ステージ#12:第1日

#12:第1日 (1) 君の知る南の国

  第1日


 幕が上がっていくと、目蓋の裏が赤くなった。降り注ぐ太陽の光と熱を感じる。これはきっと南国だ。

 前々回は暑い国、前回は寒い国、そして今回はまた暑い国ということだ。ちょうどいい感じのところに行かせてくれないかな。

 目を開けた。高い! 空中に放り出されたみたいだ。目の前の上半分が青空で、下半分が海。薄い青と濃い青。

 ずっと下には、左と右に、狭い谷間を埋める赤い屋根。あそこまで、高さ何フィートくらい? 海には船も見える。よかった、今回はすぐ近くに町がある。狭そうだけど。

 しかし、ここはどこだ? 足下は、玉石をコンクリートで固めたもの。振り返ると緑の樹々が見えている。どうやらここは山の、というか岩場の頂上の展望台であるらしい。

 どうやって登ってきたことになってるのかな。階段? だとすると降りるのもかなり大変そうだ。前回の山登りよりはまだ楽だろうが。

 そうだ、時刻。8時。もちろん、朝だろう。太陽が左前にあるから、俺の向いている方向が南というわけだ。

 それにしても素晴らしい景色。仮想世界に来てから最高の眺望だろう。他でも高台から海や湖を眺めたことがあるが、視界の広さが段違い。

 おそらく有名な場所で、観光ガイドのウェブ・サイトなんかには写真付きで紹介されているだろう。見に来たことがある奴も、嬉しそうに自撮りセルフィーをしたに違いない。

 しかしあいにく、俺はここがどこか知らない。少なくとも合衆国でないことが判るくらい。ただ、あの赤い屋根はヨーロッパ風だよなあ。お決まりの聖堂らしき建物もあるし。

 そうすると、ここはまた地中海? スペイン、フランス、イタリア、クロアチア、ギリシャ、トルコ、それから、えーと、他にはどこの国があったんだったかな。

 あるいは地中海に浮かぶ島のどこか。まあ、どこでもいいや、とりあえず、下に降りたら判るだろう。

 で、どうやって降りるんだ。飛び降りる? まさか。



 強い潮の香りがする。

 この香りを、私は知っている。レモン、オレンジ、葡萄、オリーヴが微かに混じる、地中海の香り、そしてそれを届けるティレニアの風。

 目を開けると、広い空と碧い海。この海も、私は知っている。イタリア、カンパニア、サレルノ、アマルフィ。

 私は海に突き出した防波堤の先端に立っていた。

 右へ振り返りながら、町を眺める。海から突き出した岩山の、急斜面に貼り付くように建てられた家々。波止場のバス・ターミナル、小さな砂浜、そして大聖堂の鐘楼。全て見憶えがある。

 いつの時代だろう。アンドレア・パンサはあるだろうか。ここへ来たら、あの店のデリツィア・アル・リモーネを食べたくなる。すぐに、確かめに行かなければならない。

こんにちはブォン・ジョルノ、シニョリーナ、一人? よかったらそこのカフェで一緒にカプチーノでもどう?」

 見知らぬ男が声をかけてきた。身なりは悪くない。イタリア人とは思えないから、旅行者だろう。だが、競争者コンクルサントとも思えない。目に、特有の光が宿っていない。

 私に声をかける役目を与えられた、シナリオ上の登場人物に過ぎない。たとえキー・パーソンクリュチョヴァ・リュディナだったとしても、デリツィア・アル・リモーネの一欠片よりも価値がない。

「いいえ、恋人がいるわ」

「どこにいるの? 僕には君一人しか見えないよ」

菓子屋パスティツェリアで待ち合わせしているの。今はあの山の上にいるわ」

「どこの? えっ、うわっ……」

 可哀想。山を見上げたときに、バランスを崩して、防波堤の下に落ちてしまった。もしかしたら、私が接触してしまったからかもしれない。構わず、アンドレア・パンサへ急ごう。

 防波堤から海岸前の広場に出ると、見知らぬ男が声をかけてきた。

失礼ミ・スクージ、シニョリーナ、今何時ですか?」

「時計は持ってないの。他の人に訊いて」

「そうですか、それはちょうどよかった、僕も持ってないんです。一緒に時計を買いに行きませんか?」

「必要ないわ。太陽を見れば時刻が判るから。他の人と買いに行って」

 デリツィア・アル・リモーネを、いくつ食べようか。12個で満足できるだろうか。15個にしておいた方がいいだろうか。それとも……

 道路を渡ると、見知らぬ男が声をかけてきた。

「チャオ、美しい人ベッラ、海がお好きですか?」

「ええ、好きよ」

「ああ、なんて幸運だ! 実は僕も海が大好きなんです。二人でこの海をもっと楽しみましょう。きっといい思い出ができますよ」

「そんなにお好きなら、この海の水を全部飲み干しても構わないわ。私は別の海を見に行くから」

 飲み物は何がいいだろう。やはり、カフェ・コン・パンナだろうか。あるいはラッテ・マッキアート。一度くらいは、全てのコーヒーを飲んでみるのもいいかもしれない。何種類あったのか、憶えていない。10種類くらいだったろうか?

