#12:第5日 (7) 宝石店巡り

 11時半。1時にナポリへ着くには、すぐに出た方がよさそうだ。アンナは既に待ち受けていて、昼食の準備が“ほぼ”できていることをアルビナに伝えると、俺には「ソレント駅発11時50分の列車があるけれど、それではガレリア・ウンベルト1世プリモに1時には間に合わないと思うわ」。

「まさか、そこまで車で送ってくれるつもり?」

「あなたが彼女たちに会えなかったら、ターゲットのヒントが得られないかもしれないからよ」

 納得した。

 しかし、ナポリへ向かう車の中では、不覚にもまた寝てしまった。寝不足なのは俺だけじゃなくて彼女も同じなので、大変申し訳ない気持ちになる。

「気にしないで。私もエクセルシオール・ホテルで1時間ほど仮眠してから戻るわ」

 彼女はそこに部屋を取っていたらしい、俺もサレルノのプラザに部屋を取っているが、この二日間はそこで寝ていない。

 ナポリ港の駐車場で降ろしてもらった。12時45分。ここからガレリアまでは徒歩10分もない。

「それから、これはディーラーへの地図。あなたの所望のモトは、カワサキ製なら性能が満たせると思う。ハーレイ・デイヴィドスンの方があなたの好みかもしれないけれど」

「ありがとう。俺は日本製のモトもかなり好きだよ」

 礼を言って、ガレリアへ向かう。

 十字の形をしたアーケードで、入口には階段がある。中のテナントは飲食店と金融機関が多い。飲食店はアーケードの道にテーブル席をいくつも置いている。

 観光名所の一つであるが、人はそれほど多くない。それはそうだろう。有名なテナントがあるわけでもなし、見るべきところは頭上の“ガラスのアーケード屋根”くらいしかない。それだけをずっと見ているわけにもいかないからな。

 中央の広場まで来て見回すと、角の靴屋のところにエロイーズがいて手を振っている。連れの二人――名前がすっかり思い出せなくなっているのだが――もいる。

 そしてなぜだか知らないがナカムラ氏までいる。彼女たちとは、カプリ島で知り合ったのか、あるいはアマルフィ海岸か。ナカムラ氏がいるのなら、俺の付き添いなんて必要ないだろうに。

「ボン・ソワール、アーティー! 来てくれてとても嬉しい。彼はムッシュー・ナカムラ。昨日、アマルフィで会った。日本人のパントル。あなたのこと、知っていると言ったが、そうなの?」

 時々、フランス語が混じるので解りにくい。ボン・ソワールはいいとして、パントルは絵描きペインターのことか。

「知ってるよ。マイオーリとカプリ島で少し話をした」

「ウィ、彼もそう言ってた。彼はフランス語とイタリア語、とても上手なので、付いて来てもらった」

 通訳か。俺はフランスが話せないから、いざというときの通訳ができないもんな。多国語話者マルチリンガルというのは羨ましい。

 やあ、と軽く挨拶してナカムラ氏と握手を交わす。今日も絵を描いていたかったろうに、こんなところまで引っ張り出されて気の毒なことだ。

「午前中は彼女たちとカポディモンテ美術館へ行って。それから、卵城カステル・デローボへ行った。あそこから海越しに見えるヴェスヴィオ山を絵に描こうと思ってね」

 海や湖の向こうに見える山や建物というのは、絵の題材としてはありふれていると思うが、彼の感性に何かしら響くものがあったのだろう。浮世絵で、色々なところから見た富士山のシリーズがあるが、そういう類いのものかもしれない。

「それで、今日はこれからどこへ」

 エロイーズに訊くと、やけに嬉しそうな顔で答えた。

「買い物へ行く。この辺り、泥棒が多いと聞いたので、私たちを守ってくれると助かる」

 泥棒にそれを言うか。俺だけじゃなく、ナカムラ氏だってそうなんだぜ。そりゃ、関係ない物は盗まないけどな。

 こっちへ、と言ってエロイーズたちが歩き出す。しかし、エロイーズはさりげなく他の二人をナカムラ氏と先に行かせ、俺の横に並びかけてくる。

「ファビエンヌとジネットは、ムッシュー・ナカムラのことをとても気に入っている。今日は彼だけ付いて来てもらえばいいと言っていたが、私はあなたにも付いて来て欲しくて、お願いした」

 キー・パーソンというのは往々にしてこういうことを言いたがる。構い過ぎてもいけないし、突き放してもいけないし、その辺りの匙加減ディスクレションが難しい。

 ガレリアの南から出て、カルチョッフォ噴水が建つトリエステ・トレント広場を通り抜け、狭いナルドネス通りを歩く。

 両脇は4階建ての長屋ローハウスのような建物が延々と続いていて、いきなりナポリの裏道に入った感じがする。車道と歩道が細長いU字釘ステープルで仕切られているが、歩道にはモトがたくさん止めてあって歩きにくい。レストランとピッツェリアがやたらと多い。ソーホーのような素性の知れない店もある。

