#10:第3日 (5) 船が来た?
「なぜシェーラを洞窟に戻らせた?」
シェーラの足音が降りて行った後で、ダーニャに訊く。ただし、見張りを続けたままで。
「あなたと二人きりになりたかったからですよ」
愛嬌のある笑顔で見上げてくる。ストレートだなあ。
「ただ、あなたに愛情を感じているというわけではありません。そうではないのですが、とにかく、あなたといると、特に二人きりでいると、とても安心するのです」
さっそく催眠術にかかったのか。
「君と顔を合わせてから、まだ半日も経ってないんだけどね」
「時間の長さは関係ありません。夜の浜辺で、あなたが私に名乗った時から、そう感じているのです。あなたはシュタウフェンスハーフェンの
あの時は、マイアミ・ドルフィンズの
「しかしそれでは、二人きりでいると安心する理由にはならないな」
「そのとおりですが、私にも理由は解りません。他の人がいると、あなたが騎士として守る対象が、私一人でなくなることで、安心感が薄れるのかと考えているのですが」
そういう感覚は愛情の一種なんじゃないのかね。独占欲ってやつでさ。でも、愛情ではないと本人が否定してくれるのなら安心だ。痴女の真似はしないってことだからな。
「とりあえず、しばらくは二人きりだから、安心して見張りに専念してくれ」
「心得ています。私は南を見ましょう。キューバからの密航船が来ないとも限りませんから」
そういう船は来ても乗せてもらえないと思うけど、まあいいか。
しばらくは会話もなく、波の音と鳥の鳴き声しか聞こえなかった。鳥の数はさほど多くない。仮想世界を構成するデータ量の都合上、というわけではあるまいと思う。むしろ鳥だって、こんな絶海の孤島に飛んでくる方が大変だろう。
1時間ほどしたら、水平線の彼方に白い輝点が見えてきた。もちろん双眼鏡で見ているのだが、輪郭もよく判らない。あれを船と見るのは早計かもしれないので、5分ほど待ってみた。全く動いていないように見える。では錯覚か。
そもそもこの双眼鏡、レンズ内に目盛りがついていないので、物体が大きくなったとか小さくなったとかが、判りにくくて困る。所詮レジャー用の安物だろうから仕方ない。遭難した奴に文句を言おうにも、俺だということになっているからどうしようもない。
それでももう5分ほど根気よく見ていると、輝点がだんだん大きくなっているのではないか、という確信が持てた。
「ダーニャ、船かもしれない」
「本当ですか!? 私にも見せて下さい」
ダーニャが弾んだ声で言う。立っていた場所を替わろうとしたが、ダーニャは「そのまま、動かないで」と命令して、俺の前に立つと、背中をぴったりとくっつけてきた。その瞬間、また静電気のような衝撃が走る。声を出すのだけはようやく我慢したが、何なんだよ、これは。
ダーニャは俺の向いている方向に身体と顔を合わせ、双眼鏡に手を伸ばしてきて、それをゆっくりと自分の目の前に持って行く。確かに、この方が見ている方向がぶれないかもな。それにしても、ダーニャの身体はいい匂いがするなあ。これでさっきの衝撃さえなければ。
「この白い点ですね。なるほど、確かに船かもしれません。火を焚きますか?」
「そうした方がいいとは思うが、そんなことしなくてもこの島に来そうな気がする」
「私もそう思います。不思議ですね、何の根拠もないのに」
「いや、根拠はあるよ、かろうじてね。この島の周囲約18マイルに他に島はない。しかるに、あの船はこの島以外を行き先にする可能性は極めて低い」
「そう考えるしかなさそうですね。では、まだ火は焚かずに、もう少し様子を見ましょう」
「ところで、どうして俺にくっついたままなんだ?」
「身体が離れたがらないのです。不思議ですね。あなたが引き寄せているのではないのですか?」
「磁石じゃあるまいし」
さらに5分見る。いや、見ているのはダーニャだ。相変わらず俺にぴったりと背中をくっつけている。俺の胸とダーニャの背中の温もりが一体化した。
「船の輪郭がかなりはっきりしてきましたよ」
そう言われても、肉眼では相変わらず全く見えない。しかし、もし船が30ノットくらいの速さで近付いているのなら、あと30分、いや20分もしないうち島に着くだろう。
「船がもっと近付いてきたらどうする?」
「もちろん、助けを求めます」
「いや、その前に、合図をしないといけないだろ。やっぱり火を焚くか?」
「肉眼で見える距離まで来たら、あまり意味がありませんね。救難信号旗を揚げればいいのではないですか」
