#11:第6日 (2) 曙の早き光に

 時計を見た。7時。昨夜は11時に寝たのに、どうしてこんな時間まで寝てたんだろう。やはり身体が疲れていたのだろうか。真っ暗だが、とりあえず起きる。二段ベッドの下段に寝ているので、頭上に注意する。

 手探りでテーブルに近付き、その上にある電灯を点けて、一番暗くなるように調節する。目の前にはオルゴールミュージック・ボックス。昨夜、何回聴いたか憶えてない。とにかく、メロディーは耳の中に残っている。

 ただし、いったん止まるところがそのまま再現されるようになっている。一度くらいは止まらない曲を聴きたいものだ。

 頭をはっきりさせるために、顔を洗う。洗面器に注いだ水はどこへ捨てようか。後で考えよう。少し腹が減っているが、暗い中で摂る朝食はわびしいので、夜が明けてから摂ることにして、水で我慢する。

 さて、音楽。もはや聴くまでもないほど鮮明に憶えているのだが、この曲はいったい何であるか。寝てる間に天啓レヴェレイションでも降りてくるかと期待していたが、それはなかった。

 短い曲なので、聖歌とも思えるが、クラシックの一部という可能性もある。グリーグの『ヘンリク・ヴェルゲラン』も短かった。そういう曲なら歌詞があるわけで、その歌詞の中にヒントがあるかも、と考えられる。レイルヴァスブの場合は歌詞に意味はなかったが、逆にここでは歌詞に意味があるのかもしれない。

 ともあれ、曲名や作曲者、歌詞があるなら作詞者まで調べたいのだけれども、それにはどうしたらいいか、ということになる。結局、昨夜寝る前の状態に戻った。

 小屋の中の空気が重い感じがするので、外に出てみる。ドアを開けたらいきなり冷気が入り込んできた。いつの間にこんなに寒くなったんだ。

 防寒着を羽織って、外に出る。風がある。冬のような冷たさだ。西から吹いてくる風が、こんなに冷たいとは。空は真っ暗で、星も見えない。昨日の続きで、曇っているのだろう。

 天気が悪いのはあまりよろしくない。ここからは、どこに行くにせよ長距離だからだ。一番近いのは真西にあるラウベルグストゥレンで、8マイルほど。昨日よりは短いが、最後に山登りがある。それ以外のところはいずれも10マイル以上だ。

 できれば10時までには出発したい。雨なんか降ったら時間がかかるので、もっと前に出なければならないだろう。

 防寒着の中が冷えてきた。しかし、フットボールのゲームではこれくらいの気温の方が動きやすい。もっと寒くなると手がかじかんで、パスのコントロールに支障が出る。そういえばもう長い間ボールを投げていない。肩の感覚が狂っていなければいいが。

 谷の底を見る。どんなに目を凝らしても真っ暗だ。灯り一つ見えない。山の上を見る。星こそ見えないものの、雲が広がっているのが判る。錯覚ではないと思う。

 空が、明けそうな色をしている。ああ、君よまさに見ゆるかオー・セイ・キャン・ユー・シー曙の早き光にバイ・ザ・ドーンズ・アーリー・ライト。そういえばこの小屋には国旗が立ってないな。他の山小屋にはあったのに。避難小屋だから仕方ないか。代わりに……代わりに?

 小屋の中に戻る。電灯を明るくして、オルゴールミュージック・ボックスの箱を上下左右から改めてじっくり見直す。それから、懐中電灯フラッシュ・ライトを持って外に出て、斜面を登る。30ヤード上、通信が可能なところまで来た。