「チャオ、シニョリーナ、旅行中? 今夜のディナーチェーナの相手に立候補してもいいかい?」

「開票したら、あなたは落選だったわ」

 今日の昼食はどこで食べようか。

 その前に、ソレントへ行かなくては。プラザ・ホテルで、デリツィア・アル・リモーネを食べなければならない。やはり発祥地の味を楽しみたい。昼食はその後で考えよう。

 夕食は、ナポリがいいだろう。インサラータ・カプレーゼ・アランチーニ、アクア・パッツァ、カルツォーネ、リングイネ・アッロ・スコーリオ、リゾット・アッラ・ペスカトーラ、ピッツァ・マリナーラ、そしてデザートにはパスティエラ……

美しい人ベッラ! あなたですね、天国から降りてきた天使は! 天国が大騒ぎになっていますよ!」

「天使長からスフォリアテッラを買ってくるように言われたの。すぐに帰らないと。あなたはまだ天国へ行くのは早過ぎるから、付いて来なくていいわ」

 そうだ、スフォリアテッラも食べなければならない。どこで食べよう。やはり、ピンタウロだろうか。早めに予約しておいた方がいいだろう。

 アンドレア・パンサ、あった、よかった。憶えているとおりのたたずまいだった。

こんにちはブォン・ジョルノいらっしゃいませベンベヴェヌート、シニョリーナ、お一人ですか?」

「ええ、中で食べるわ」

「すぐにお座りいただけますよ。こちらへ」

「ありがとう」

「メニューをどうぞ」

「デリツィア・アル・リモーネを12個、それからカフェ・コン・パンナ」

「おやおや! お一人でお越しではなかったので?」

「いいえ、一人よ」

「では、デリツィアを12個も、どうなさるのです?」

「心配ないわ。全部食べるから」



 下り口を探して、山の反対側まで来てしまった。さっきの絶景ポイントは山の頂上ではなく、山頂から少し南側に張り出した崖の先端だったのだ。大した違いではないけれど。

 山頂までは上がらなかったが、その下のでこぼこ道を400ヤードほど歩き、北側を見晴らせるところまで出たと思ったら、そこからは崖に刻み込んだような狭い階段が待っていた。

 手すりがないので、風が強かったら這って降りるしかなかっただろう。それを降りて集落にたどり着いたのだが、それでもまだ高台の上だった。また4分の1も降りていない。

 家の間の細い小道を通って、細い階段を通って、下へ下へ。見たところ、道路は通っているようだが、きっと延々と遠回りして下に降りて行くに違いない。自転車でもあればそれを下って楽々降りていくところだが、あいにく徒歩だ。石の階段を延々と降りるしかない。

 前回はU字の谷だったが、ここはV字の谷だ。地質的にはおそらく石灰岩で、谷のあるところは何らかの理由で浸食が急激に進んだのに違いない。

 それを検証するための暇も資料もないが。階段の途中で見上げると、あんなところから降りてきたのかと思うほど、岩山が高い。

 ようやく、谷の底と思われる広い道に出てきたときには、1時間経っていた。

 だが、これでまだ降りきったわけではない。この辺りには民家しかないようなので、町の情報を手に入れるには海岸に近いところまで行かねばならない。そこなら、観光案内所かホテルがあるだろう。

 緩やかな坂を下っていく。古びた建物が多い。石造りのアーチを持つ家もある。もしかしたらホテルかと思われるような建物があったが、今はまだ入らないでおく。

 5分ほど歩くと、道がアスファルトから石畳になって、大きな建物が増えてきた。商店もある。ただし、道は狭くて、車がすれ違うのがやっとの幅だ。

 道の両側に、壁のように建物が建て込んできた。時々、上をまたぐような建物がある。

 人が増えて、賑やかになってきた。戸口の前に商品を並べている店がある。土産物屋だろう。道が少し広くなったところには、オープン・テラスのレストランがある。

 店の名前などを見ていると、どうもイタリア語のように思われる。"GELATO ITALIANO"など。ただし、その前に"HOME MADE"などという英語が書かれていたりするから油断ならない。

 ひときわ広い場所に出てきた。左手に、大きな階段と、立派なアーチ造りの入口を持つ建物が見える。おそらくはこれが、展望台から見えていた聖堂だろう。名前は判らない。

 周りの建物を見ると、"RISTORANTE"だの"BANCO"だの"HOTEL CENTRALE"だの"PASTICCERIA"だのという単語が見えるから、やはりここはイタリアだろう。

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