#12:第2日 (4) アマルフィ海岸を西へ (4)

 次のプライアーノも、コンカ・デイ・マリーニと同じく崖の表面に作られた町なのだが、教会はあるのでそれを見に行く。そこを見ずにポジターノまで行ってしまうと時間が余りすぎる、という消極的な理由でしかない。

 バスを降り、崖を斜めに刻む長い坂道を登る。道に沿って車がたくさん停まっているが、これは坂道の途中にあるホテルの駐車場であろうと推察する。それくらい、土地に困っているのだ。眺めがいい分、ホテルが多いという事情もあるだろう。

 道はそのうちに行き止まり、ヘアピン・カーヴで折り返して反対方向に登り始めるが、そこからドゥオモ通りという狭い路地に入る。教会へ続く道で、一部は階段になっている。途中で、崖を垂直に登っていく別の階段と交差したりする。

 15分かかってようやく教会に着いた。聖ルカ小教区教会。ここも壁がイエロー。この地域の共通らしい。

 隣に、直方体を三つ積み重ねたかのような、一風変わったデザインの鐘楼が建っている。中に入ると、基調は白とイエロー。床に、地図の32方位を示すマークのようなものが描かれている。こんなのは教会で初めて見た。

 他にもたくさん絵が描かれている。天井画の代わりに地上画、というわけだ。レモンの木でも描かれていないかと思ったが、やはりなかった。

 プライアーノを4時50分に出て、ポジターノには5時に着いた。聖マリア・アスンタ教会へ行きたい、とバスの運転手に言うと、町の入口のスポンダというバス停で下りたらよいと言われた。

 町は谷の底と、低い丘陵の上の二つに分かれていて、教会は谷底の方にある。バス通りは比較的高いところを通っているが、地形が複雑なために、町の中で大きくM字を描くように曲がっている。

 教会に向かって、坂を下りる。左手の方にずっと見えているのだが、道はそちらへと行かず、だいぶ行き過ぎてから折り返してこなければならなかった。

 ポジターノという町は、作家ジョン・スタインベックが雑誌に紹介したために、ヨーロッパや合衆国の有名人が来るようになったらしい。にもかかわらず、山をぶち抜くトンネルでナポリから短時間に来られるようにする、などとされていないのが少々解せない。

 あくまでも、不便な田舎で休暇を楽しむところに重点が置かれている、ということか。

 それはともかく、聖マリア・アスンタ教会。“黒のマドンナ”のイコンがあることで知られているらしい。13世紀のビザンティン様式。

 それと、マジョルカ・タイルで作られたドーム。しかし、ドームを見上げて、あれがマジョルカ・タイルだと指摘されても、普通のタイルとどう違うのかがよく判らないのでインパクトに欠ける。

 中の装飾は白とベージュが基調で金の装飾、マイオーリの聖フランシスコ教会とよく似ている。黒のマドンナは祭壇に掲げられたレリーフがそれ。絵のほとんどはゴールドで、確かに顔は黒いけど、実は汚れているだけじゃないのか、という感じだった。

 リーフレットによると、このイコンは海賊によってビザンティウムから盗まれたもので、この沖を航行中に嵐に巻き込まれたときに、船乗りが「置けポサ!」という声を聞いた。そこで声のとおりにイコンを町に運ぶと、嵐が治まった。

 それで、“置けポサ”という言葉からこの地がポジターノと名付けられた、ということらしい。つまり、これは盗品ということなのだが、ビザンティウムに返さなくていいのだろうか。

 さて、これで今日見ようと思っていたところは全て見ることができた。教会は他にもあるが、いずれも山の上などの不便なところだし、ぜひ見ておくべきものがあるわけでもない。後は海岸のカフェで、時間を潰していればいいだろう。

