#12:第7日 (15) 遺跡まで30分

 改めて、考えてみる。彼が海に落ちるのが予定なら、その目的は何か? もちろん、あの場から行方をくらますことにあるだろう。

 そうしなければならない理由は、私たちの行動の趣旨を考えれば、簡単に導き出せる。ターゲットを奪うためだ。つまり、彼はターゲットを保持している……

 では、彼がいつそれを入手したか。ガイオラ島の屋敷に忍び込んでから、脱出するまでの間。彼が宝石の入ったアタッシェ・ケースを手にしていた機会は、二度しかないはず。一度はアタッシェ・ケースを海に落とすときで、もう一度はその前の……でも、私が提案した方法では、宝石をすり替えられなかったはず。それに、時間は?

「ここは人目が多すぎるから、場所を変えよう。もっとも、カフェでもレストランでも、泥棒の話をするにはふさわしくない場所だけどね」

 いつの間にか彼が戻ってきて、言った。さっきは、私の気分が悪そうだったので、ここで少し休ませようとしたのだろう。直接的に言わないのは、彼の気遣いかもしれない。

「場所は、あなたが決めて」

「アレキ城に行ったことは?」

「今朝行ったわ」

「そうか、行ったのか」

「ごめんなさい。あそこからの景色はとても好き。でも、今朝行ったときにはレベッカ・フォンテインがいたから、避けた方がいいかもしれない」

 なぜ、私は今、謝ってしまったのだろう。

「そうだな。この辺りだと、教授や、その、何と言ったか、インド人に見つかる可能性もある。じゃあ、パエストゥム遺跡を知ってるか」

「名前だけは」

 本当は、行ったことがある。どうして私は嘘をついたのだろう。

「そこへ行こう」

「ええ」

 しかし、彼は動かなかった。私が立つのを待っている。立つのに支障はないと思うが、速く歩くとどうなるか判らない。

 二回、そっと深呼吸をしてから立ち上がった。歩き出そうとすると、またシニョリーナ・ジャコメッリがやって来て、私と彼に輝かしい微笑みを投げかけた。

「シニョール・ナイト、この度は私たちのプラザ・ホテルをご利用いただいて、本当にありがとうございました。次回、サレルノにお越しの際にも、ぜひご利用下さい。できれば、シニョリーナ・チュライもご一緒にどうぞ」

「彼女と一緒に泊まると、俺の婚約者が怒る。もし次に来るとしたら、その婚約者を連れてくるよ。その時には結婚しているかもしれないが」

「まあ! では、お二人は本当にご友人どうしなんですね。大変お似合いですのに」

 そう言われて、彼は本当に困ったという表情をしている。確かに、彼女の無邪気さは少々扱いにくいところもあるけれども、それを口先で丸め込もうという気はないらしい。あるいは、こういった純真さを裏切るのが苦手なのだろうか。

