#12:第2日 (3) アマルフィ海岸を西へ (3)
ターゲット、の部分だけ少し強調したが、日本人らしい、遠回しな言い方だ。
年齢がよく判らないが、きっと30代だろう。もしかしたら30代の後半とか、信じられないことを言い出しかねない。
「君は……ヴァケイション?」
「そう。アマルフィに滞在している、昨日、大聖堂で会ってるけれど、憶えてないだろうね。僕は目立たないから」
「俺だって、特徴のない、憶えにくい顔だって言われるがね。ところで、どうして俺が君の同類だと判るんだ? 後学のために聞かせてくれないか」
「君は自分の行動を客観的に見る癖を付けた方がいいよ。大聖堂の中で探し物をするかのような行動を取ったり、絵画を見るときに興味なさそうな目つきになったりするなんて、おかしなことだからね」
普通の観光客なら、建物や絵画は鑑賞するだけで、観察なんてしないはずだ、ということだろう。同じようなことを、他の誰かにも言われたことがある気がする。
昨日の大聖堂には彼の他にレベッカもいた。彼女もきっと、彼と同じような理由で俺が
「今度からは気を付けるよ。しかし、ここにターゲットがないと、なぜ判る?」
「君はこの美しい町の中に、盗んでいいものがあると思えるのかい?」
ごもっとも。大富豪の別荘があったところで、その秘蔵の宝石を盗んでいいことにはならないだろう。
「しかし、ヒントくらいはあるだろう」
「ヒントがあるのはここだけじゃない。いろんなところに、同じようなものがあるのさ。ここではその共通性だけを見出せばいい。こまごまと観察する必要なんてないんだよ」
「しかし、ここへ来ればいいことだってある」
「何が?」
「こうやって貴重な忠告をもらえることさ」
「どうして君に忠告なんてしたんだろうな。たぶん、以前の自分と同じで、生真面目にやりすぎてるものだから、もう少し効率よくやれと言いたかったんだろうね」
「自己紹介が遅れた。アーティー・ナイト。セミプロのフットボーラーだが、実態は無職に近いパート・タイマーだ」
「ナカムラ・ツカサ。無職に近い画家だ。フットボールはアメリカンだね。次に会ったら、ぜひ話を聞かせてくれ。僕はサッカーよりアメリカンの方が好きなんだ」
そして相手は一歩横へよけて、俺の通り道を作った。階段を下りながら「
ようやくキウンツィ新道まで下りて、南へ向かい、海岸通りに出た。ちょうどバス停があるが、西へ行き、聖フランシスコ教会を見てから、ミノーリまで歩くことにする。
ただ、既に12時に近いので、先に昼食を摂ろう。目に付いたレストランに入り、スパゲティ・アル・リモーネを注文。レモン、塩、バター、そしてオリーヴ油で味を付けてあり、さっぱりしていてこの季節にはちょうどいい。ウェイトレスの愛想もよかった。
海岸沿いに教会まで徒歩8分、半マイルには少し足りないほど。マイオーリの砂浜は他の町に比べて特に長い。といっても、1マイルはないだろう。
その砂浜の、西の果て辺りにイエローの壁の建物があって、これが教会。見なくてもいいとナカムラ氏から助言を受けたのだが、やると決めたらやるというのが俺の考え方なので、ここも見る。我ながら性格が歪んでいると思う。
正面の扉の上に聖人の絵があるのはここも同じ。ずっと上の明かり取りは、バラ窓になっている。
中に入ると壁や柱の装飾は少なく、白とベージュを基調としているが、その漆喰の白さが際立って明るく見える。天井の装飾は縁取りにわずかに金が使われていて、こういうシンプルさは逆に好ましい。
天井画が描かれているのは中央のドーム部分だけで、それも水彩画のように色彩が薄い。いや、彩度が低いというべきか。とにかく、目に優しい。これなら長い時間見ていられる気がするが、絵そのものはそう珍しくもないので、レモンに関係するものがないことだけを確認して、外に出る。
目の前に、港がある。防波堤は小さいが、ここにフェリーが着くはずだ。隣のミノーリまでは半マイルほど。
緩やかな坂を上がり、崖沿いの道を歩くと、すぐに短い砂浜が見えてくる。それがミノーリの町だ。
砂浜の真ん中辺りに小さな桟橋がある。フェリーの中には、マイオーリとミノーリの両方に停まる便があるはずだが、これだけ近いと、もし乗り遅れても、隣町まで走れば間に合うのではないかと思われる。
町の名前の由来。ミノーリとはマイナーのこと。マイオーリはメジャーのこと。
元々はこの土地の水路に、整備したエトルリアの統治者の名前から“レジンナ”と名付け、二つの町をそれぞれ
こんな知識、ターゲットとは何の関係もない。ナカムラ氏が俺のことを心配する気持ちがよく解る。
ミノーリの見所はただ一つ、聖トロフィメナ教会。バシリカと呼ばれる様式で、中央の身廊が幅広く作られているのが特徴。規模的には大聖堂と言ってもいい。
柱には赤いタペストリーのような装飾があるが、その他は壁から天井まで白とグレーを基調にしていて、うるさい天井画もないし、シンプルで素晴らしい。
祭壇の絵はキリストの磔刑。
2時15分、ミノーリ発。途中、アトラーニがあるが、ここは小さな町なのでパス。
2時半、アマルフィ着。ソレント方面はここで乗り換えなのだが、ちょうど2時半発というのがあった。乗り遅れると1時間待ちだったので、運がよかった。
次の町はコンカ・デイ・マリーニ。ここは“町の中心”というものが存在せず、崖を這い上るかのような道に沿って家が点在している。教会すらない。
しかし、エメラルドの洞窟があり、バスも停まるので、そこで下りる。普通はアマルフィからの遊覧船に乗って見に来るらしいのだが、地上から行くこともできる。
エレヴェイターに乗って下りると、船着き場がある。ボートが浮かんでいて、旅行中の男女二組と同乗する。
船頭がボートを漕ぎ、洞窟の入口の方へ進む。光が差し込み、水面が青緑に揺らめく。ペアたちが歓声を上げる。船頭がオールで水を跳ね上げると、しぶきが水面に落ちてきらめく。ペアたちが大騒ぎする。
俺もペアで、できればメグとこういうところへ来てみたい。彼女なら目を美しく輝かせるだけでむやみに騒いだりせずに、冷静に感想を述べてくれることと思う。
洞窟内を一周し、ボートを下りてエレヴェイターで地上に戻ったが、次のバスはさっきの1時間後。待ち時間が30分ほどある。プライアーノまでは歩いて行ける距離ではないので、待つしかない。
近くにレストランはあるが、そこへ入らず、駐車場の一角から海を眺める。
東の方に、コンカ岬が見えている。岬の突端には城のような建物があるが、あそこまで歩いて行くと20分くらいはかかるだろう。着いた途端にバスが来てしまう。
だからここで潮風にまみれてバスを待つ。バスは5分遅れてやって来て、3時50分発。
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