 ポジターノの砂浜は短くて、ほんの200ヤードほど。船着き場はその西側に作られている。

 5時半を回っているが、まだ陽は十分高くて、ビーチで人がたくさん遊んでいる。今日はよく歩いたのでレモン・ジュースがうまい。

 船着き場には船が2隻泊まっているが、いずれも大型船。あれはサレルノのフェリー・ステーションへ行く。

 俺が乗ろうとしているのは6時に到着する小型船で、駅の近くのマリーナへ行く方。

 5時55分発の便がほぼ満員の客を乗せて出て行くと、入れ替わりに小型船がやって来た。あれまで満員だとバスで帰るしかないが、船は70分でサレルノに着くのに対し、バスは7時発でさらにアマルフィで20分待ちの乗り換えがあるため、9時15分になる。

 だからどうしても6時半の船に乗る必要がある。混んでいそうなので、チケット売り場に行って訊いてみる。あっさり「満員です」と言われたが、後ろから「チャオ、アーティー!」と声がかかる。クラウディア。やはり船長姿だと凜々しい。

「乗ろうと思ったが、満員だそうだ」

「そうですか。でも、大丈夫ですよ。チケットは定員より少なめに売ることになってるんです。それに、キャンセル待ちもあります。あなたは必ず乗せてあげます」

 船長の権限、かな。とにかく、乗せてもらえるのはありがたい。

 6時10分、大型船の方が先に出航する。そして小型船の出航時間が近づくと、これだけの人がどこにいたのかと思うくらい集まってきた。

 全部乗ったが「あと5人乗れます」とクラウディアが笑顔で言う。どうぞ乗ってくださいと言うのでチケットを買って乗る。

 時間になっても他の客は来ず、出航。町を海から眺めると、まるで一つの巨大な要塞のように、建物が密集している。他の客が盛んにカメラを向ける。暗くなったら夜景も綺麗だろう。

 プライアーノ、コンカ・デイ・マリーニ、アマルフィ、ミノーリ、マイオーリと、ヴィデオの逆再生を見るかのように町並みが過ぎていく。海から見たのは初めてなのに、なぜか見憶えがあるように思えてしまう。岬の突端から見た町の景色が、頭の中で適度に角度を変えて再現されているのだろうか。

 マイオーリを過ぎると、しばらく山並みだけが見えるようになる。岬を回ると、エルキエの小集落、そしてチェターラ、ヴィエトリ・スル・マーレと見えてきて、前方にサレルノの市街地が広がった。

 おかしなもので、サレルノだけが、見たことがない景色のように思える。頭の中の、再現能力の限界だろうか。

 7時40分、マリーナ着。昨日、俺が海にはまった時刻だ。今日はそうならないよう、一番最後に下りる。

「どうでしたか、フェリーの旅は」

 上陸するとクラウディアが訊いてきた。さっきまで、他の客と一緒に写真を撮っていた。やはり女の船長は人気がある。おまけに美人だし。

「思ったより揺れなかった」

「夏場は波が穏やかですからね。でも、海流とは逆の方向なので、ポジターノ行きよりは少し揺れるんですよ」

「明日はそっちに乗るかもしれない」

「どこへ行くんです?」

「カプリ島」

「じゃあ、アリコストですね。私の船に、もう一度乗って欲しいですけど」

 別に、横に座って観光案内してくれるわけでもなし、乗って欲しい理由が今一つ解らない。

「明日じゃなくても、もう一度くらい乗ることはあるさ」

「私も自分の船を持ってるんですよ。そっちに乗りますか?」

「君が休みの日に?」

「ええ。来週の月曜日と水曜日が休みです」

「考えておこう」

「今夜も“ギンザーニ”に来て下さいね。8時半です」

「もちろん、行くよ」

 クラウディアは船に戻った。後片付けがあるのだろう。

 ホテルへ戻ると、やはりベアトリーチェが笑顔で迎えてくれた。たくさん歩いて汗を掻いたので、居酒屋オステリアへ行く前にシャワーを浴びておこう。

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