#12:第7日 (16) 遺跡にて
「アントゥアサル・ダリーが裏切り者だということに、いつから気付いていたの?」
遺跡公園の中へ入ってから、ようやく彼に質問した。
「アントゥアサルってのは何だ?」
「英語のミスターに当たるゲール語。判りにくいから、みんな
「最初に変だと思ったのは、ナポリの宝石店で見かけたときだな」
「宝石店……」
彼が、フランス女性たちとデートをしたときだろう。その際、私は宝石店を見てきて欲しいと頼んだ。
「こんなところに何の用があるんだろうとね。デリツィア……じゃない、ディアマンテ・アル・リモーネのことを調べるにしても、あの日じゃなくてもっと前のはずだ。それで、店員に訊いてみたら……彼はハンサムで目立つから、店員はよく憶えてるんだな。ハンサムは不利だ」
アントゥアサル・ダリーは特別な容姿だが、彼自身も卑下するほどではないのに。
「それはともかく、彼は指輪を買おうとしていたことが判った。イタリア式で54、合衆国式だと7と言っていたから、女性用にしてはやけに大きいサイズだ。アイルランドに大柄な恋人でもいるのかと思っていた。ところが次の日、クラウディアとデメトリアと船に乗ったときに、マリーナで妙な名前の船を見つけた。"Blanche D."」
彼がサレルノで遭遇するシナリオに、そんな副次的なヒントがあるとは思っていなかった。しかも、それを見逃さないとは……
「見るからに女の名前だが、イタリアなのにフランスの名前を付けるなんておかしい。しかし、そういえばあの
「ええ、一応」
「太った女のことをそう呼んだら、君は気を悪くするかい」
「私がそう呼ばれても別に気にしないけれど、呼ばれた人がどう思うかだけじゃないかしら」
「俺も面と向かっては使わないようにしてるよ。それで、その
マドモワゼル・ブランシュの
「まさかとは思ったが、一応頭の片隅に入れておくとして、そもそもダリー氏は作戦が成功する前からどうしてそんなに金があるんだろう、という疑問を持った。それを敷衍していって、それなら最後はサレルノまで彼らを追いかける可能性があるだろう、と考えた。それで、ディーラーに頼んで、モトをあの集合場所に持っていってもらった」
「でも、私へのあの手紙は? シニョリーナ・ベアトリーチェ・ジャコメッリは昨日の朝、預かったと言っていた。でも、全体の計画が判ったのは昨日の夜だった。それなのに、朝の時点でマリーナへ行くことが判っていたの?」
「あれは幸運な偶然だった。ところで」
遺跡公園の入口から、北へ向かって歩き、一番北にある神殿の前に来ていた。
「これは何ていう名前の神殿?」
答えようとしたが、思い直し、入口でもらったリーフレットを見てから答えた。
「アテナの神殿」
「本当はそれを見なくても知ってるんじゃないのか」
「あなたこそ、今日来たんだから、知ってるはずなのに」
「デメトリアは子供の頃に、家族で見に来て以来と言っていた。20年ぶりだったそうだ」
北西の角を回ると、柱の陰で男女が抱き合っていた。神殿の周りには柵があるのに、勝手に中へ入り込んでいる。
「アテナは愛の女神だっけ。知恵の女神じゃなかったか」
「ええ、そう」
芝生の中の道を、しばらく黙って南へ歩いた。
「朝の時点ではどこへ行くのか判っていなかった。ただ、マリーナに何かあると思っていたので、もし俺に何かあったときは、君にマリーナを調べて欲しいというつもりで、ホテルにメッセージを残した。他にもメッセージを残したが、あれは後からの付け足しでね。まあ、それは後で話そう。まず、ダリー氏を追いかけ始めたところから」
本当はその前に、彼はディアマンテ・アル・リモーネをすり替えているに違いないのだが、きっと後で話してくれるだろう。
「あの集合場所で、きっと何かあると思っていたので、投光器の光はなるべく見ないでおいた。たまたまゴーグルが偏光レンズで、減光されていたという幸運もあった」
「ええ、アルビナもそう言っていたわ」
「海から上がってくるときに、彼女といちゃついてるように見えたかもしれないが、あれは足下が暗くてよく見えなかったからだ」
