#12:第5日 (8) クール・マシーン

 ブルガリを出て、次へ行こうとしたときに、後ろから誰かに左肩を掴まれた。とっさに身体を捻って、サックをかわすような動きをしてしまったが、振り返るとサングラスのハンサム・ガイが俺のことを睨んでいる。誰あろう、ダリー氏じゃないか。

「ここで何してる? 別荘でトレイニングしないでいいのか?」

 別荘ヴィラというのはあの隠れ家のことだろうか。俺がまだ教えてもらっていない用語タームがいくつかありそうな気がする。

「マクシミリアン氏には許可をもらってるよ。電話で訊いてみてくれ」

「本当か? まあ、いい。あまり目立つことするなよ。この辺りには、敵の手下がよくうろついてるんだ」

 買い物するだけなら目立たないだろう。それより、ダリー氏はここで何をしてるのかね。逆に訊きたいくらいだ。しかし彼は、俺の肩に置いた手を離すと、雑踏の中へ去って行った。

 不意のことで、エロイーズたちを見失いかけたが、ナカムラ氏がトリーニという店の前で立っていた。ここにも、“ディアマンテ・アル・リモーネ”の模造品が置いてあった。

 その後、ミッレ通りへ行き、いくつかの店に入ったが、そのうちの一部にはやはり模造品の指輪が置いてあった。だが、エロイーズたちは何一つ買わなかった。これで終わりか、と思っていたら、戻る道でまた店に入っていく。

 しかし、今度こそ買い物だった。色々な店で品物を見て、全部見終わってから買う物を決めるということにしていたようだ。

 エロイーズはブルガリで小さなトパーズのネックレスを買った。髭の店員が俺に向かって、彼女に着けてあげなさいと、また余計なことを言う。エロイーズも遠慮なく希望するので、ネックレスを首にかけてやった。

 もっとも、別の店ではナカムラ氏が他の二人に同じようなことをさせられていた。日本人はシャイだと思っていたが、ナカムラ氏はそんな様子も見せず、あたかも彼女たちの恋人であるかのように振る舞っていた。やはり日本人はミステリアスだ。


 買い物が終わると4時。たかがアクセサリーを買うのに3時間というのは驚きでしかないが、ほとんどの時間はエロイーズたちが宝石を見て楽しんでいたのだ。宝石店というのはある種のテーマ・パークと言えるかもしれない。

 とにかく、夕食にはまだ早いので、サンテルモ城を見に行くことになった。北へ向かって歩いて30分ほど。途中からは上り坂になる。道は狭く、くねっていて、トレドを思い出す。

 サンテルモ城はヴォメロの丘の上に立つ、六芒星ヘキサグラムの形をした巨大かつ重厚な城で、予想できるとおり元は城塞。壁はほとんど飾りもない無骨な造りだ。

 そして驚いたことに、中に入れない。一時期、中は刑務所として使われていて――本当によくある事例だ――、改装して博物館として供されていたはずなのだが、いつの時代にか、中身は隣のサン・マルティーノ博物館へ移され、城は屋上のみ登ることができるようになっている。つまり、無駄に大きい展望台というわけだ。

 登るとさすがに眺めが良くて、眼下にはナポリの町並み、そして遠景に海とヴェスヴィオ山という配置だ。右手の方を見ると遠くにソレント半島とカプリ島も見える。

 空気があまりよろしくなくて、一面に霞んでいる。ナカムラ氏が腕を組んで景色に見入っている。これをどのようにキャンヴァスに切り取ろうか、と思案しているのだろう。

 女3人は嬉しそうに写真を撮り合っている。ナカムラ氏が動かないので、俺が3人の写真を撮ってやったが、ナカムラ氏の方がきっと画角にこだわっていい写真が撮れただろうと思う。

 それから、3人とナカムラ氏を入れて撮る。俺を撮るときはなぜかエロイーズだけが一緒だった。エロイーズが俺を独占したがっているのか、他の二人が俺を避けているのか、いずれかは不明。

 屋上には小さなチャペルが建っていた。白いはずの壁が薄汚れている上に、古ぼけたアンテナが立っていて、何とも無粋。もう少し観光用として整備できないものかと思う。

 見るところが意外に少なかったため、隣のサン・マルティーノ博物館へ行く。14世紀に建てられた修道院の、一部が博物館になっている。

 展示物は絵画、彫刻、陶器、ガラス器、そして一番のハイライトはキリスト降誕の情景をミニチュアで再現したプレゼピオ。どれもナカムラ氏が丁寧に解説してくれるので楽でいい。

