#12:第5日 (10) デートの申し込み

「ところで、デメトリアをどうやってデートに誘うつもりですか?」

 俺の頼んだパスタを勝手に横取りしながら、デメトリアが訊いてきた。

「それを考えているところで、彼女の趣味を訊いてみたんだが、答えてくれなくて」

「彼女の趣味はスクーバ・ダイヴィングインメルシオーネ・スバクエアですよ。でも、ちょっと良くない思い出があるのです」

 おお、こんなところでダイヴィングのつながりが。で、ダイヴィングで良くない思い出というと、一緒に潜っていたパートナーが溺れて行方不明になるとかいうのが定番だよな。

「それで、今は趣味でもないし、言いたくないというわけだ」

「そうです」

「だとすると、その思い出を払拭してやった方がいいんじゃないのか」

「みんなそう言うのです。でも、みんな失敗するのです」

「ということは……」

 彼女とダイヴィングに行った男は、みんな溺れたってこと?

「まさか、みんな行方不明になったんじゃないだろうな」

「それは最初の一人だけで、他はみんな運良く助かってますけどね。だからみんなその後、デメトリアから離れてしまうのです」

「みんなってのは全部で何人?」

「5人です」

 その中に最初の一人が入っているのかどうかは判らないが、訊くほどのことでもないだろう。

 どうでもいいことだが、クラウディアは俺のパスタを、どんどん自分の皿に取って食べてしまう。イタリアでは一皿のパスタを何人かで分けたりしないというのを、今日の買い物中にエロイーズから教えてもらったばかりなのだが。

「それでも、やっぱりダイヴィングに誘ってやった方がいいと思うけどなあ」

「どうでしょうか。あなたは一度海に落ちているので、悪魔祓いエゾルチズモが済んでいるかもしれませんね」

 仮想世界に悪魔なんていないって。とはいえ、シナリオで“不運”を実現することは可能だから、悪魔が憑いているように見える現象は起こせるだろうな。

 ただ、ターゲットに関係のないイヴェントでは、十分に注意していれば、最悪の事態が起こることはないだろう。

 デメトリアが肉料理を運んできた。

「やあ、デメトリア。さっきのパスタはとてもおいしかったよ。先週、アマルフィであれによく似たスパゲティ・アル・リモーネを食べたんだが、君が作ってくれた方が断然おいしかった。このパスタ、何というんだっけ、リッチョーリ? リッチョーリのこのねじれのおかげで、リモーネ・ソースがうまく絡むし、ソースのリモーネと塩の配合が絶妙で実に素晴らしい。毎日食べたいくらいだ。それで、この料理の名前は?」

「サルティン・ボッカ……」

「何の肉だろう。仔牛かな?」

「ええ……」

「これも実においしそうだ。後で感想を言うから、またテーブルに来てくれるかい?」

「ええ……」

「ありがとう! それじゃあ、また後で」

 どうしてデメトリアにはこんな芝居をしないといけないのかよく判らない。

 彼女が行ってしまってから、サルティン・ボッカの一切れを口に放り込む。子牛肉に生ハムと香草を載せて焼いてあると思われるが、感想を言葉で伝えにくそうだ。

「それ、おいしそうですね。私にも一切れ下さいよ」

「君、自分の皿の料理も食べろよ。ところで、クラウディアは俺がダイヴィングの話をしたから、肉料理にしたのかな」

「どういう意味です?」

「今まで、パスタの次は必ず魚料理だったんだけど、ダイヴィングの話をして海の嫌なことを思い出したから、魚を避けたのかと思って」

「ふーん、毎回魚料理でしたかね。気が付きませんでしたよ。私が食べた皿には肉料理が含まれてたと思いますけど」

 少なくとも、デメトリアが俺に持って来た皿は、全部魚料理だったはずだ。

「そうだとしても無意識ですよ、きっと」

「俺もそう思う。でも、それなら是が非でも、彼女の嫌な思い出を払拭してやらないと」

「解りました。あなたがそう言ってくれるのなら、協力しますよ」

「この辺りで、ダイヴィングをするのにいい場所はある?」

「サレルノの近くの海でもできますし、アマルフィ海岸のどこの町でもできますよ。でも、一番良さそうなのは、ガッリ諸島の周りですかね。三つの島からなるのですが、そのうちのイル・ガッロ・ルンゴはイルカの形をしていることで有名なのですよ」

 あいにく地図を持っていないので、その島がどこにあるか判らない。しかし、クラウディアが言うには、アマルフィ海岸の地図では、小さすぎてその島の形までは判らないだろうとのこと。

 ポジターノの南西沖にあるのだが、サレルノからは30キロメートルほど――20マイルないくらい――で、クラウディアの船なら45分もあれば着くらしい。

「もちろん、私が個人で持っている船のことですよ。クルーザーです」

「じゃあ、それを出してもらおう」

「いいですよ」

「それと、誘う時間だが、明日の午前中でもいいかな」

「いいですよ。むしろデメトリアは、午前中しか空いてないって言うと思います」

「そういえば彼女はいつが休みなんだ?」

「さあ、このところずっと、毎日働いてますね。短時間の日もありますけど」

 いいのか、それ。働き過ぎだろう。イタリアの労働時間制限って、どうなってるんだ。

「彼女は朝が遅いんじゃなかったっけ」

「デートの日なら、早起きしますよ。ランチ・ボックスチェスティーノ・デル・イル・プランツォを頼んでみて下さい。きっと喜んで作ってきてくれます」

 本当かなあ。そもそも、彼女が喜んでいる顔を、一度も見たことがないんだが。

 それから野菜料理の皿が来るまでに、スケジュールを打ち合わせる。8時にマリーナに集合。45分でイルカ島の近辺へ行き、そこで1時間半ほどダイヴィングを楽しんで、11時頃にマリーナに戻ってくる、ということにした。

「ダイヴィングが1時間半というのは短いと思うかもしれませんが、実は長いです。とても疲れますよ。30分を2本ということになると思います」

 今日のダイヴィングの練習だけでも疲れたので、その辺りのことは解っている。しかも、今夜“別荘”に戻ったら夜中にもダイヴィングの訓練をしないといけない。

 で、夜が明けてまたダイヴィングなのだから、へとへとになって、明日の午後は使い物にならないのではないかと思われる。その後、夜中に起きて泥棒に行くから、昼間は寝ている方がいいと思われるが。

 さて、デメトリアが野菜料理の皿を持って来た。彼女はデザートは持ってこないから、ここでデートの申し込みをしなければならない

「やあ、デメトリア。サルティン・ボッカもおいしかったよ。仔牛と生ハムの火の通し方が絶妙だった。それにセージの爽やかな香りとわずかな苦みが素晴らしいアクセントになっていた。ところで、明日、君とデートがしたいんだが、受けてくれるかい?」

「!!!」

 デートのことはおそらく帰るときに言うと思っていただろうから、このタイミングは不意打ちだろう。しかし、こういうときは考える時間を与えないで答えを引き出すのが良策だ。……とクラウディアから言われたので実行した。

 デメトリアは目を見開いて恐怖したように驚き、それから辺りをきょろきょろと見回した。こんなところで、と思っているだろうが、この時間帯は周りの客はおしゃべりと飲み食いに夢中で、俺たちのことなんて全く目に入っていない。

「あ……でも、私、明日も午後から店が……」

「じゃあ、午前中は? 夜明けからでも構わないんだ」

「午前中は……その、空いてるけど、そんな早い時間には起きられないし……」

「じゃあ、8時頃から昼前まででどうだろう」

「ええ、それくらいの時間なら……」

「よし、じゃあ、8時で決まりだ。ところで、俺は最近、ダイヴィングに興味を持っているんだが、君もやってみる気はないか?」

ダイヴィングスバクエアは……私も、やったことがあるけど、最近は……」

「ほう! 君もダイヴィングに興味があったなんて、素晴らしい! これはきっと運命に違いないよ。ぜひ、一緒に潜ろう。道具は持っている?」

「ええ、一応……」

「よし、では、俺は自分のを用意しよう。船はクラウディアが出してくれるらしい。8時に、マリーナへ来てくれ。それから、できれば軽食を作ってきてくれるかな。ダイヴィングの合間に船の上でつまめるようなものがいい。デート中にも君の料理が食べたいんだが、どうだろう?」

「ええ、それくらいなら……」

「よし、では、決まりだ。今日は素晴らしい日だな。明日も素晴らしい日になるだろう」

 デメトリアは呆然として厨房に戻っていった。この後、ちゃんと料理ができるのか心配だ。とにかく、勢いだけでデートの約束を取り付ける作戦は成功した。全てクラウディアの指令に従ったものだったが。

「デメトリアには、今日は早めに上がるように言っておきますよ、明日に備えて。毎日働き詰めだから、今日くらいは他の料理人たちクオーキも了承してくれるでしょう」

 俺も今日は一日働き詰めだよ。しかも、この後、ソレントへ戻ってダイヴィングだぜ。明日は誰にモーニング・コールを頼めばいいんだ。

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