#12:第6日 (2) 水着の試着

 熟睡を避けるためソファーに座って寝たのだが、45分に1回の割合で目を覚ます羽目になってしまった。しかし、少しは睡眠不足が解消できたようだ。

 最後に目が覚めたのは4時過ぎ。部屋の中は真っ暗。もちろん、外も真っ暗。腕時計の夜光塗料だけが唯一の灯りだ。

 さて、アンナは起きているだろうか。まだ寝ているのなら、起こすときにドアをどれくらいの強さで叩けばいいのか。あまり強く叩くと、他の奴まで起きてしまう可能性がある。5人もいれば、眠りの浅い奴が一人はいる。

 立ち上がってペン・ライトを灯し、廊下の方へ行きかけたが、「ここにいるわ」という小さな声が聞こえた。ライトを声のした方へ向けると、アンナがソファーに端座していた。

 俺は一応、起きたときに周りの気配を伺ったのだが、息の音さえしていなかったぞ。どうしてこれほど気配を消せるんだ。

「俺の寝顔も見た?」

「ええ、ほんの数秒だけ」

 言いながら、アンナが立ち上がる。ライトをドアの方に向けて歩き出すと、付いて来た。

「君が俺の部屋に行かなくて良かった。アルビナが寝てるんだ」

「そういうこともあるかもしれないと思って、先にこちらを見に来たら、あなたが寝ていたの」

「起こそうとは思わなかったか」

「4時15分まで起きなかったら起こそうと」

 だからって気配を消すことはないと思う。

 そっとドアを開けて――もちろん、錠はかかってない――外へ出る。白のランボルギーニに乗り込む。

 こういうときに、電気車は便利だ。音を立てないから。滑るように走り出す。

「5分後に下へ降りたのに、君まで寝ていて驚いた」

「あなたが出て行ってから、すぐに寝たの。1分あれば寝られるから。でも、ノックの音に気付かなかったのは、自分でも不思議。普段なら、必ず気付くのに」

「君も寝不足?」

「いいえ、昼間でも時々、2、3分だけ寝ているから、寝不足にはならない」

「別荘に戻ったらもう一度寝てくれ」

「そうするわ」

 駐車場の近くで降ろしてもらった。アンナはすぐに戻っていった。

 ヘルメットをかぶり、モトで走り出す。明け方4時過ぎの道路はさすがに空いていた。出せる限りのスピードを出し、サレルノのプラザ・ホテルに着いたのは5時過ぎだった。さすがに自分でも驚いた。

 駐車場にモトを置いてホテルへ入ると、ベアトリーチェが駆け寄ってきた。君、どうしてこんな時間に起きてるの。しかもどうして毎日いるの。こんな早朝から、そんなすがすがしい笑顔してさ。

「おはようございます、シニョール・ナイト! 昨夜、ご注文いただいたダイヴィング用具一式は、本日7時半に届く予定になっておりますので!」

 夜に部屋へ戻って来なかったときの声かけも兼ねているのだろう。しかし、どこへ行ってたかなどと余計なことを訊かれないのは助かる。

「そうか、ありがとう。部屋へ届ける必要はないよ。フロントレセプションで預かっておいてくれれば、俺が出て行くときに引き取る」

かしこまりましたシー・シニョーレ!」

「そうだ、届いたら、部屋へ電話してくれ。8時前に出掛ける予定だから、都合がいい」

 ちょうどモーニング・コールにもなる。

かしこまりましたシー・シニョーレ! 電話の後で、お部屋に伺います」

 いや、電話だけでいいって。

「どうして部屋へ来る必要があるんだ?」

「水着のデザインを選んで、試着していただく必要がありまして……」

 まさか、試着に君が立ち会うとか言い出すんじゃないだろうな。



錠前師セッラトゥリエーレがまた勝手に外出しました」

 朝の定時報告で、アロイスはそれを最初に教授に伝えた。今朝は教授の隣にブランシュがいる。朝からあれほど大量のアイスクリームジェラートをよく食べられると思う。見ているだけで頭が痛くなりそうだ。

「外出か。脱走や裏切りではないという意味かね」

「はい。技師インジェニェーラの部屋にメッセージを残していきました。正午頃には戻るとありました。計画の全体には影響しませんが、あの不真面目さは大変厄介です」

「戻る保証があって、解錠が予定どおりに可能ならば、寛容するしかあるまい。確実に戻るのだろうな」

技師インジェニェーラは彼の弱みを握っているとのことで、条件を付けて連れ戻すのは容易だと言っています。しかし、どこへ行ったかはっきりとは知らず、おそらくサレルノだろうとのことでした。情報屋に調べさせましたが、サレルノのプラザ・ホテルに立ち寄った形跡がありました。それに、ダイヴィングスバクエアの道具をレンタルノレッジャーレしたようです」

