#12:第3日 (6) 成果なし?

 考えていると、横から聞き憶えのある声がした。顔を上げると、また例のインド人だ。女の3人連れに――どうしていつも違う女を連れてるんだ――谷底の製粉所について説明している。何でも知ってるんだな。

 しかし、どうして俺の行く先々に現れる? やはり尾行されているのかもしれないと思いつつ、その場を離れてタッソ広場に向かう。

「ヘイ、申し訳ないが」

 先ほど飛び込んだホテルの前に、たまたま立っていた女に声をかける。黒髪を後ろでくくっていて、肌がオリーヴ色で、露出の多い服を着ていて、携帯端末ガジェットをいじっていて、一人でいるので声がかけやすかった、というだけに過ぎない。

 女は顔を上げてこちらに笑顔を見せたが、ラテン系の人なつこい美人だった。ただし、肩幅が広くて、腕っぷしが強そうに見える。そして胸がかなり……いや、そんなところは見なくてもいい。マルーシャでないということが判ればそれで十分。

何か用ケ・コーザ?」

「この辺りで観光するところを教えて欲しいんだが」

「あら、イタリア人に見えた? 私、スペイン人。私も観光に来てるのよ。今は待ち合わせ中だけど」

 バッグの一つも持ってないので、地元民と思って声をかけたのだが、違っていたとは。しかし、やけにイタリア語がうまいな。

「そうか、それは済まない」

気にしないでノン・ティ・プレオックパーレ。でも、観光するところなら知ってるわよ。市民公園ヴィラ・コムナーレとコレアーレ美術館。それに、タッソ広場から観光用のトレインが出てるわ」

 観光トレインか。スペインで見た、あれだろうな、汽車型の。

 美人に礼を言い、タッソ広場へ行く。国旗が立ち並ぶところに建っていたテントが、チケット売り場だった。一周30分で、4時の便が先ほど行ってしまったところ。時間的にもう乗れないので、諦めて市民公園ヴィラ・コムナーレへ行く。

 “溝”から少し西へ行ったルイージ・デ・マイオ通りに入るが、実はこれが“溝”から上がってくる車道の終端。少し歩くと三角形のサンタトニーノ広場があり、その斜辺を進む。頂点のところでサン・フランチェスコ通りへ折れると、すぐに市民公園ヴィラ・コムナーレがあった。

 公園の北の端が崖に面していて、港と海が一望できる。中に聖フランシスコ教会がある。回廊キオストロで有名だそうだ。

 今日は教会を見ないことにしていたし、回廊はアマルフィやサレルノでも見たのだが、時間が余っているのでさっと見ておくことにする。

 支柱や壁はサレルノの回廊と同様に薄汚れた感がある。しかし植物は盛大に生い茂っており、中庭には色とりどりの紫陽花が、そして回廊の上には紫の藤の花が咲いている。ここまで花が綺麗だと、壁の汚れを補って余りある。

 回廊の途中に女が一人立っている。背がすらりと高く、長い黒髪で、レモン色のつば広帽をかぶり、大きな茶色のサングラスをしている。しかし、顔の輪郭と唇の形だけで、美人と判ってしまう。

 帽子と同じレモン色のドレスで、ウエストがやけに細い。中庭は見ず、文庫本を読んでいる。胸の大きさは本を持つ手で隠されていて不明。人を待っているのだろうか。ホテル前の南国美女と比べると、圧倒的に声がかけにくい。

 避けるようにしてその前を横切り、回廊を一周してから外に出た。

 崖の上から海を眺める。右手にヴェスヴィオ山、そして正面にナポリ。しかし、それらはヴィラ・ジョヴィスからもっと綺麗に見えていた。高さが違いすぎる。

 つまり、ここで先に見てから、カプリ島へ行って改めて見た方が、“いい景色”が二度楽しめてよかったというわけだ。やはり今回は手順間違いがたくさんある。

 明日はどこへ行こうか。しかし、今ここで考えずとも、帰りのフェリーの中でたっぷりと時間がある。ここでは、ここでやることを考えるべきだ。

 期待していたキー・パーソンは、見つかっていない。ならば、誰かに声をかけるか。しかし、周りにいるのはペアか家族連れか団体ばかり。写真を撮って欲しそうな女のグループもいなければ、一人寂しく海を見ている美人もいない。