「ヘイ・ビッティー!」

 こんなタイミングでビッティーを呼び出すのはもったいないが、気がはやっているので仕方ない。明るくなりかけた空が、真っ暗に変わっていく。

「ステージを中断します。裁定者アービターがアーティー・ナイトに応答中です」

「オーケストラのチューニングに使う“”の音を聞かせてくれ」

 音が聞こえてきた。チューニングだからって、わざわざオーボエの音を聴かせてくれるんだな。ずっと鳴り続けている。頭の中で、音の高さを憶え込む。

「よし、次は、同じ音を、四分音符と四分休符で繰り返してくれ」

「速度は何にしますか?」

 そうか、音の長さには速度がつきものだった。頭の中にある曲を再生する。指揮を執る時のように指を動かしてみたが、この速さでと言ってもビッティーには通じないだろう。口ずさんでも同じだ。速度記号……

「モデラート」

「では、90BPMとします」

 1分間に90ビートの速度。鳴って、休み、鳴って、休み、鳴って、休み。指を動かして覚え、頭の中でも長さを覚え込む。よし、憶えた、憶えた、憶えた。

「ありがとう、ビッティー」

「ステージを再開します」

 黒幕が上がるのを待つのももどかしく、斜面を下りる。歩く速度を、先ほどのビートの長さに合わせる。かなり早いので、時々滑り落ちそうになるが、そのたびに頭の中にあるリズムで補正する。

 ようやく小屋に着いて、中に駆け込む。テーブルの上のオルゴールミュージック・ボックスを持ち上げ、裏のねじを巻く。蓋を開け、また引っかかっているので、ねじを少し進める。

 音楽が鳴り出すが、意図的に聴かないようにする。曲が終わっても、30秒ほど進むまでは聴かない。30秒でいったん止め、頭の中で先ほど憶えた音とビートを再生する。

 メトロノームがあれば便利だったが、そんなものはない。水を入れたグラスを叩けば音が再現できるかもしれないが、水を増やしたり減らしたりして調律している間に元の音を忘れてしまいそうだ。だから自分の頭の再生能力に頼る。

 絶対音感なんて必要ない。相対音感で十分だ。

 蓋を開けて曲を鳴らす。10秒で止まる。高い音だ。。あれ、おかしいな、でもでもない。“#”か?

 確認のため、もう一度聴く。もちろん、関係ないところは聴かない。10秒前からまた聴く。止まった。。やはりの間、“#”だ。念のため、もう一度聴く。。OK、間違いなく“#”だ。

 次は長さ。止まっているから、正しい長さが判らない。しかし、前後をよく聴いてリズムをつなぎ合わせれば、正しい長さは判るはずだ。ねじを巻き直す。吹鳴開始。

 憶えている速度と少し違うが、大差ない。要は、4分の4拍子の正しいリズムを再現すればいいんだ。

 今度は曲の頭からリズムを取る。40秒後に止まる。4拍子の、3拍目で止まったようだ。再開する。確かに、次の音は4拍目から始まっているように聞こえる。もう一度聴く。止まる。間違いない。3拍目。

 ということは、この音は四分音符。“#”の四分音符。四分音符は“4”ということにしていいだろう。全音符なら1、二分音符なら2、八分音符なら8。付点四分音符なら6だろう。まあ、そんなことはもうどうでもいい。

 答えは出た。"d4"だ。

 地図を取り出す。d4にある山小屋は? ない。まさか。ありえない。音を聞き間違えただろうか。

 もう一度聴く。間違いない、“#”だ。長さも4分音符。4分音符を4としたのが間違いだろうか。

 dのファイルにあるのはd2のオラヴスブとd3のレイルヴァスブ。どちらも遠い。レイルヴァスブですら、今すぐに出て夜に着くかどうか。どこかで車を捕まえれば行けるだろうが、2日前のところに逆戻りというのは納得いかない。

 あの時、歌詞のとおりにもう一晩泊まっていればよかったのか? どうもそういう気がしない。おかしい、どうしてもおかしい。

 待て、違う、そうじゃない。

 もう一度聴く。止まって、再び鳴り始めたときの音は? 一つ上がった。“”だ。そうだ、止まってからの、が、次の場所のヒントだ。もちろんそうに違いない。迂闊だった。だから、"e4"だ。

 再び地図を見る。スピテルストゥレン。ボナンザか。初めて自力で謎を解いたな。しかも夜明け前に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る