナカムラ・ツカサのことか。画家ということだから、美的感覚という言葉と符合する。

 しかし、“美的感覚に合わない”とは? どこか、合うような場所を探しているのだろうか。彼はまだ、考えている。

 待っている間に、もう一度建物を見上げる。スタジアム。ナカムラ・ツカサは、スタジアムのことを言っていたのではないか?

 ここで待ち合わせるという意味だったのだろうか。そんなことはあり得ない。ここでは、フットボールなど行われるはずがないのだから。

「何だ、そういうことか。判った。たぶん、当たっている。外れていたら、アマルフィへは……1時間半か。12時には、間に合うだろう」

 だが、彼は独り合点しながら呟いた。彼はめったに独り言を言わない。今のはきっと、私に聞かせるためだろう。そして右肩越しに振り返って言った。

「もうしばらく走る。どこへ行くかは、着いてからのお楽しみということでいいか」

「いいわ。あなたの考えに、任せる」

「ありがとう。さっきクリシュナンと話したときも、君が黙っていてくれて、助かった。俺の後ろへって言ったのは、君をクリシュナンから隠したかったからなんだ。君は何も言わないだろうけど、視線がね。俺が君を見たり、君が俺を見たりすることで、奴が何か気付くと良くないと思って」

 ようやく理解した。私は、思考を顔色や視線に出すことはない。しかし、彼はそうでないのだろう。彼が私の顔を見なくて済むように、したのだ。

 だが、彼は本当に視線に不安があるのだろうか。フットボールのQBクォーターバックは、守備を誘導するのに視線を使う。ボールを投げるときに、本当に投げたいターゲットとは違う方へ一瞬だけ顔を向け、守備を動かし、隙を作る技術を持っているはず。

 あるいは複数のターゲットとあらかじめ意思を疎通コミュニケイションすることで動きを把握し、ノー・ルックでパスを投げるといったような。

 先ほども、本当はその技術を使って、クリシュナンを惑わせたのではないか。その際、私とは十分に意思を疎通コミュニケイションしていないから、横にいたら邪魔になると……

 ようやく、彼が何を考えていたか、解った。ターゲットの在り処だ! 彼は、ターゲットがナカムラ・ツカサの手に渡ったと思ったのだろう。しかしナカムラがそれを持って、退出してしまうことはないと考え、どこかへ置いていったと予想した。その場所は、ナカムラのメッセージの中に隠されていると。

 ナカムラの言った言葉を、正確に思い出して、彼に伝えた方がいいだろうか?

 私が考えているうちに、彼は、ヘルメットを被り直した。私は彼の身体に掴まる手に、再び力を込める。私と彼の体温が、同じになっている。

 モトが走り出す。スタジアムの反対側へ出て、パオロ・デ・グラニータ通りから、A3へ。アレキ城の下のトンネルを、駆け抜けた。彼を抱きしめているうちに、体温が溶け合い、身体の境界がなくなっていく感じがした。

 今までは、ステージが終わる時の緊張感を解きたくて、彼に近付くことが多かった。それは、彼のこの“効果”を私の心が求めていたからだろう。彼の近くに座っているだけで、不思議と癒やされた。しかし、次第に彼のこの“効果”に依存するようになっていたかもしれない。

 このまま、彼と私は、どこまで走るだろう。目的地までに、私の心が全て彼の“効果”で満たされてしまうかもしれない。その時、私は、理性を保つことができるのだろうか。彼に私の全てを捧げてしまうことに、なりはしないだろうか。

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