「計画実行後に裏切って、逃亡する計画でも立てているのかね。そうではないだろう」

「はい、借りたのは半日でした。船をチャーターした様子はありません」

「そもそも、誰がサレルノへ送って行った?」

「それも調べさせているところです」

「自発的に戻るようなら、寛容することだ。実行までもう時間がない。アルマンはどうなった」

「それが、奇妙なことですが、見失いました。昨日午後にナポリ市街で、ある女と接触したことまでは判っているのですが、その後の足取りがつかめません」

「その女の素性は」

「調査中です。外国人で、旅行者だろうということくらいしか」

 錠前師ばかりが、どうしてこんなに問題を起こすのか、アロイスには不思議でならなかった。

 もちろん、特別なスキルの持ち主であるし、癖の強い性格の者が多いことは解っている。アルマンが極端に従順だっただけだ。あるいはその性格の良さが、技術の向上を阻んでいたのかもしれない。

「夕方、もう一度報告してくれ。全く行方が判らないようなら、計画の手直しもあり得る。他に問題はあるか」

「いえ、他は順調です。アルビナが工作していた道具は、全て揃いました。ヨットも手配済みです。アルノルドの屋敷にも、大きな動きはありません」

「そうか。では、現時点での計画の修正点についてこれに記載しておいたので、誰にも見られないように読みたまえ。また、別荘に戻っても、このことは誰にも説明せぬよう」

「了解です」

 紙の指示書を受け取った。口頭で説明しないのは、ブランシュにも知られないようにせよという意味だろう。何の役にも立たない女だが、最近は部屋だけに閉じこもっておらず、ホテル内のみだが、うろうろと歩き回っている。どこかでうっかり口を滑らすかもしれない。

 部屋を辞去するとアロイスは別のフロアに移動し、手洗いの個室でその指示書を見た。意外と思うほどではないが、やはり用心は必要なようだ。

 ただ、これを工作するには、アルビナの協力がある方がいい。しかし、誰にも説明してはならぬということは、アロイスが自分で用意しろということだろう。また調達屋に一働きしてもらわなければならない。



 7時半に、ベッド・サイドの電話が鳴った。けっこう熟睡した。電話を取ると、ベアトリーチェの爽やかな声が耳に飛び込んできた。「今から参ります!」と。

 髭は寝る前に沿ったので、顔を洗って着衣の乱れを直すくらいしかすることがない。問題は朝食だが、なくても別に構わない。

 7時33分にドアにノックがあった。来るのが早過ぎる。

 ドアを開けると、ベアトリーチェともう一人、明るいブラウンの髪をポニー・テイルにくくった女が立っていた。ベアトリーチェよりも背が頭半分くらい高く、体格が良く、日焼けしていて、見るからにダイヴィング・ショップの店員という感じがする。おまけに美人だから、ショップはさぞや繁盛していることだろう。

 その美人が部屋へ入ってきて、俺に水着を5着渡して、この中から選んでくれと言った。水着なんてどんなデザインでも構わないので、一番地味な黒とマリン・ブルーのを選んだ。形はどれも同じ、ショート丈のトランクスだ。

「穿いてみて下さい」

 美人がセクシーな笑顔で言った。もちろん彼女の目の前で――なぜかベアトリーチェまで部屋に入ってきているが――穿き替えるわけにはいかないので、バス・ルームに引っ込んで、穿き替えて出て来た。

「シャツも脱いでくれますか?」

 どうしてそんなことを。しかし、断って問答になると時間が惜しいので、ポロ・シャツを脱ぐ。美人とベアトリーチェが満足そうな笑顔になる。君ら、俺の身体を見てるだけで、水着を見てないだろ。

「こちらの、ヴェルデのも試してくれます?」

 俺が黒と青でいいと言っているのに、どうして違うのを勧める。君ら、やっぱり俺の身体が見たいだけだろ。

 再びバス・ルームに入って、穿き替えて戻る。美人が笑顔で頷く。何かポーズを取ってくれと言われそうで怖い。

「やはり、青の方がお似合いのようですから、青にしましょう」

 最初からそれでいいって言ってるのに。

 バス・ルームでジーンズに着替え、緑の水着を返し、青を受け取る。タブレットにサインをして、美人とベアトリーチェと一緒に部屋を出た。

 ロビーまでエレヴェイターで降りて、フロントレセプションでダイヴィング道具一式を受け取る。美人は挨拶をして帰っていった。名前を聞かなかったが、どうでもいいことだろう。

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