 通りの突き当たりを南へ折れ、下り坂を――途中から段の広い階段になっているが――降りていくと、キアイア通り。ここは広い。

 女3人で地図を見ながら何か言い合っていたが、もしかしたら道を間違えたのかもしれない。トリエステ・トレント広場から、直接このキアイア通りへ入ることができたはずで、こちらは観光客と思われる人がたくさん歩いているからだ。

 その辺りの事情は訊かないことにして、キアイア通りを西へ歩き、道なりに南へ曲がったところで、ガエタノ・フィランジエーリ通りへ出た。

 このまま南へ、サンタ・カテリーナ通りを少し行くとマルティーリ広場があるのだが、エロイーズたちはガエタノ・フィランジエーリ通りへ行くと言った。

 通りの入口からしてブランド物らしき衣料品店で、歩いているのも女が多い。見に行きたい店を、どの順番に行くかでエロイーズたちが相談しているが、そういうのは最初から決めてきて欲しい。フランス語の堪能なナカムラ氏が相談に乗ってくれているようなので、俺は口を出さないでおく。

 ようやく決まったようだが、彼女たちは衣料品店には目もくれず、ジョヴァンニ・ラスピーニ、ナッパ、ダミアーニなどの宝石店へ入っていく。しかも高価なネックレスや指輪ばかりを見ている。

 彼女たちは本当に観光客なのだろうか。実は泥棒で、後でここへ盗みに入るための下見に来ているんじゃないかという気がしてきた。そう考えると、俺やナカムラ氏をアドヴァイザーとして連れてきているのは理にかなって……いや、やっぱり違うだろうな。

 余計な妄想はやめにして、アンナから依頼を受けているので、店の中を物色する。探すのは簡単で、“レモン”をキーワードにすればいい。イタリア語なら“リモーネ”だろう。

 ブルガリ、という俺でも知っている高級店へ入ると、店の奥に"limone"という単語が見えた。入口の辺りでエロイーズたちが店員と話している隙に、それを見に行く。見たこともないような大ぶりの石を付けた指輪が、ガラスのショー・ケースの中に収まっていた。

 石は鮮やかなレモン色。どこにも値段が書かれていない。もっとも、これほど大きい石が本物なら、値段があってないようなもので、こんな町中の宝石店に売っているというのも変な気がする。

 身なりの冴えない俺を無視しようとするかのような、立派な口髭の中年の店員に、指輪のことを訊いてみた。

「ああ、これは模造品コピア・エサッタです。“ディアマンテ・アル・リモーネ”というとても有名な宝石でして」

 この店員、なぜかイタリア訛りの英語を話している。俺の言葉を英語として聞き取ったのに違いない。

「客が模造品を見に来るほど有名な石なのか」

「さようです。16世紀にインドで採掘されたと言われておりまして、およそ100カラットのイエロー・ダイアモンドです。ムガール帝国やペルシャの王によって保有された後、何度も持ち主が替わり、19世紀にイタリアへ渡ったとされていたのですが、長い間所有者が誰なのかはっきりせず、つい最近になって判明したのです。そして明後日のオークションにかけられるということが数週間前に発表されたので、どんな石なのかを訊きに来るお客様が増えまして、それで……」

 なるほど。そしてその所有者はと訊くと、アルノルド・アスカーリ、またはリナルディという答えが返ってくる、ということだったのか。

「アーティー、何か素敵なものを見つけた? ティアン、ケッレ・ベッレ・バグ!」

 ウィ、マドモワゼル、と言って中年店員はエロイーズに指輪の説明をし始めた。しかし、二人ともフランス語を話しているので何が何だか解らない。さすがにイタリアはフランスの隣国だけあって、フランス語を話せる店員もいるようだ。通訳なんて要らないじゃないか。

「アーティー、解った。私たちはさっきから、宝石店にレモン色の石のアクセソワールが多いと感じていた。理由は、この指輪が有名だから」

 エロイーズが青い目をサファイヤのように輝かせながら言う。俺はこの石の本物を盗むつもりなんだと言ってやったら、どれほど驚くだろうか。

「イエロー・ダイアモンドの在庫も増えてるのか」

「ええ、売り上げも増えておりますよ。しばらく前はピンク・ダイアモンドが一番人気でしたが、最近はイエローばかりです。いくつかご覧に入れましょう。プレゼントですか、それとも婚約指輪?」

 今のは英語だった。エロイーズが聞き取れなくて戸惑っているようなので、店員がフランス語で言い直す。エロイーズがもっと戸惑いながら笑顔になり、早口のフランス語で何か言っている。余計なことを言わないで欲しい。

 しかし、3人で会話するには店員に何語をしゃべらせればいいのだろうか。イタリア語なら俺は同時通訳で解るが、エロイーズはどの程度理解できるのか。

 店員がイエロー・ダイアモンドの指輪やネックレスを出して、エロイーズに見せている。他の二人も寄ってきた。ナカムラ氏も来たので、模造品レプリカの方を指差してみせる。ナカムラ氏は得心したように小さく頷いたが、何も言わなかった。

 俺に「ナポリへ行け」と言っていたことだし、「それ見たことか」と思っていたかもしれない。

 それからしばらく、ジュエリーを見てはしゃぐ女3人を見守る。しかし結局、何も買わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る