#12:第1日 (2) アマルフィの風景

 さて、せっかく中央セントラーレと名のつくホテルの前にいるのだから、ちょっと様子を見てみることにする。入口は広場の側ではなく、裏手にあった。

 中へ入り、フロントレセプションへ行く。受付係デスク・クラークが、愛想がいいとも悪いともつかない表情で立っていた。

「この辺りに観光案内所はある?」

「この辺りにはございませんね」

「じゃあ、地図は置いてるか」

「観光地図でよろしいので?」

「そう」

「お泊まりでないお客様には有料でお分けしております」

「いいよ、いくら?」

「5リラでございます」

 早速、財布の中を見る機会ができた。前回と違って、無数の札が詰め込まれている。その中から、5リラ紙幣と1リラ紙幣を1枚ずつ出して、受付係の前に置く。係が、ちょっと愛想のいい顔になって札を受け取り、地図を差し出してきた。

 リーフレット並みの、二つ折りにした、まさに観光の用の地図だった。道がかなりデフォルメされている。開いて、「今いる場所は?」と訊く。係が黙って一点を指差す。残念ながら"HOTEL CENTRALE"は描かれていないが、大聖堂の場所だった。

 狭い町だと思っていたが、この谷だけではなく、海岸線に沿って東西に延びており、今いるところは町の東の端に近いということが判った。

「ところで、今夜の部屋は空いてる?」

「あいにく本日は満室でして」

 予想どおりの答えが返ってきたので、礼を言ってホテルを出た。そして大聖堂の前の広場に戻る。

 地図には、ホテルがひたすらたくさん描かれているが、観光する場所はほとんど描かれていない。そういうのが実際少ないのだろうし、おそらくは町に滞在すること自体を楽しむリゾート地であろうという気がする。

 その肝心な町の名前は"AMALFI"、アマルフィ。聞いたことがあるような気もするが、どういうところかは憶えていない。ローマより北か南かも判らない。

 とにかく、まずはこの町の中を探ろう。目の前にある聖堂が最大の見所であるはずなので、そこへ入る。

 正式名称は“聖アンデレ大聖堂カッテドラーレ・ディ・サンタンドレーア”。通称はアマルフィ大聖堂。大聖堂広場ピアッツァ・ドゥオーモ――今いる広場の名前――から60段ほどの大階段を登って入る。

 階段の下の方に座って菓子を食べている観光客もいる。たぶん、すぐそこにある菓子屋で買ってきたのだろう。

 登ると鉄の扉があって、その上に男の上半身が描かれているが、これがたぶん聖アンデレ。しかし、扉は閉まっていて、入口は左の方。ここで料金を払う。

 地図には値段は書いていなかったが、やはり有料か。大聖堂、天国の回廊、地下聖堂、博物館に全て入れて10リラ。

 チケットに日付が書かれていて、2038年6月24日。曜日は不明。むむ、2038年って、前のステージの次の年じゃないか? 続きのイヴェントでもあるのだろうか。そんなことはないか。

 大聖堂を見に来たのに、まずは天国の回廊キオストロ・デル・パラディソに入る。白い支柱がたくさん建ち並び、中庭に南国の植物が生えている。支柱はイスラム様式だそうだ。

 そういう建物はどこかで見たことがある。確か、トレドだったんじゃないかな。感じはだいぶ違うけれども。

 ここは10世紀に建てられてから何度も改修を重ねた結果、ロマネスク、バロック、ロココ、ゴシックなど様々な時代の様式が混在しているとのこと。

 続いて博物館。というよりは、宝物庫。やはりというか、聖遺物箱レリクエリー。それに、礼拝に使われる司教の胸飾り、冠、道具など。

 胸飾りは宝石が付いているというので注意して見たが、レモンの宝石ジュエルといえるような物ではなかった。

 それから地下聖堂クリプタ。聖アンデレの遺骸を納めたという棺が展示されている。それよりも見所は天井のフレスコ画。アーチ型の天井に、“最後の晩餐”や“キリストの受難”などが描かれている。

 周りの観光客がため息をつきながら絵に見入っている。絵心が足りない俺にはこれらの絵の価値がよく判らない。

 そしてようやく大聖堂。18世紀に改築されたバロック様式で、白を基調にして、柱や天井の細かい装飾に、金色が使われている。豪華と言うよりは、無闇に贅沢すぎるという気がしないでもない。

 祭壇には聖アンデレの胸像。アマルフィの守護聖人なのでここに祀られているとのこと。

 さて、一通り見終わったが、ヒントになるような物があったかというと、たぶんなかっただろうという気がする。

 次はどこへ行こうか。紙の博物館、ムリーニ谷博物館、そしてレモン体験所? 最後のはなんだかよく判らないが、ターゲットが“レモンの宝石ジュエル”なので見に行ってもいいだろう。