彼はなぜ言い訳するのだろう。私がセニョリータ・ゴディアに嫉妬しているように見えたのだろうか。嫉妬なんて……私自身にもよく解らない。
「さて、発砲があったので、やはりアントニーが裏切ったと思った。残っている人数を確認して、確信。隠しておいたモトで、ルノーを追いかけた」
「待って、どうして追いかけたの? 宝石のすり替えに成功したのなら、追う必要はなかった」
「でも、あの状況では、追う方が自然だろ。そうすれば、すり替えたことにも気付かれないだろうし」
それは確かにそうだろう。私も、本物を奪われたと思ったから追いかけた。
「ところで、モトのナヴィに変わった機能が付いていたんだが、あれは君の仕業だよな」
「ええ、あなたに黙っていたのは悪いと思ったけれど」
「俺の行く先を監視したかった?」
「ええ」
「君の予想外のところに行くつもりはなかったけど」
「これからはあなたのすることは、全て信用するわ」
「あの機能がなくても、A3に入れば追い付くだろうと思っていた。追い付いて、マリーナへ行って、追い詰めて、アタッシェ・ケースの奪い合いをして、そのついでに海へドボン!というつもりだった。何しろ、奪い合いには自信があるから」
「ファンブル・リカヴァーのことかしら」
「そう。君は絶対知らないだろうが、俺は高校の時にスペシャル・チーム……キッキングのリカヴァー・チームとして、ファンブル・リカヴァーの学校記録を持ってるんだ」
「尊敬するわ」
「潜りは自信がないが、ちゃんとエアー・タンクも持って来ていた。エアーが切れかけていたのにはちょっと焦ったが。ところが、君がダリー氏を撃ったのに、彼が銃を持ったままだったのは予想外だったから、ああでもしないと海に落ちることができない」
「どうして海に落ちる必要があったの?」
石畳の広い道を歩く。左手には
「アタッシェ・ケースを取り返した後で、じゃあ、開けてみよう、って言われたら困るからさ」
「宝石が入っていないから?」
「いや、レプリカと入れ替えた。でも、レプリカだとすぐに判るから」
「いつレプリカを手に入れたの?」
それは私が彼に手渡すつもりだった。その機会を逸して困っていたのに。
「ナポリへ行ったとき。宝石店で、エロイーズたちが買い物をしてる間に、展示ケースの中から引っこ抜いてきた。盗難防止もしてなくて、どの店でも客に気軽に触らせてたから、簡単だった」
やはり彼は優秀だった。これからは、彼と同じステージになったときは、一切の妥協ができない。
「あなたがそこまですると思っていなかった」
「君に頼ってばかりいられないんでね」
「でも、アタッシェ・ケースの中の宝石が、最初からレプリカだったと主張する手があったと思う。アルノルドがレプリカを入れていたことにして」
「なるほど、そこまでは考えなかった。アルノルドが本当にそうしていたら、大失敗だったな」
それは確かにそう。金庫を囮にして、巧妙な隠し場所を用意したことで満足して、本物を保管していてくれたから盗めたけれど。
「話を戻すけれど、アントニーはアタッシェ・ケースをフォンテインに渡したわ。それでもあなたは海に落ちなければならなかったの?」
「あれも成り行きかなあ。アントニーを取り逃すにしろ、レベッカたちに奪われるにしろ、せっかく追い詰めたのに何やってんだって言われるのが嫌だったんでね。あの後、取り返すために、教授たちに付き合わされても面倒だし」
前者は、フットボール・プレイヤーの彼にふさわしい言い訳に思えた。行動に合理性を求めるところが。
「つまり、あの時点で教授たちから離れることが一番の目的?」
「そう。さて、次に君は、宝石をどこに持っているの、と訊く」
「いいえ、それは退出直前に教えてくれればいいわ」
「そうか。君の考えはやはりなかなか読めないな」
「でも、宝石はいつすり替えたの」
「もちろん、島にいる間だよ」
彼が平然と言った。それだけは、できないと思っていたのに。
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