 しかし、エロイーズはずっと俺の近くにいる。時々、何でもない絵に見入って、他の3人に置いて行かれそうになる。どうも、俺と一緒にはぐれたがっているのではないかと推察される。そんな面倒なことはしたくないので、エロイーズの手を引いて他の3人に付いて行く。

 博物館を一通り見終わると――思ったほど広くなかった――修道院を見に行く。こちらの教会の中にも貴重な絵画があるとのこと。

 それから回廊キオストロも見る。このステージ内で見たどこよりも広くて綺麗だった。

 中庭の一角に石の柵で囲われたところがあり、その柵に一定の間隔で髑髏が載っている。ちょっと気味が悪い、と思う程度なのだが、エロイーズは俺の腕をしっかりと掴んできた。胸を押し当ててきているのだが、さほどのヴォリュームはない。いや、そんなことはどうでもよかった。

 中庭の中心には井戸のようなオブジェ、そしてその周りにレモンの木が立っている。もしかしたら修道院でもレモンを栽培していたのかもしれない。南側は斜面になっているので、日当たりも良さそうだった。

 一通り見終わったのが6時半。サレルノには8時半に着きたいので、もう行かねばならない。坂を少し下りて、ペトライオという駅からケーブル・カーフニコラーレに乗ると、ガレリアのすぐ近くのアウグステオ駅に着いた。

 ヌオーヴォ城を見てから夕食に、とエロイーズが誘ってきたが、先約があるからと言って断る。エロイーズは寂しそうな顔をしているが、夕食まで付き合えないことは、事前に電話で伝えてあった。

「では、明日は……」

「すぐには答えられないな。また今夜、電話するよ」

「ウィ、待ってる」

 しかし、ナポリとその近郊の観光場所はだいたい行ってしまった気がするし、彼女たちが明日どこへ行こうとしているのか想像が付かない。

 とにかく、アンナが紹介してくれたディーラーへ向かう。ナポリ中央駅のすぐ近くだった。中年の小太りの店員に、大型のモトが欲しいと言うと、「シニョール・アーティー・ナイト?」と訊いてきた。

「連絡をもらってたんで、用意しておきましたよ。こっちです」

 アンナがそこまでお膳立てしてくれたらしい。親切すぎるくらいだが、昨夜の様子からして何かしら礼をしたいという気持ちの表れかもしれない。

 店員の後に付いて行くと、ブラック・ボディーにメタリック・ライム・グリーンのイカしたクールモトが店の奥に鎮座していた。カワサキ・ニンジャだ!

「こいつですよ。ジャッポーネのカワサキの最新モデルです。もちろん、水素エンジン式。排気量が998立方センチメートル、最高速度が218mphマイル毎時、4分の1マイル到達時間が……」

 店員が性能を熱く語っているが、聞かなくてもだいたい解る。何しろ、俺の時代からすれば30年前の代物だ。しかし、ある意味でこの頃の性能が、その後のスタンダードになっている。

「どうです、一度乗ってみますか?」

 まるで自分のマシーンを自慢したかのような笑顔で店員が言う。「時間がないんだ。すぐに買う」と言ってクレジット・カードを差し出した。

「そいつはどうも。4万7千リラです。何回払いにします?」

「そのカードで払える最小の回数だ」

「おっ! こいつは……」

 店員がカードを見て驚く。このステージでは財団研究員の肩書きは使えないが、カードの威力は健在らしい。

「こりゃ、すごいカードだ。ええ、もちろん1回ですね。すぐに手続きしてきますよ」

「そうだ、ナヴィゲイション・システムの取り付けはできる?」

「もちろんですよ! すぐにやらせます」

 別の若い店員に声をかけると、そいつがナヴィの取り付けを始めた。もちろん、これもアンナが連絡して用意させていたのだろう。

 カード決済用のタブレットにサインし、取り付けを待つ。うっかり忘れていたが、ヘルメットも買う。

よい運転をブォナ・グイダ!」

 店員に見送られてディーラーを出る。道が狭く、渋滞していて、スピードが出せない。しかし、駅のすぐ南側にA3への入口があり、高速道に入ってスピードを上げる。

 おおお、素晴らしい加速力! 100mphで走ればサレルノまで30分くらいで着きそうな気がする。

 しかし、さすがにその速度は出せず、おとなしく80mphくらいで走ることにした。どこかに最高速度でぶっ飛ばせるところはないだろうか?

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