 紙の博物館は大聖堂から徒歩7分。ちょうど俺が山から階段を下りきった場所の、すぐ近くにあった。

 普通の民家のような建物だが、料金は10リラ。断崖絶壁に囲まれて、農地がなかったことから、紙漉きが産業になっていたらしい。

 紙漉きの道具が多数展示されていて、漉き体験もできる。時間があればやってみるところだが、今日はやらない。

 すぐに出て、1分ほど北に歩くとムリーニ谷博物館ムセオ・ラ・ヴェッレ・デイ・ムリーニムリーニ谷ヴェッレ・デイ・ムリーニはこの辺りの谷の名前であるらしい。昔の生活道具などが展示されていた。さして面白い場所でもない。

 そして徒歩1分でレモン体験所。レモンは断崖のような急斜面でも栽培できることから、アマルフィの特産物だそうで、レモンを使ったリキュールや菓子、さらにはパスタ、リゾット、サラダにも使われるらしい。

 体験所ではレモンの木が生えている断崖を階段で登って、収穫の真似事までさせてくれた。最後にレモン・ジュースが1杯付いてくる。飲むと十分な甘みが感じられるが、これは皮に含まれている甘みだそうだ。

 これでアマルフィの見所は全て見終わってしまったのだが、まだ12時にもならない。町自体はずっと西の方にも広がっているが、そちらには地図に観光地が描かれていないのだ。

 さらに西へ行った、コンカ・デイ・マリーニという町には“エメラルドの洞窟”というのがあるのだが、もしアマルフィの町から出られないのであれば、そこへは行けないことになる。

 コンカ・デイ・マリーニへは2マイル半ほどあるのに対して、東隣のアトラーニの町へはわずか500ヤードほど。町境を突破できるかどうかを確かめるには、都合のいい距離と言える。だから、そこへ歩いて行こうと思うが、ひとまず海岸へ出てみる。

 既に1往復したロレンツォ・ダマルディ通りをもう一度歩き、大聖堂の前を通って、海岸通りへ出た。

 正面に大きなバス・ターミナルがあり、近くの駐車場はバスのたまり場になっている。

 岸から海へ向けて防波堤が2本。西側のはフェリー乗り場。フェリーは東はサレルノ、西はカプリ島を結んでいるらしい。

 防波堤の東側には、作ったような砂浜。6月の末だが、既に海岸は人で賑わっていた。

 波と戯れる人々を見ながら、海岸通りを東へ歩く。道路が崖に突き当たって南へ曲がるとともに砂浜が尽き、海へ張り出した崖に沿うように道が続いている。崖ではあるが、家が上へ向かって建ち並んでいる。この町の人たちはきっと脚が強いだろう。

 崖は海へ沈み込んで岬を作り、その岬の突端にあるレストランを見ながら直角に曲がる。道は狭く、歩道はあってなきがごとしなのだが、俺と同じように歩いている人もいる。

 道の先には、対面通行もできないような狭いトンネルがあるが、やはりそこを歩いて通り抜けようとする人がいる。そしてアマルフィとアトラーニの町境は、このトンネルの真ん中にある。

 見えない壁にいつぶち当たるか、とひやひやしながら歩いていたのだが、難なく通り抜けることができた。アトラーニの町にも砂浜はあったが、バス・ターミナルはなかった。

 さて、そうなると、気になるのはこのステージの可動域がどれくらいあるのかだが、アマルフィの方へ戻りながら考えてみることにする。

 バス・ターミナルがあるということは、この海岸沿いの町を結ぶ路線バスが走っているのだろう。西のコンカ・デイ・マリーニへ行くのに、バスに乗れるかもしれない。

 今までの経験では、バスに乗れないときは、バス停に寄りつくことすらできなかった。つまり、バス停に行ければ、バスに乗れる。前回だって難なくバスに乗ったからな。

 そこで、アマルフィのバス停だが、ターミナルの西側まで行くと、ツーリスト・オフィスがあった。

 何だ、あるじゃないか。あのホテルの受付係、なぜこれを教えてくれなかったんだ。それとも俺の訊き方が悪かったのか。

 とにかく、そこへ入り、バスの時刻表と、広域の地図をもらうことができた。地図を見て、イタリアのどの辺りにいるのかがようやく判った。ローマよりもずっと南、ナポリのさらに南の、西へ向かって突き出したソレント半島の南側だ。

 半島を東へ行くとサレルノ、西へ行くとソレント。バスは両側からやってくるが、いずれもアマルフィを終点として折り返していて、1時間に1、2本は走っているという便利さだった。

 また、サレルノへ行くのならフェリーを使うこともできる。これは乗ってみるしかないだろう、という気がする。

 で、サレルノとソレント、どちらへ行くか。どちらの方が大きい町なのか。サレルノは中世から医学で有名な大学があり、ソレントは港町、というくらいのことは憶えている。

 そうすると、おそらくサレルノの方が大きい町だろう、と推察できる。だから、サレルノへ行くことにしよう。

 その前に、昼食を摂っておいた方がいいだろう。既に昼を過ぎていて、どこのレストランも混んでいそうな気がする。しかしイタリアなのだから、食べ物はきっとうまいに決まっている。

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