「とにかく、君には本当に色々と手伝ってもらって助かった。これはほんの気持ちだ」

 財布を出してきて、札を抜いて、彼女に渡した。額面を見ていないようだ。

「まあ、こんなに! それほどのことをしたとは思っていませんが、ありがたく頂戴します。それでは、この後もよいご旅行を!」

 シニョリーナ・ジャコメッリは別れの挨拶を述べながら、彼の手を握った。それから私の手も握ってくれた。私はこのホテルの客ではなかったのに。

 私はいつもするように彼女を軽く抱きしめてから、彼の後についてホテルを出た。彼は中庭へ行ったが、そこにモトが置かれていることを、前もって気付いていたようだ。

「マリーナから君が乗ってきてくれたんだな」

「ええ」

 その時は、彼のためとは思っていなかった。乗り手がいなくなってしまったので、私が引き継ごうと思っただけ。

「服や財布は、アルビナがホテルへ持って来てくれたらしいんだ」

 そういえば、彼女はそんなことを言っていた。彼女は本当に悲しそうだったから、そのまま形見に持って行ってしまうことも考えられたけれど。

「運がよかった、ということね」

「そうだな。身分証明すらできなくなる可能性があったわけだ。もっとも、ステージから退出してしまえば手元に戻ってくるとは思ったけど」

「意図的に捨てない限り、戻ってくるでしょう」

「とにかくステージの残り時間を、ウェット・スーツのまま一文無しペニーレスで過ごすという、様にならない状況は避けられたわけだ。さて、パエストゥム遺跡へは」

 彼はそう言いながら、モトのシートを軽く手で叩いた。

「これで行こうと思う。君も一緒に行くとなると、後ろに乗ることになるわけだが」

「それで構わないわ」

「OK、その返事をもって、君が俺のことを共同作業者だと思ってるという返事と見做そうと思う」

「ありがとう」

「言っておくが、後ろに乗ったら、俺の身体に掴まるんだぜ」

「もちろん、そうするわ」

「君の胸を俺の背中に押しつけることになるが」

 彼が、何を言おうとしているか判った。その程度の身体の接触を気にしているのだ。私のことを後ろから抱きしめたり、腕で抱き上げたりしたことがあるはずなのに。

 それに彼は、私が前のステージで、眠っている彼を抱きしめていたのを知らない。

「ええ、しっかり掴まっているわ」

「そういえば、君のヘルメットがないな」

「この時代のサレルノ州では、着用義務はないはずだけれど」

「どうして君はそんなことまで知ってるんだ?」

「それより、左腕は? 怪我がひどいのなら、私が代わりに運転するわ」

「怪我をしたのは腕じゃないんだ。肩でね。かすっただけで、大したことはないんだが、腕をぶらぶら動かすと痛いんで、吊ってた。モトに乗るときは、動きが激しくないから、外したって構わない」

 彼は白布を外し、丸めてポケットに入れようとしたが、入らないので鞄に詰め込んだ。鞄はシート下にはもちろん入れられないので、私が背負うことにした。持ち手を両肩に掛けると、ちょうどリュックサックのようになった。

 彼がモトにまたがり、私が後ろに乗って、しっかりと抱き付いた。

「しっかり抱き付くのは、走り始めてからでいいよ」

 そう言われたが、彼の背中は私が思っていた以上に心地よかったので、手の力を緩めることはしなかった。

 後ろから男に抱き付いたのは、アルテム以外では、彼が初めてだった。いつか再び、アルテムにこうして抱き付く日が来ることを願う。仮想世界の中だけでもいいから。

「パエストゥム遺跡までは30分くらいだ。実は、昼にデメトリアと行ってきた。その時は、彼女の車で、彼女が運転したんだが」

 私が返事をする前に、彼はモトを走らせた。50mphくらいだろうか。一人で乗るならもっと出しているだろうが、二人乗りなので加減しているのだろう。

 道は私が知っているのとは違って、ずっと海岸に近い通りを走っている。パエストゥムは古代ギリシャ・ローマ時代の都市遺跡で、紀元前500年頃に建造された神殿が三つ、比較的よい状態で残っていて……いいえ、今こんなことを思い出すのはよそう。私が知りすぎていると、彼が気を悪くするかもしれない。

 アレキの町を通り過ぎるときに、マリーナが見えた。海が見えなくなったのは、15分ほど経ってからだった。

 そして彼が予告したとおり、30分で遺跡に着いた。東西に1.5キロメートル、南北に6キロメートルに渡る広い敷地。その北東の入口の前にモトを停めた。

 私が背負っていた鞄を返すと、彼はそれを手に持って歩き始めた。いつもこの重い鞄を持ち歩いているようだが、どこかに置いてきたら良かったのに、と思う。

 もっとも、常に自分の全荷物を持ち歩かないと気が済まない、という考えの人がいることは理解している。

 まだ陽は高いが、遺跡にはほとんど人がいなかった。彼が何も話そうとしないので、私の方から訊くべきかもしれない。

 最初に何を訊けばいいか、モトに乗っている間に考えておけば良かった。彼の背中に掴まっている間は、思考能力が失われていた気がする。とても気持ちが良くて、心が無になってしまったのだった。

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