#11:第7日 (8) 山頂の風景

 スヴェルノセ・ピークから30分でケイルハウス・ピークに到達、そこから30分でようやく山頂に到達。1時10分を過ぎていた。4時間40分以上かかったわけだ。

 やはり登山は慣れてないと途中からペースが落ちるな。脚に専用の筋肉が必要だ。

 斜面には岩の欠片がごろごろしていて、それが雪で隠されているから歩きにくくて仕方なかった。

 レスト・ハウスは山頂から少し南側に降りた斜面の出っ張りに建っており、メムルブなどの山小屋の近くにあったような、石積みの小屋だった。

 ただし、石積みは土台と北側の壁だけで、南側は木造の立派な小屋に造り替えてあり、大きなガラス窓もはまっている。レスト・ハウス兼展望台というところか。

 足下の雪に、足跡が増えた。途中までは二組しか足跡がなかったが、レスト・ハウスの周囲は至るところ足跡だらけだ。他にも登ってきた連中がいると思われる。

 もちろん、スピテルストゥレンからではなくて、北側のユーヴァスヒッタからだろう。ユーヴァスヒッタ自体が高いところにあり、山頂との高度差は2000フィートくらい、所用は3時間ほど。ただし、途中に氷河を横断するところがある。

 とにかく、そちらから大挙して登ってきたようだ。しかし、どこにも人の姿はない。もう下山したのだろうか。もちろん、マルーシャもエルラン教授もいない。

 彼らのゲートがレスト・ハウスということはないだろう。ターゲット獲得者とその次点の競争者コンテスタントには別のゲートがあるはずだ。

 下山したのだとしたら、ユーヴァスヒッタ側に降りたと思われる。つまり、ゲートがそちらにあるのだということ。他の登山客に紛れて降りたのだろうか。

 しかし、ターゲットの奪い合いが発生するはずで、二人で仲良くというわけにもいかないだろう。

 そもそも、ターゲットはどちらか獲得したのか。そして、ターゲットはどこにあったのか? 林檎の木が立っているわけでもないので、とりあえずレスト・ハウスに入ってみることにする。

 東側にドアがある。錠は下りていなかった。今回はピックを持っていないので助かる。しかし、季節外れオフ・シーズンなので本来は閉めておくべきだろう。誰かが開けたのに違いない。マルーシャか、エルラン教授か。開けているところを他の客に気付かれなかったのだろうか。

 それはそれとして、中に入ると、カウンター、簡易キッチンキチネット、土産物売り場と思われる棚、そして窓際にテーブルと椅子。簡易キッチンキチネットがあるからには、何か飲食物を売ることがあるのだろう。まさしくレスト・ハウスだな。

 さて、ターゲットである“黄金の林檎”はここにあったのだろうか。棚を物色した形跡はない。もっとも、目指す物の在り処を最初から知っていたのなら、物色する必要もないから形跡は残らない。

 そもそも、土産物売り場にターゲットが置かれているなんてのが信じられない。それなりの貴重品であるはずだからだ。

 ここで、憶えてきた神話の内容を役立てなければならないだろう。例えば、女神イドゥンは林檎をトネリコの箱に入れていた。箱なんてあるか? それとも、このレスト・ハウス自体が箱だという考え方があるな。木材はトネリコ? いや、ノルウェイの木材ノーウィージャン・ウッドといえば松だろ。

 いやいや、そうじゃない。ここをイドゥンの住み処と考えるよりは、巨人スィアチの宮殿の一室と考える方が適当だろう。つまり、山その物が宮殿で、ここはイドゥンを閉じ込めていた部屋だ。ちょっと苦しいか? まあ、いい。

 さて、ここにイドゥンが閉じ込められていた。何のことか。女が男に連れて来られて、ここに置いて行かれた? ひどい男だな。

 あるいは、昨日の悪天候の中を、無謀な一団が登山を企てた。その中に女がいた。天気が悪いため、下山中に他の連中とはぐれてしまった。探すためにあちこちうろつくのは逆に危険だから、このレスト・ハウスに避難した。そして今朝、救助隊がやって来て彼女を連れて行った。

 レスト・ハウスのドアの錠が開いてて偶然避難できたってのが不自然かなあ。いざというときの避難小屋にもなるから、実は常に開いてるってことも考えられる。でも、商品が置いてあるし。ただ、持ち逃げするのは難しいだろうけど。

 他にもストーリーが考えられるかもしれないが、「ここに女がいた。その女がターゲットである“黄金の林檎”を持っていた」ということでいいのかな? そして、それを奪うことが使命ミッションであったと。

 奪っていい理由が要るな。盗品だったとか? そういえば、この辺りに車泥棒の一味が来てたんだっけ。だったら、登山客の貴重品を奪うような泥棒が来ていても不思議じゃないよな。

 じゃあ、泥棒がここに立てこもっていた? それならユーヴァスヒッタからスピテルストゥレンにも情報が回って、俺がここに登ろうとしたときにモードが教えてくれるだろう。

 とにかく、ターゲットはもはやここにはない。決めなければならないのは、これからそれを奪いに行くかどうかだ。俺が獲得したのを奪われたわけではないから、このまま素直に負けを認めて退出してもいい。今まではそうしてきた。しかし……

 しかし、どうもこの後の展開が気になる。今までは負けた時でも、誰がターゲットを獲得したのか知っていた。いや、負けた3回のうちの2回はマルーシャで、あとの1回は前のステージのあの痴女なんだけれども、とにかく知っていた。だから、今回も知っておいた方がいいという気がする。知っておかねばならない。

 正直、あのマルーシャが負けたのかどうかが気になる。何しろ、彼女は手段を選ばない。そして、エルラン教授も彼女のやり口を知っているらしい。おそらくは俺の想像を絶するような駆け引きがある、いや、あったのではないか? とっくに勝負が終わって、二人とも既に退出してしまっているかもしれないけれども。

 ともあれ、退出までの制限時間はあと22時間以上もある。二人がどこへ行ったかを確かめるくらいはできるだろう。

 レスト・ハウスを出た。風が出てきたようだ。いつの間にか、西の空に黒い雲が大きく広がっている。まさか、これから天気が崩れる? もっと遅い時間からじゃなかったのか。

 二人がどこへ行ったかなんて放っておいて、さっさと退出した方がいいのかもしれない。モードだって、勇気ある撤退を、と言っていたからな。

 しかし、やはり確かめに行こう。まずは足跡をたどることから。これがシャーロック・ホームズなら足跡を見て、どこを誰が歩き回ったか、などと推理できるのだが、俺にできることといえば、大勢の足跡が向かっている方向を探すくらいだ。

 山頂へ行った足跡はほとんどなくて、他はレスト・ハウスの近くに固まっている。登ってきた足跡はほぼ全部踏みつぶされて、それがどこかへ収束して、下りへ向かう一本の道になっているところがあるはずだ。俺が上がってきた道の少し北側にあるのが、そのようだ。

 地図を確認する。やはりユーヴァスヒッタへ降りる道だった。しかし、そちらは途中に氷河がある。氷河を渡るには、それなりの装備が必要だろうし、クレヴァスに落っこちないように気を付けなければならない。

 ただ、氷河の手前までなら大丈夫だろう、と考え、足跡をたどって歩き出す。何人分の足跡かは判らないが、薄く積もった新雪が踏みつぶされて山肌が露出しているので、幾分歩きやすい。

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