#12:第3日 (5) ソレントの緑の谷

 アナカプリでバスを降りるとき、エロイーズたちにチェアリフトの乗り場を教えてやった。ついでに、山から下りてカプリへ戻る時は、向こうのバス停ではなくて、こちらまで歩いてきた方がバスが空いている、とも言っておいた。

 これは、向こうのバス停には長蛇の列ができていたのに、こちらに来たときにはそれほど人が並んでいないな、と気付いただけだったが。

あらティアンありがとうメルスィー! オウララ、ありがとうグラツィエありがとうタンキュー。あなた言うとおり、こちら空いている。そのとおりする。あなたサレルノのホテル教えてくれるか? 私たち、ノボテル・ソレントに泊まっている」

 どうしてエロイーズだけがこんなに反応するのだろう。他の二人は、そんなことを教えていいのかという顔をしてるんだが。

 とりあえず、プラザ・ホテルに泊まっていることと、部屋番号を教えておく。まさかサレルノまで来ることはないだろう。モバイルフォンの番号を教えてくれとも言われたが、持ってないというとひどく驚いていた。

 そういうことを話している間にマリーナ・グランデ行きのバスが出発してしまったのだが、まあ、1本くらいは大丈夫だろう。この時間は頻繁に走っている。乗り遅れたついでに、エロイーズたちをリフトの乗り場まで連れて行ってやった。

 さよならを言ってからバス・ターミナルに戻ると、ちょうどマリーナ・グランデ行きが出るところだったので飛び乗る。今日はぎりぎりで間に合うことが多い。

 マリーナ・グランデに着いたのは3時5分だった。ソレント行きに間に合ってしまったので、ソレントへ行くことにする。

 既に入港しているフェリーに乗って待っていると、ケーブル・カーから降りてきた人が乗り込んでくるが、大半は列を作って待っている。おそらく、次のナポリ行きに乗るのだろう。フェリーは定刻で出発すると、20分でソレントに着いた。

 ソレントの港も町の北側にあって、マリーナ・ピッコラという名前。同じ名前がカプリ島にもあった。実はマリーナ・グランデもある。この港の少し西の方だ。

 グランデは“大きな”、ピッコラは“小さな”の意味なので、同じ名前の港が方々にあるのは別に不思議でもない。

 そして、カプリもそうだったように、町は崖の上にある。上の町へ行くには3通りの方法がある。#1、階段を登る。#2、“ソレント・リフト”、つまりエレヴェイターで上がる。#3、バスに乗る。もちろん、俺が選ばねばならないのは#1だろう。

 その階段だが、港の正面にある崖に、北から南へナイフですっぱりと切り込んだような“溝”があって、まずはそこに作られた石畳の坂道を上がっていく。

 この坂道、車2台がぎりぎりすれ違えるほどの幅で、道の両側は切り立った壁。そして歩道は車道の横に人一人がようやく歩けるほどの幅で白線が引いてあるだけだ。

 しかし、結構な数の人がこの坂道を歩いていて、大きなスーツ・ケースをごろごろと転がしながら車道を闊歩していたりする。そこに前から車が突っ込んできたり、後ろから追い越していったりする。もちろん、バスも来るので危なっかしくて仕方ない。

 坂道を4分の1マイルほど歩くと、目の前に壁が現れる。車道はここでヘアピン・カーヴを描いて折り返し、坂を上がっていくのだが、歩行者は壁に刻まれた階段を登る。高さは120フィートくらいだろうか。やはり今日は崖に縁がある。

 階段を登り切るとそこがタッソ広場。広場といっても広い交差点で、真ん中に何がしかのモニュメントが建っているだけだ。

 他に目立つ物といえば、今いるところに立っている12本の国旗くらいか。ヨーロッパだけかと思ったらなぜが合衆国の旗があって、掲揚国の基準がよく解らない。

 もっと解らないのは、ここは交差点なのに信号がないことだ。車も人も好き勝手に往来している。ラウンドアバウトのような通行基準があるとも思えない。横断歩道は一応あるが、それとは全然関係ないところを渡っている人ばかりだ。