 別にキー・パーソンが女だけとは限らないだろうが、声をかけたくなる、あるいはかけやすそうな相手がいないということだ。

 思い切って、レモン色の美人に声をかけてみるかとも思ったが、辺りにはいない。まだ回廊にいるのかもしれないし、既に待ち合わせの男が来たのかもしれない。

 公園ヴィラの中を歩き回ってみたが、声をかけたいと思える相手がさっぱり見つからない。先ほどの南国美女の、あの声のかけやすさは何だったのだろうか。

 諦めて、港へ降りることにする。エレヴェイターと階段があるが、エレヴェイターは有料。大きな荷物を持っているわけでもないので、階段で降りる。

 港で海を見て時間を潰しているうちにフェリーが来て、乗ると20分でカプリ島に着いた。

 サレルノ行きの出発まで、港の前の通りをぶらつく。レストランとバーとピッツェリアばかりだ。どこもほどほどに混んでいる。俺と同じように出発待ちの時間を過ごしているのだろう。

 エロイーズたちの姿を探してみたが、いなさそうだ。ソレント行きの最終はもっと遅い時間だし、ぎりぎりまでカプリ観光をするつもりに違いない。山を下りた後で、島の西南端にある灯台に行ったり、島を一周する遊覧船に乗っていたりとか。

 それはさておき、エロイーズがキー・パーソンだとしたら、どういう役割を担うのだろうか。つまり、俺にどんなヒントを出すことになるか?

 もし彼女と一緒に行動することを選んだら、連日色々なところへ観光に行くだろう。その中で、“レモンの宝石ジュエル”のヒントになる場所へ行くに違いない。そしてそれは俺の思い付かないような場所ということだろうか。

 フランスから来た若い女たちが行くところで、俺が行かなそうなところ。解った、買い物だな。例えば服飾品や宝飾品ジュエリー。いや、ジュエリーって確かにそのままだよな。宝石ジュエルを売ってるんだから。イタリアの有名な宝飾品店……さっぱり思い浮かばない。全く興味がないから。そこを教えてくれるのがキー・パーソンなのかもしれん。

 で、彼女が欲しいものがあったら買ってやる? それは違うと思うなあ。おそらくは、見に行くだけでいい。というか、一緒に何かを見に行くことが重要なのだろう。「男が一緒にいると心強い」という言葉とも符合する。

 もちろん、その前に色々としなければならないことがあるに違いないけれども。しかし、彼女たちとは行き先が合っていない。そこをどうするか。むしろ、クラウディアのように無理矢理約束を取り付けられる方が楽でいいんだが。

「よう、どうだったハウ・ディディト・ゴー画伯アーティスト

 ナカムラ氏発見。今度は先に俺の方から声をかけた。ちょうどケーブル・カーの駅から出てきたところだった。いつものように、中途半端な笑顔をしている。

まずまずだソー・ソー。僕のことは絵描きペインターでいいよ。君こそ、どうだった」

「カプリ島の観光を十分楽しむことができた」

「それはよかった」

「ソレントのお薦めも見てきた。ああいうのは“ワビ”というのか?」

「“サビ”だよ。“ワビ”は足りないこと、“サビ”は古いことと憶えておくといい。ところで、その口ぶりではソレントでは誰にも会わなかったということか? スペイン風美人スパニッシュ・ダイムを見かけなかったかね」

 こっちから声をかけた、あの女のこと? 声をかけやすかった理由はそれか。

「捕まえ損ねた」

「目立つことをしなかったんだな」

「やはり谷に飛び降りればよかったか?」

「アイスクリームを落とすだけで十分さ」

 ナカムラ氏はそんなことをしたのかな。まさか。彼はきっと、あそこの柵にまたがって絵を描いてたんだろう。

 乗船の合図があったのでフェリーに向かったが、ナカムラ氏は「買い物をしてくる」と言ってどこかへ行ってしまった。俺と馴れ合うのはお気に召さないらしい。日本人らしいとも言えるし、ヴァケイション中らしいとも言える。

 その後、ナカムラ氏は見かけなかったが、出航直前になってあのインド人が乗ってきた。まさかここにまで現れるとは。しかし、来たときには全く気付かなかった。彼がどこで降りるのか、確かめておく必要があるな。

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