「船から持ってくるのを忘れたよ。とりあえず、白旗でも作っておくか」
ダーニャの身体を引っぺがして、東の浜に向かって急いで降りる。ダーニャには洞窟からバス・タオルを持ってくるように言い、俺は途中で手頃な長さの枯れ枝を確保する。なるべく、真っ直ぐなのを。
浜に降りたら、船が見えなくなった。高度が下がって、水平線までの距離が近くなったせいだ。だが、すぐに見えるようになるだろう。
ダーニャがバス・タオルを持って降りて来た。シェーラもいる。起こしたらしい。ダーニャが俺にバス・タオルとフェイス・タオルを渡しながら言う。もちろん、フェイス・タオルは身体に巻いていたもので……
「自分の服に着替えておこうと思います」
いや、そんなこと俺に報告する必要もないだろうに。それとも、すぐ後ろで着替えてるから、見るなってこと? さっきは平気で裸になってたじゃないか。ああ、シェーラは違うのか。
とにかく、渡されたバス・タオルを枯れ枝に結びつけて白旗を作り、それを砂浜に立てる。あまり風がないのと、タオルが湿っているのとで、ほとんどたなびかない。近付いてきたら、振ればいいか。
「見えました。クルーザーですね」
ダーニャが俺の横にやって来て、双眼鏡を覗きながら言う。着替えてはいるが、まだ服が湿っているように見える。船を出迎えるのに、男物のシャツではよろしくないと考えた理由は今一つ解らない。
船はなかなか近付いてこないように見える。でも、見える大きさは距離に反比例するから、そうなるよな。しかも島に近付いたらだんだんスピードを落とすだろうし。
ようやく船の形状が判るようになってきた。なかなか大きい。座礁していたクルーザーより、ひとまわり大きいだろう。
「操縦してる奴の顔は見える?」
「女性ですね。他に、二人見えます。みんな女性のようですよ」
ペアでヒッチ・ハイクするときに、運転手が男の時には女にピックさせて連れの男は隠れるのがセオリーだが、運転手が女の時はどうするんだったかな。その場合でも女にピックさせるんだったか? しかしこの場合はヒッチ・ハイクと違って、危険を感じても通り過ぎたり引き返したりすることはないだろう。
とりあえず、旗を持ち上げてゆっくりと振る。クルーザーもゆっくりと近付いてくる。あからさまにスピードを落としたな。
200ヤードほど向こうで向きを変え、舷をこちらに向けた。まさか本当に引き返すんじゃないだろうな。いや、停まった。
「
ダーニャが船上のパフォーマンスを実況中継している。察するに、
「声をかけなくていいのですか?」
シェーラが心配そうな声で言う。どっちに言ってんの。俺? ダーニャ?
「こちらに気付いてるのは間違いないから、しばらく様子を見よう。もし俺たちを助けずに帰るつもりなら錨を上げるだろうから、その時はみんな大声を出してくれよ」
「心配ありませんよ。ボートを出してきました。きっと、上陸するつもりです」
そりゃ、よかった。これで一安心。
シェーラに旗を持たせ、ダーニャから双眼鏡を横取りして船を見る。女が二人でボートに何か積み込んでいる。
一人は黒いショート・ヘアで、カーキのタンク・トップにネイヴィー・ブルーのドルフィン・ショーツ。なかなか美麗な顔だ。おっと、すごいな、あの胸の大きさは。マルーシャに匹敵、いや、そんなところを見ても仕方ない。
もう一人はブルネットの長い髪を首の後ろでまとめて、レモン・イエローのスリーヴレス・シャツに、ブラウンのバーミューダ・ショーツ。少し冷めた表情だが、こちらもまあ美人。さっきの女よりもスレンダーで、胸も小さくて、そういうところばかり目が行くのはどうしてなのかなあ。
「ボートが動いた。パドルで漕いでないから、エンジン付きか」
ショート・ヘアの女が帽子を被った。ブリムが曲がった、黒い……何だかなあ、海賊のつもりか?
「海賊のコスチュームですね」
隣でダーニャが呟く。目がいいな。いや、肉眼でももう見えるか。双眼鏡を外したら、俺でも見えた。
エンジンの音と共にボートが近付いてきて、浅瀬まで来るとエンジンを止めた。二人ともボートから海に飛び降りて、ボートを押しながら上陸した。
海賊帽の女がサングラスを外し、皮肉っぽい笑みを浮かべながらこっちに近付いてくる。双眼鏡で見ていても思ったが、映画女優ばりの派手な美人だ。だが、残念ながらダーニャには全く敵わないな。ダーニャが別格だとしても、シェーラと同レヴェルか?
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