#11:第5日 (3) 注文付きの朝食会

「本を借りた人に返すから、持って行って」

 カタリナに言われ、本を持ってコテージを出た。外は東の空がようやく明るくなりかけたところだ。薄暗く灯された光の中を、ガール・スカウトたちが歩いている。俺とカタリナが同じ部屋から出てきたのに気付いた女もいたに違いない。こういうときは堂々としていればいいのだろうか。

「昨日は夕食の後、コテージを五つ回ったのよ。2時間ずつくらい。みんな熱心に議論に参加してくれて、とても有意義だったわ」

「何を議論したんだ」

「もちろん、自立についてよ」

「例えば?」

「非常事態の時は冷静に行動し、何事も躊躇すべきではない、とか」

 身体が冷えているのに眠りたいときは男のベッドの躊躇せず潜り込めって? もっと他の例はないのかよ。

 レストランへ着くと、入り口に近い窓際の4人掛けの席で、こっちを見て手を上げている女がいる。予想どおりキティー。しかし、隣に座っているのはレネではなかった。華々しいというか煌びやかというかそういう感じの美人で、北欧系とは少し異なる。俺もこんなところにいる間に、北欧系の顔つきが見分けられるようになったんだなあと思う。

おはようございますグッド・モーニング、先生、ドクター! こちらへどうぞ」

 隣のど派手な美人が艶然とした笑みを浮かべながら席を立つ。キティーも立つ。周りの席の女も立ちかけたが、カタリナが手で制する。

「おはよう、カーリ、マライア。紹介するわ。彼がドクター・アーティー・ナイト。かの有名な財団の研究員で、数理心理学の権威です。ドクター、カタリナ・ブルンとマライア・ミルズです。カタリナはノルウェイのスカウトのリーダー、マライアは合衆国のスカウトのリーダーです」

 カタリナが英語でしゃべる。この場は英語でということらしい。キティー、マライアと握手する。

 キティーは「またお目にかかれて嬉しいです!」と満面の笑み。暗に俺と前に話したことを仄めかせているのだろうが、昨日わずかに15分ほどしゃべったきりだ。

 一方、マライアは合衆国民特有の“如才ない作り笑顔”を浮かべながら、自己紹介を述べた。

「初めまして、ドクター・ナイト、マライア・ミルズです。グリニッチ、コネチカット州の出身です。ガール・スカウトには自立心とリーダーシップを養うために参加しています。その他の野外活動、スポーツをすることと見ること、それから音楽演奏や鑑賞も好きです。今回のキャンプに参加するのは応募したときからとても楽しみにしていて、参加してから様々な経験を積むことができましたが、今日、特別にあなたのお話を聞く機会が得ることができたのは、まさに至高の喜びでした。とてもわくわくしています。あなたのお話は私の人生の大きな糧となることでしょう。ドクター・ナイト、今日はよろしくお願いします」

 挨拶をちゃんと用意してやがったか。いくつかテンプレートを持ってるんだろうな。そうなるとこちらも「アーティーと呼んでくれ」で済ますわけにはいかない。面倒だが、名前と出身大学と専攻と博士論文――適当にでっち上げたが、頭の中に入ってるんだから合ってるだろう――と研究課題を挙げ、「ここには偶然立ち寄っただけだが、世界の次代を担う若き女性たちと話すことができる機会を大変光栄に感じ、有意義な時間を過ごしてもらいたいと心から願う」と言っておいた。この手の自己紹介の練習をひたすら一生懸命やっているのは、世界中でもたぶん合衆国民だけだろう。

 で、すぐに座って話を、というわけにはいかなくて、ビュッフェ形式なので自分で料理を取りに行く。作り置きされているスモークト・サーモンのオープン・サンドウィッチとスクランブルド・エッグ、野菜サラダ、オレンジ・ジュースを持ってきて、ようやく話を始める。

