ステージ#12:第6日
#12:第6日 (1) 深夜の相談
第6日 2038年6月29日(火)
飛び込んだ後の練習が終わると、今度は飛び込みの練習。順番が逆だが、これでいい。
岩場を登り、ライトの目印が置かれた崖から、下の海を覗く。一見、真っ暗だが、目を凝らすと海中で弱々しい光が点滅しているのが判る。あれが飛び込む目標だ。ただし、波のせいで光が揺れていて見失いやすい。
あれより手前に飛び込むと、海中に岩があって怪我をする可能性がある、と脅される。しかし、真っ暗なので、高さの感覚がつかめない。どれくらい高いのかは、一度飛び込んでみないと判らないだろう。
「練習では俺が先に飛び込むが、本番では俺はいない。アルビナ、アロイス、
ダリー氏の説明を聞きながら、10メートルの高さというのは何秒で落ちるんだったかを計算する。重力加速度はさすがにMKS単位系で習ったんだよなあ。9.8メートル毎秒だった。
自由落下の距離は、重力加速度g×時間tの2乗÷2。逆算すると何のことはない、約√2秒。よって1.4秒くらい。
ダリー氏が飛び込むのを見送る。本番では、高さ1メートルほどの石塀を乗り越えて飛び降りるらしい。落下時間を補正しなければならないが、どうせ0.1秒未満の差。誤差の範囲でしかないので、計算は省略する。
「ゴーグルを手で押さえて、足から飛び込んで。下を見すぎると、身体が斜めになって胸や顔から落ちるから、注意してね」
アルビナはそう言い残して飛び込んでいった。優しい。その10秒後にマクシミリアン氏が飛び込んだ。
後ろを振り向くと、アンナとアメリアがいる。俺の足下にある目印のライトの光で、微かに顔が見える程度だが、アメリアはどこから持って来たのか、折りたたみ椅子に座っている。アンナはもちろん立っている。立ち姿が美しい。
時計は見ずに頭の中で10秒を数え、息を大きく吸い込み、眼下の光の目標に向かって飛び込む。
ちょっと前へのジャンプが足りなかった気がするが、飛び込んでいる間にそれを補正する方法もなく、1.3秒後くらいに海に落ちた。誤差かもしれないが、予想より早い。高さが10メートルなかったのかもしれない。
綺麗に足から飛び込みすぎたのか、かなり深いところまで潜ってしまった気がする。海底まで着いてしまった。
前方でレモン色の光が回っている。あそこまで泳いでいけばいい。海底を蹴って、手をゆっくりと掻き、前へ泳ぐ。
程なく光の地点に着き、エアー・タンクを渡された。ようやく
それから、水中スクーターを持って移動。付いて行く目印はアルビナが足首に付けている、レモン色のケミカル・ライト。先ほど潜る練習をした場所まで戻ってきて、岩場に上がる。
ダリー氏は海中にスクーターなどを戻しに行く。つまり、次の練習では本番同様に3人で飛び込む。5、6回練習し、特に大きな問題も発生せず、終了。
「アーティー、あなた、もっと足手まといになるかと思ってたけど、普通にできるじゃないの。やっぱり使える筋肉を持ってるっていいことね」
アルビナが褒めてくれる。彼女は褒めて人を伸ばすタイプなのだろう。
「お褒めにあずかり光栄だよ」
「うまくできなかったら明日の夜にも練習することにしてたけど、この分だとしなくても良さそうだわ」
実は睡眠不足のせいでかなりきつかった。何とかこらえたという程度だ。この後、ぐっすり寝たいが、明日は朝からサレルノへ行かなければならない。が、そのことはマクシミリアン氏に言うつもりはないので、後でアンナだけに相談しよう。
別荘に戻り、シャワーを浴びた後で――この別荘にシャワーがあったなんて初めて知ったが、よく考えたら当然だ――、アンナの部屋のドアをノックした。ものすごく慎重に歩き、音を立てなかったつもりなのに、「誰?」とは訊かれず、「
入るとディスプレイの前に彼女が座って、こっちを見ていた。先ほど出掛けたときと服が替わっているのだが、部屋着というわけでもない。着替えた意図は不明だ。
「ケーキはもう食べた?」
「ええ」
「いつ」
「ダイヴィングへ行く前、あなたが着替えている間」
早いな。しかし、10分ほどあったから、彼女なら10個は食べられるだろう。3個しか買えなかったんで、食べ足りないかもしれない。
「その礼というわけじゃないが、一つ相談に乗ってくれ」
「サレルノ行きのこと?」
お見通しだった。8時までにサレルノに着きたいのだが、ここからソレントの駐車場までどうやって移動するかが問題、と話す。地図にこの別荘の場所を示してもらったが、町まではつづら折りの山道を通って4マイルほど。走れる距離だが、今回ばかりは体力が持たない気がする。
「そもそも、朝に抜け出すと、マクシミリアン氏は怒るよな」
「ええ、
「やめた方がいいと思う?」
「いいえ、そのイヴェントはあなたにとっておそらく重要。
「ところで、君にはキー・パーソンと会うイヴェントはないのか」
「あるから、こっそり抜け出しているわ。あなたの送り迎えの合間に済ませたりもするけれど」
相変わらず抜け目ない。しかし、彼女のは時間がかからないイヴェントなのだろうか。そうするとデートじゃない?
