#11:第7日 (6) ハンサム・レディーの頼み

「そろそろ1時間経った。私はこの辺りまでにして、下山することにしよう」

 ずっと急な勾配を登り続け、少し傾斜が緩やかになったかな、と思ったところで、前を行くカーヤが立ち止まり、振り返って俺に告げた。ずっと彼女の尻を見ながら登り続け、やはり女は尻だな、と今さらながら認識を新たにした1時間だった。

「じゃあ少し、休憩しよう」

「ああ。向こうを見ろ、素晴らしい景色だろう?」

 言われて振り返りつつ、少し登ってカーヤの横に並びかける。東の山々が、すっかり昇りきった朝日に照らされて輝いている。

 雪をかぶっているところもたくさん見える。遥か下の谷底に、スピテルストゥレンの山小屋とヴィサ川が見えてる。

 山の上から降りてきた、冷たい風が吹き抜けていく。立ち止まると、寒いくらいだ。あれがグリッテルティンドだ、と指差しながらカーヤが景色を教えてくれる。その横顔は、男としても見習いたいほどのハンサムさだ。

「こんなところまで付き合わせて済まなかった」

「気にするな。私のわがままでもあるんだ。ガール・スカウトたちと少しの間離れて、のびのびと身体を動かしてみたいと思っていたからな」

 水筒を取り出して水を飲む。それから、この先のルートについてカーヤに概要を教えてもらう。

 しばらくは緩やかな登りだが、半マイルほど――彼女が言うメートル法の距離を換算しながら聞く――行くとまた急坂になり、そこからまた半マイルで、かなり緩やかな坂が続くようになる。その辺りからはおそらく雪がある。

 また急坂になって、それを登り切るとスヴェルノセ・ピーク。そこからケイルハウス・ピークを経由し、山頂に至る。

「お前、登山はほどんどしたことがないと言っていたが、私のペースによく付いて来られたな。これなら4時間で登り切ることも可能だぞ」

 そりゃ、目の前にいい尻がずっとあったから、それに釣られて足を進めてこられたんだよ。

「解った。このペースを保つことにしよう」

「では、これでお別れだ。気を付けて登ってくれ」

「ありがとう」

「最後に、一つだけ、いいか」

「何だ?」

 カーヤは耳元に汗を掻いていて、髪が少し湿っていた。端正な顔をバラ色に染めている。

「こんなことを私が頼むと、変に思われるかもしれないが」

「何でもどうぞ」

「軽く、でいい。キスを……してくれないか」

「もちろんだ」

 あまり気を持たせることなく、顔を覆い被せて一息に唇を奪う。カーヤの方が驚いているくらいだった。もちろん、抵抗もしない。それどころか、彼女の肩の力が抜けていくのが解るので、背中に腕を回して身体を支えてやらないといけなかった。

 考えてみれば、この仮想世界に来て俺の方から積極的にキスをしたのは彼女とメグくらいだ。他はみんな仕方なく……と言っては相手の女たちに失礼かもしれないが、しつこく催促されたからキスせざるを得なかったんだ。

 なぜ、カーヤに対してこんな気持ちになったのかは、俺自身もよく解らない。たぶん、彼女の潔さを気に入って、このまま別れると何も記念にするものがない、と感じたからか。印象に残るキー・パーソンからは、何かしら記念の品を受け取っているからな。

 しばらくして、カーヤが手で俺の胸を押した。もういい、という合図だろう。

「済まなかった。これから恋人に会いに行く男に、キスなどせがんでしまって……」

「恋人の件は誤解だ。何度でも言うがね」

「いや、いいんだ、お前自身は気付いていないのだろうが、お前には彼女が似合いだよ。そして彼女にもお前が似合いだ。だが、私はどうしても我慢できなかった。お前とは一晩しか話をしていないのに、こんな気持ちになるなど、自分でも信じられないのだが……」

 それは催眠術のせいだよ。申し訳ないな。まだ唇が触れあいそうな距離で、カーヤがなまめかしいため息をついて、言葉を続ける。

「部屋に戻ってから、寝ようとして目を閉じると、お前の顔が目蓋の裏に浮かんでくるんだ。声も耳元で聞こえてくる。そのまま何時間も、眠れなかった。寝不足になったのはそのせいだ。動揺したよ。どうしてこんな切ない気持ちになるのだろうと……だが、お前と朝食の約束をしているのを思い出して、ようやく気持ちを切り替えて眠れたんだ。4時か、5時頃だったがな。化粧が少し濃くなったのも、お前に女として見てもらいたいという気持ちがあったからかもしれない。お前がこの山に登りたいと言ったときも、もう1時間だけでも、二人きりになれる時間があればと思うと、つい口が……だが、もういい。満足したよ。これ以上抱かれていると、別れがつらくなるから、もう離してくれ」

 背中に回していた腕をほどき、カーヤの身体を離す。カーヤの顔は以前と同じ“ハンサム”な表情に戻っていたが、唇の端に、女らしい笑みの余韻が残っていた。

「では、これで本当にお別れだ、ドクトル・ナイト」

「アーティーと呼んで欲しかったな」

「では、次の機会からそう呼ぶことにしよう。その時は、お前も私のことをカーヤと呼んでいいぞ」

「また会おう、カーヤ」

「今はダメだ! 今は、まだ……」

 くすぐったそうな顔で微笑むカーヤと別れ、再び山頂への途についた。

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