 当然、俺の研究内容の概要からで、昨夜キティーたちに言った素養の話は飛ばす。数理心理学とは何かを説明し、具体例をいくつか挙げる。

「何か質問は?」

 キティーとマライアが競い合うようにして質問を飛ばしてくるが、モントリオールで出た質問とよく似たものばかりだった。キティーは英語でしゃべっているのに、そこそこ難しい質問も流暢に話す。高校生ごときでいつ英語を使う機会があるのか知らないが、たいしたものだ。ところでカタリナは聞いているだけで質問しないのだろうか。

「この研究はどのような分野に対して実用になるんですか?」

 おっと、キティー、それは危険な質問だぞ。

「実用というのが何かの将来予測を意味しているのなら、それには適用できない。シミュレイションの繰り返しによる平均的な傾向を割り出しているだけだからな。ただし、長期的にパラメーターを変更することによって何らかの状況を改善していくことができるかもしれないが、まだ実用例はない」

「そうすると、ドクター・ナイト、あなたが行っている研究は何の役に立つのですか? シミュレイション環境を使用するために、シミュレイションを行っているようにも思えますが」

 なぜかマライアが引き取って質問してきた。

「そのとおりだ。今のところはシミュレイション環境が現実をどの程度再現できるかを確認しているところだ。比較的狭い範囲では再現できていると考えるがね。けど、こういう研究は面白いだろう? そうは思わないかな」

 なぜか二人から答えがない。面白さが解らないんだろうな。もちろん、俺も解っているわけではない。「そろそろ終わりの時間ですわね」とカタリナが言う。

「では、最後に私から一つ質問をよろしいですか?」

「どうぞ」

「シミュレイションにおいて、リーダーシップを取る人が多過ぎると、どういう結果になりますか? 例えば諺で『船頭多くして船山に登るトゥー・メニー・コックス・スポイル・ザ・ブロス』とありますが、そのとおりに、混乱が発生するのでしょうか?」

 どうしてそんな英語の諺を知ってるんだ。リーダーシップに関係があるからか。

「実際にやってみたことはないが、二つの結果のいずれかに収まるだろう。一つは通常と同様になる。もう一つは君が指摘したとおり混乱が発生する。前者は個人の協調性が高い場合。つまり、個人のリーダーシップがいかに高くても、状況に応じては他者の指示に適切に従う場合だ。もう一方は協調性が低い場合で、その理由は自明だろう」

「前者では通常よりもうまくいく、というようなことはありませんか?」

「結果がないので断言はできないが、そうとは限らない、と考えるね。前者では相対的にリーダーシップが低い者が作業に当たることになるが、その者の作業効率は必ずしも普通より良いとは言えないだろう」

 これがカタリナの望む答えだと思うが、どうかな。さほど満足している表情には見えないが。

「理解しました。それではそろそろ朝の集会時間でしょうから、二人ともドクターにお礼を申し上げて、集会場所へ移動して下さい」

 礼を言う二人と、立って握手をする。マライアの方は礼も長かった。

「そうだ、この本は?」

「私のです。参考になりましたでしょうか?」

 マライアのだった。

「そうだな、時間が少なくて斜め読みしかできなかったのが残念だ。君はどの部分が一番面白かったと思う?」

 他のガール・スカウトは食事を終えて移動し始めている。マライアを引き留める形になっているが、彼女は多少遅れても気にしないだろう。自分がいなければ集会も始まらないと思っているに決まってる。キティーも立ち止まっているが、マライアへの対抗意識からと思われる。

「北極圏の動物の生態を詳しく観察しているところと、犬橇で北極点を目指す判断をするところです」

 そうだろうと思った。その辺りの書き込みが多かったからな。

「何回読んだ」

「通しで読んだのは2回です。他に、面白かった部分をつまみ読みしたのが何度か」

「君も将来はどこかへ探検に行きたいと思う?」

「新しい土地はもう発見できませんし、探検のための探検では意味がないですから、科学の分野で何かを探検したいと思います」

 いちいち模範的回答を用意していると考えられるが、まあ、いいだろう。本を返すとマライアはレストランを出て行った。キティーはまだ残って何か言いたそうにしていたが、友人に声をかけられて渋々という感じで行ってしまった。

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