いや、俺が気にするようなことじゃないって。それより、ソレントまで行く方法だ。
「今から出ると気付かれるし、夜が明けてからだと遅いと思う。4時頃なら車で送ってあげられると思うけれど」
今、1時過ぎ。3時間ほど寝られるというわけだ。ここを4時に出るとサレルノに着くのは5時半頃。デートの時間までホテルでもう一眠りできるかも。
「解った。じゃあ、4時にもう一度ここに来る」
「そこのベッド、使ってもいいわ。私は使ってないから」
いや、意味が解らない。どうして俺をこの部屋に引き留めようとするんだ? まさか、君まで痴女化したんじゃないだろうな。
「君はどこで寝てるんだ」
「この椅子で」
右手で椅子の下のレヴァーを動かすと、背もたれが大きく倒れた。しかし、俺は椅子で寝るのは苦手だな。足が持ち上がっている方がいいから。
「せっかくの厚意だが、やはり自分の部屋に戻って寝ることにするよ」
「でも、あなたの部屋、錠がないわ」
いや、それも意味が解らないぞ。
「それで何か不都合が?」
「例えば、セニョリータ・ゴディアがあなたの部屋へ来たら、抜け出しにくくなると思うけれど」
アルビナが? どうして俺の部屋へ。いや、思い当たる節がないわけではない。
「俺の“目の効果”のせいで?」
「ええ。あなたがいない間に、彼女にあなたのこと、色々訊かれたわ」
「夜中に俺の部屋へ来そうなほど興味を持ってたってことか」
「ええ」
昨日から、俺の膝の上に頭を乗せたりしてきてたからなあ。筋肉好きってのが効果を増進させているんじゃないだろうか。
「君には効かないのか」
「いいえ、効いていると思うわ、少しずつ。ただ私は、他の人と閾値が違っているだけだと思う。それに、ステージが終わると効果が切れる。リセットされる、と言えば解ってもらえるかしら」
効いてたのかよ。じゃあ、彼女も突然痴女に変貌する可能性があるってこと? そうすると、この部屋で俺が寝るのもまずいのでは。いや、寝てるから目を開けてない、つまり、目の効果はないってことか。ふーむ。
「彼女が来る前に、寝てしまえばいいんじゃないかな」
「でも、もうあなたの部屋の前で待っていると思うけれど」
嘘だろ、階段の音、してたか? 俺だって結構耳がいい方なんだけど。
「何とか説得を試みるよ」
「幸運を祈るわ」
2階へ上がったが、廊下にアルビナの姿はなかった。しかし、俺の部屋の灯りが点いていることは判った。つまり、中に誰かいる。
ドアを開けると、果たしてアンナの予言どおり、アルビナがいた。俺のベッドであるソファーの上に横向けに寝転がって、タブレットを見ている……と思ってよく見たら、既に寝てないか? うん、確かに寝てる。子供のように安らかな寝顔で。
俺がアンナの部屋にいたのって、10分ほどだと思うけど。寝るときはそんなものか。俺も今すぐにでも落ちそうだもんな。
それにしても、何という扇情的な姿。寝顔とは対称的。
白のクロップ・トップ・キャミソールに、ライト・ブルーのドルフィン・ショーツ。どちらもゆるゆる。下着を着けてないのまで見えている。どんな狙いで部屋に来たかが明らかだな。
とにかく、これはこれで困った。寝るところがないし、彼女を起こすわけにもいかない。そもそも4時にどうやって起きればいいんだろう。俺の腕時計にはアラームも付いてないし。
諦めてアンナの部屋へ戻るか? いや、いいこと思い付いた。金庫が置いてある部屋のソファーで寝ればいいんだよ。そしてアンナに頼んで4時に起こしてもらう。
部屋の灯りを消し、足音を忍ばせて階段を降り、アンナの部屋をノックした。返事がない。いや、待てよ、もう寝たのか? 5分も経ってないだろ。
でも、ドアの隙間から灯りは漏れてないし、やっぱり寝たのかな。
仕方ないが、彼女も4時に起きるだろうから、メモをドアの下に差し込んでおけば……って、メモ用紙はあるけどペンがないぞ。さあ、どうする。アンナの超能力に期待するしかないか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます