#12:第5日 (9) 隠された意図

 アロイスは教授のところへ定時報告に来ていたが、ブランシュの姿が見えなかった。教授はすぐそのことに気付き、「屋上のプールに行っている」と言った。

「ホテルからほとんど出ないので、そろそろ退屈してきたようだ。あと2、3日の我慢だと言い聞かせておるがね」

 教授はそれほど意に介していないようだった。確かにあと2日、正確には1日半ほど目立たないでいてくれれば、事は済む。出歩くことが少なく、ファッションも行動もあまり派手でない女ということで選ばれた女だ。

 しかし、大金を手にしかけていることで、少々浮かれているように見える。すでに高級車やヨットや別荘の購入を予約しているらしい。教授に前払いした報酬が、その手付金なのだろう。教授は彼女を止めなかったのだろうか。

「アルマンがアルノルドと接触しました。こちらの計画の一部をバラしたようです」

 町に放っている情報屋から連絡を受けて、アントニーが確認した。アルマンはアルノルドに直接アポイントメントを取り、屋敷を訪れて会見を申し込んだのだった。屋敷に仕掛けた盗聴器で、会話の内容の一部も聞くことができた。

 もっとも、アルマンは計画の全貌を知らない。屋敷に忍び込んで、金庫を開けて盗み出す、ということは知っているが、その日時を知らないし、屋敷の警備システムをどのように回避するかも知らないし、脱出方法も知らない。

 知っているのは「3分以内に金庫を開ける役割の者がいる」ということ、アルマンがそれに当たっていたこと、そしてそれを別の者に取って代わられたということだ。

 日時を知らないのは、アルマンのプレッシャーを考えてのことで、7月1日のオークションの後だということにしてあった。実際は6月30日の未明だ。

「情報が漏れるのは、アルマンを切ったときからの想定どおりだ。元々、我々の計画をアルノルドが全く知らないということはありえない。警戒した上で、それでも以前からの警備システムや人員を変えようとしなかったということは、よほどそれらに自信があるのだろう。計画の実行日だけ、特殊な警備を敷くことは考えられないし、またそうであっても計画はその裏を掻くように立てている。今のところ修正は必要ないだろう」

「了解です」

 絶対に盗まれたくないのなら、警備員を大量に雇えばいい。しかし、アルノルドの意向だけではそれができない。

 ガイオラ島はナポリ湾内の海中公園の一部で、島に建物を建てるときに制限が付けられた他、夜間警備の灯火制限、警備員の人数制限、さらには火気の制限まで付けられている。

 また、島に面した本土の海岸沿いに展望台やレストハウスがあるため、本土に島を見張る警備員を置くときは、展望台とレストハウスの敷地外で、かつそれらから見えないところに制限されている。事実上、島を北西側から見下ろすことができる崖の上に限定されていると言っていい。

 そんな島に屋敷を構えるのは、アルノルドの“見栄”の表れであると考えられる。盗めるものなら盗んでみろという自信だ。

錠前師セッラトゥリエーレはどうなった」

「解錠にかかる時間は短くなってきましたが、少々不真面目な男で困っているところです。また、泳げないことが判りましたので、侵入と脱出の際に手間取る可能性もあります」

「侵入はアントニーとの連携次第でどうにでもなるだろう。泳げないのなら、ロープで引っ張ってやってもよい。だが、脱出は手際の問題だ。十分に訓練させるのだ」

「心得ています。本人にも、その点は警告しました」

「アルノルドは金庫の錠を替えそうか」

「警備会社や錠前製造会社と連絡を取った形跡はありますが、発注した形跡はありません。アルマンが訪問した後でも、その兆候はありませんでした」

技師インジェニェーラのクラッキングは」

「順調です。乱数の生成規則が判明しました。現在はクラッキングの手順をスクリプトで半自動化するところまで来ています。明日の正午までには完成する見込みです」

「大変結構だ」

「しかし、個人的な感想で申し訳ありませんが、私は技師インジェニェーラを……准教授をまだ信用できません。馴染まないというのではなく、裏で何かを計画している節があります。錠前師セッラトゥリエーレと連携して、我々を出し抜こうとしているかもしれないと思っています」

「同感だ。だが、それも織り込み済みなのだよ」

「それは……失礼しました。お気付きとは」

 准教授との最初の会見の時に、教授は終始親しげに話をしていたので、全面的な信用を置いているものとアロイスは思っていた。

「我々は、技師インジェニェーラ錠前師セッラトゥリエーレを部分的にでも信用しないことには、計画が遂行できないことを知っている。彼らがいなければ、我々の計画は机上の空論でしかない。成果はゼロだ。彼らの協力があればこそ成果が得られる。用心すべきは、その成果を全て奪われてしまうことだ。そもそも、彼らへ報酬として成果の4分の1を渡すことになっている。問題は、それよりも多く奪われる可能性があるかということだ。たとえ彼らが裏切ったとしても、全て奪うことは考えられない。それは我々の計画上、金塊と宝石の運搬を別方法にしているからだ。片方が奪われたとしても半分が残る。私としてはそれを取り返す手段についても準備済みだ。内容は明日、君のみに伝える」

「了解です」

「それに、技師インジェニェーラのことをもう少し信用してもよいという根拠ができた。彼女からのレポートだ。読んでみたまえ」

 教授はそう言って、傍らに置いていたタブレットをテーブルの上に置いた。アロイスはそれを見た。英語で書かれていたが、内容はすぐに解った。

「アルノルドの暗号資産口座へのハッキング方法ですか!」

「我々の今の計画では、アルノルドが奪っていった物の、半分しか取り返すことができない。しかし、そのレポートに従えば残りの半分も取り返すことが可能だ。彼女は我々に黙って、一人でそれをすることもできた。しかし、そうはせずに私にそのレポートを寄越した。既にそれを実行してしまっているというのは、今のところ考えられない。今回の計画の前にそれを実行すれば、アルノルドを警戒させることになるからだ。であるから、彼女を今しばらく信用してもよいと考える」

「了解です」

「すぐに他のクラッカーを選出して、我々の計画実行直後に、アルノルドの口座をクラッキングするよう手配してくれ」

「了解です」

 全くもって、ミステリアスな女だ、とアロイスは思った。そういえば、あの女への報酬は慈善団体へ寄付することになっていたのだった。彼女は無私の善意により我々に協力しているのだろうか?

 だが、我々の行為が犯罪であることも解っているはずで、善意ということはあり得ない。彼女の意図は一体、どこにあるのだろう?



 モトをプラザ・ホテルの駐車場に置いて、ギンザーニへ行った。昨日と同じようにまず厨房へ乗り込み、デメトリアに挨拶する。彼女は渋い表情をしたが、何も文句は言わなかった。諦めの境地に入ったと思われる。

 テーブルに戻り、飲み物を注文して待つ。アンティパストが出て来たが、クラウディアがなかなか来ない。休みを他の人と代わってもらったので、引き継ぎに手間取っているのかもしれない。

 15分待っても来ず、先にパスタの皿が来た。もちろんデメトリアが運んできた。皿を受け取り、厨房へすぐに返さないように手を握る。彼女が息を呑んで、身を固くする。

「君の趣味は何だ?」

 本当なら彼女のことを何か調べてから来れば良かったのだが、時間もないし手段もなかった。クラウディアが来ていたら何か聞けたかもしれないのだが、それもできなかった。仕方ないのでこうして直接訊かなければならない。

「趣味は……今はない」

「今はないということは、前はあったんだろう。それは何?」

「……言いたくない」

 急に悲しそうな表情になった。動揺してるな。何か良くない思い出があるのだろうか。

「そうか、じゃあ、訊かないでおこう。気を悪くせず、次の料理を作ってくれるかい?」

 デメトリアは無言で頷いた。手を離すと、とぼとぼと厨房へ戻っていった。動揺したせいで、料理の腕に影響が出なければいいが。

「チャオ、アーティー。今日はちょっとした事故インシデンテがあって、すっかり遅くなってしまいましたよ」

 クラウディアが突然現れた。まさか、入り口でさっきのやりとりを窺ってたんじゃあるまいな。

「何だい、事故って」

「アマルフィを出航するときに、ふざけたお客さんが、海に飛び込んでしまったのです。あなたのようにすぐ上がってくれたら良かったのですが、どんどん遠くに泳いでいって、呼んでも戻ってこないのです。おまけに、同じツアーのお客さんが、大喜びして、もっとやれなどと言っていたのです。そのせいで15分くらい出航が遅れて、こちらに到着してからもツアー会社に抗議したり、詳しい事故報告書を作成したりしていました。そのお客さんたちは、別のところでもトラブルグアイオを起こしていたそうで、そのツアー会社の予約や利用は、今後一切受け付けないことに決まりました」

 ここは仮想世界なんだから、そういう細かいトラブルまで発生させることはないと思うんだけどなあ。確かに、俺の時代でも特定の民族が世界中でトラブルを起こして、受け容れられなくなっているという事象は存在しているんだけれども。

 しかし、このトラブルは今回のシナリオに何か関係があるんだろうか。あるいは何かの伏線? それとも、初日に俺が突き落とされたのがこれに関係してるのか?

「それは災難だったな。合衆国だったら、きっと訴訟になっているだろう」

「訴訟を起こして損害賠償を請求したいくらいですよ。気の荒い船長だったら、暴力沙汰になっていたかもしれませんね」

 それは物騒だ。南イタリアの治安の悪さは、そういう気性の荒さに関係しているのかもしれない。仮想世界でそれを再現してくれなくてもいいと思うけど。

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