#11:第2日 (9) 山の夕暮れ
荷物を置いてから、二人に誘われて外のテラスに出る。改めて、ホルベルグ夫妻と挨拶をする。夫がトールで、妻はアストリッド。
トールは医者で、どう見ても40代後半で、頭が少し薄くなっている。アストリッドは弁護士で、どう見ても20代前半で、明るいブラウンの短髪で、顎が上品に尖っていて、本当は女優かモデルじゃないのかと思うほど美人でスタイルがいい。胸はさほど大きくない。マルーシャの変装かどうかを気にしているだけであって、他意はない。
椅子を移動して、5人でテーブルを囲む。二人とも、俺が合衆国から来たと聞いて驚いていた。観光客がこんな
「お仕事は何を? あら、あの有名な“財団”!? 同じ事務所の弁護士が、財団のオスロ研究所の人と契約関係の仕事をしたことがあるって言ってたと思うわ」
オスロに研究所があるなんて初めて知った。他の拠点はどこにあるかを訊かれたら、どう答えたらいいんだろうか。
それにしても、話しかけてくるのはアストリッドばかりで、ホルベルグ氏は不機嫌そうにしている。若い妻が他の男に話しかけるのはお気に召さないのかもしれない。しかし、それは仮想世界のシナリオ上の都合であって、俺のせいではないので気にしない。
で、彼女の勤める法律事務所はオスロの旧市街地にあって、弁護士は十数人いて、そのうちの半分は女性で、彼女自身は主に家事事件を専門としているそうだ。俺自身は当分世話にならないだろう。
それから、合衆国の
それにしてもアストリッドはよくしゃべる。しかし、彼女とは色々話をしておいた方がいいと思うので、それは彼女がキー・パーソンである可能性が高いからというのが主な理由だが、辛抱強く聞き手に回る。というのも、昨日はゲルハルセン氏の
よくしゃべるから楽に聞き出せると思うのはおそらく間違いで、うまく話題を振らないと関係ないことばかり聞かされてしまうだろう、という気がする。
で、その話題とは何か? 彼女の仕事のことではなくて、趣味のことではないかと思うが、あまり立ち入ったことを訊くとホルベルグ氏が機嫌を悪くするかもしれない。いや、すでにかなり悪くなっているように見える。
「ところで、もう一組の泊まり客は?」
話を逸らすついでに、マヤに訊いてみる。彼女はさっきから俺に話しかけてこないが、俺とアストリッドの話に割り込めなくても、機嫌を悪くすることはないようだ。むしろ、話を聞くのを楽しんでいるように見える。
「部屋にいると思うわよ。私も挨拶しかしてないけど。ああ、どういう人たちか言ってなかったわね。男の人が二人よ。ヘル・ハウゲンとヘル・バッケンだったかしら。オスロで公務員をしてると言ってたわ」
「身体を鍛えることが好きで、山歩きを兼ねてトレーニングに来たらしいの。部屋でもずっとトレーニングしてるから、少し大きな声や音が聞こえても気にしないでって」
マヤに続いてエマが答える。この二人は適切に交互にしゃべる。おそらくはシナリオでそうなっているからだろう。
「外には出てこないのかな」
「呼んできましょうか?」
アストリッドがそう言って腰を浮かせる。別に呼んでまで話をしようとは思わないので、呼ばなくてもいいと答えたのだが、アストリッドは「コーヒーを淹れてくるからそのついでに声をかけてみるわ」と言って行ってしまった。
彼女一人にそういうことをさせるは申し訳ないので付いていこうとしたが、「私が行くわ」「いいえ、私が」とエマとマヤが役目の取り合いを始め、さすがに二人とも行く必要はないので、結局エマが行った。
「先ほど、ヘル・ホルベルグは専門医とおっしゃってたけど、ノルウェーの医療制度ってどうなってるのかしら?」
マヤがホルベルグ氏の方を向きながら――さっきまでずっと俺の方しか見てなかったのだが――質問をした。北欧の国は福祉が充実していると聞いているが、もちろん国によって制度は違うだろうし、お互いの国の制度の違いを気にすることもあるのだろう。もちろん、これもシナリオどおりの展開なのに違いないけど。