 しかし、俺はちゃんと横断歩道を渡り、フオリムラ通りを南へと歩く。この通りだけがやけに広く、車線が三つあり、間が街路樹で区切られている。北行きが2車線、南行きが1車線だ。

 100ヤードばかり行くと東寄りの車線に合流して、西寄りの車線があったところには、突如として大きな谷が現れる。深さは100フィートほどだろうか。底の方は鬱蒼と木が茂っている。

 もしかしたらこれは、港から階段までの間に通った“溝”の続きで、階段のところからここまでを埋め立てたのではないか、とも思えるのだが、その真偽はさておき、谷はこの数十ヤード先で二手に分かれている。一つはそのまま南へと続き、もう一つは西へと続く。

 その二つが直角に交わる地点の谷底に、緑に覆われた廃墟が建っている。石造りの重厚な建物で、窓の数から見るに、4階建てか5階建てくらいだろうか。天井や中庭に木を生い茂らせているその有様は、普通の“古代遺跡”と一線を画する。

 少し詳しいことが知りたくなったので、近くにあったホテルに飛び込んで、コンシエルジュを捕まえて訊いてみた。コンシエルジュは俺がホテルの客ではないと知ると迷惑そうな顔をして、ソレント駅の横にツーリスト・オフィスがあるからそこで訊けと言った。

 チップを10リラもやったら急に機嫌が直ったが、ホテルを飛び出して、東側にあるソレント駅へ行く。駅舎自体はコンクリートで建て替えた、あまり面白みのない趣で、それはいいとして、チケット売り場の横にあるツーリスト・オフィスへ入り、「そこの谷にある建物について教えてくれ」と係員に言う。

 すぐさまリーフレットを渡され、それを読むと、あれは製粉所の跡とのこと。ヴァローネ・デイ・ムリーニとは“製粉所の谷”という意味だった。谷のところに戻って、続きを読む。

 この谷は川によって削られたもので、二つの川が合流するところに製粉所が建てられたらしい。たぶん、水力を利用したのだろう。10世紀頃に建てられ、1000年ほど稼働したが、湿度が高くて困ることが多かったため、19世紀に閉鎖。

 その湿度の高さ故、シダ植物が繁茂するのにうってつけで、谷底は常に緑に覆われているらしい。立派な産業遺跡である。

 しかも1000年前。18世紀の産業革命の工場跡ですら世界遺産になるのだから、これも世界遺産に登録したらどうか。

 それとも、イタリアはローマ時代の遺跡でないと世界遺産に登録しないのかな。そういえば、ナカムラ氏も「たかが1000年前」と言っていた気がする。俺がカレッジの頃、日本が建国2700年を迎えたというニュースがあった。イタリア人や日本人にとって、1000年前というのはそう大した昔ではないのかもしれない。

 谷の上の道を右往左往しながら15分ほども遺跡を眺めたが、誰にも声をかけられない。ナカムラ氏のアドヴァイスは当てにならなかったということか。

 それとも、もっと目立つ行動をしないといけないのだろうか。例えば、ここから飛び降りるとか。しかし、上がってこられるのか?

 リーフレットには、以前は下へ見に行けたが、今は行けないと書いてある。ということは、どこかに上がるところがあるということなのだが、どうしたものか。警察沙汰になるのも嫌だしなあ。

 結局のところ気弱な男なので、目立つのは諦めて、別のところを見に行こうと思う。しかし、ここ以外に行く当てがない。ナカムラ氏が見に行けと言ったのもここだけだし。

 リーフレットを見ると、他の見所は大聖堂と美術館と市民公園ヴィラ・コムナーレ。大聖堂は今日は見ないことにしているし、ターゲットに何か関係ありそうなのは美術館だが、めぼしいのはコレアーレ美術館くらいか。ここからは歩いて7、8分。

 今、4時過ぎで、船は4時45分だから、30分も見られない。しかし、リーフレットの写真によると、庭園があってレモンの木が写っている。さあ、どうするか。

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