ホルベルグ氏は、ノルウェーの医療は総合診療医と専門医に分かれていて、と説明を始めた。
「つまり国民は自分の住む地域の総合診療医を一人登録する必要があって、病気や怪我の時は、まず総合診療医のところへ行きます。そして、その勧めに従って専門医のいる病院へ行くのです。総合診療医の紹介なしに専門医のところへ行くと、全額自己負担になってしまいます」
マヤは、「スウェーデンとよく似てるけれど、総合診療医の受け持つ範囲や、自己負担の金額が違いそうですね」と感想を述べた。
合衆国でも、医療制度は北欧をモデルにしろという奴が多いが、医療に対するニーズが国によって違うのだから、他国の制度をすんなりと適用できるはずがないのであって、意見を言う奴はたいてい自分自身の自己負担が減るようなモデルを奨励するのだろうと思う。
俺の場合は、フットボールのゲーム中の怪我はチームの負担、その他の怪我はリーグの薦める医療保険。それで今のところ大きな問題はない。もっとも、それは俺がほとんど病気も怪我もしない異常なほどの健康体で、風邪をひきかけても市販の薬を飲めばすぐに治る、という便利な体質のおかげだろう。
それからホルベルグ氏が税制と医療費の関係について
「トレーニング中は、コーヒーなんかの
アストリッドがカップを配りながら言う。ストイックでいいことだ。俺ももう少し食い物や飲み物に気を付けないと、30歳まで身体が維持できなくて引退なんてことになりかねない。もっとも、食生活に気を配るほどの給料は稼げていないがな。
それからアストリッドの提案で、席を替える。アストリッドは俺の隣の席を占め、エマとマヤでホルベルグ氏を挟んだ。エマがおとなしく従ったところを見ると、コーヒーを淹れている間にアストリッドと何らかの約束をしていたらしい。
ホルベルグ氏は美女二人を横に侍らせているのに、さほど嬉しそうな顔をしていない。アストリッド以外の女は目に入らないのかもしれない。もっとも、俺もエマとマヤに囲まれていてもにやけてはいない、と思っている。自覚ではそうなのであって、他人から見たらどうかは判らない。
「アーティー、あなたもとても体格がいいけど、スポーツをしているの?」
「ああ、フットボールをね」
「フットボール? ああ、サッカーじゃなくて、アメリカンの方ね」
ここに来ない二人組がトレーニング好きというのを聞いて、アストリッドは俺の体格にも興味を持ったらしい。それからはずっとフットボールの話になった。
アストリッドもスポーツをするのか聞いてみたが、陸上競技の短距離をやっていたとのこと。練習中に怪我をしたときに病院へ担ぎ込まれて、その時にホルベルグ氏と懇意になったらしい。俺ももう少し怪我をしやすかったら、美人の女医と懇意になれたかもしれない。
それはそうと、アストリッドに陸上競技のことを聞いても、大した成績が残せなかったからと言って話してくれないし、ホルベルグ氏と結婚に至った経緯も教えてくれない。ホルベルク氏はスポーツは全くやらないらしい。
そしてアストリッドは無理矢理話をフットボールの方へ戻す。その聞き方がうまいので、つい話を続けてしまう。俺が出場したゲームは多くないので話のネタはそう多くないのだが。
「合衆国のスポーツは医療サポートが充実しているので、話を聞きたいのよ」
だから、俺はほとんど怪我をしないから医療のことをよく知らないんだって。それに聞いてくるのはゲームの話ばかりじゃないか。しかし、本当にフットボールに興味があるのかなあ。興味の対象は、実は俺の身体では? だいたい君、医者じゃなくて法律家だろうに。
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