#9:第7日 (2) ミレーヌの報告

 さて、俺を待ち構えている人間はもう一人いて、それがミレーヌなのだが、とりあえず控え室に連れて行って話を聞くことにする。“その他従業員用”の方に入るのは初めてだが、誰もいなかった。この時間帯は事務系の従業員やレストランの関係者もいないからであって、昼間はそれらの連中がたくさん休憩に来ているのだろうと思う。

 広々とした控え室の片隅にあるソファーに、ミレーヌと向かい合って座る。

「ペリーヌとティファも呼んだ方がいいでしょうか?」

「彼女たちからの報告をまとめるのが“隊長”である君の役目だよ」

「はあ、はい」

 ずっと沈痛そうにしていたミレーヌの表情が、少しだけきりっと引き締まった。俺が彼女に出した“指令”とは、「各テーブルがよく見える位置、つまり君が普段そこに立って警備するような場所に、ずっと立ち止まっている客がいるかを調べる」というものだ。特に、0時から2時までがどうだったかを聞きたい。

「その時間帯、私は3階にいまして、はい、確かにアーティー副主任スー・シェフのおっしゃったとおり、ずっとそこにお客様がいました。位置は……」

 マレー主任と話をしたときにメモした、簡略化したフロア図で位置を示してもらう。スロット・マシンが並ぶ列の間に、少し広くなった通り道があって、そこからブラックジャックのテーブルが見える場所だ。

「そのお客様は、他のお客様がスロット・マシンをしているのを、ずっとご覧になってました。30歳くらいの男性で、とてもハンサムな……あの、いえ、アーティー副主任スー・シェフほどではないですけど……」

 余計なこと言ってんじゃねえよ。頭を小突いておく。

「……女性のお客様に声をかけたり、かけられたりしていました。私はずっとそこに立っていたわけではないですけど、回ってくる度に彼はそこにいました。時々、私の方を見て、声をかけてきたらどうしようと、あの、いえ、嫌だなという意味ですけど、だから憶えていたんですけど、きゃああオーララ!」

 もう一度頭を小突いておく。さて、もう一人はティファが2階で見つけた男。カード、ルーレット、クラップスの三つのテーブルの境目になっている位置にいた。そこは常に人通りが多いのだが、賭場を一廻りするたびに中年の男がいるのを見かけたとのこと。なぜ憶えているのかまでは教えてくれなかったらしいが、恐らくティファの好みのタイプなのだろうと思う。

「鞄を持っていたか?」

「私が見かけた方は、鞄を持っていませんでした。ティファの方は、すいません、そこまで聞いていません。やっぱりここに呼びましょうか?」

「いや、いいよ。どうせ持ってなかったに決まっている。服装は? ジャケットは着ていたか?」

「はい、着ていました。色は紺で、少し厚手だったように思います。館内でも夜はそこそこ涼しくなるので、男性でも上着を着ていることは多いですが、それにしても夏向きではないな、と思ったものですから。あの、私はその人がハンサムだから服をよく憶えていたわけではなくて、アーティー副主任スー・シェフにご指示を頂いたから憶えようとしていただけで」

 いちいち言い訳しなくていいんだよ、めんどくさい娘だな。ティファが見つけた男はどうだったかを尋ねると、また「そこまでは訊いていない」と言うので、携帯端末ガジェットでメッセージを送らせた。すぐに返事が来て、「薄手の白のサマー・ジャケット。左右の内ポケットにスマートフォンを入れていた」とのこと。

「ところで、この指令はどういう意図なのですか?」

「後で教えるよ。ホームズだって、ウィギンズには詳しいことを教えなかっただろ」

解りましたアンタンデュ。でも、私の勤務はあと1時間半ほどで終わってしまいますけど」

「後はカロリーヌに引き継ぐから心配ない。ところでミレーヌ、君は大学時代に夜更かししたことがあるか?」

「はい、何度もあります! あっ、いえ、変な遊びをしていたわけではなくて、次の日に出すレポートを作るために、とかですけど」

「理由は何でもいいが、3時頃まで起きていたとしたら、次の日は何時くらいまで寝ていたい?」

「そうですね、早起きの必要がなければ、11時くらいまでは寝ていたいです。あの、私、7時間から8時間は寝ないとすぐに眠くなってしまうので」

 まあ、そうだろうな。今からでもいいから仮眠しておけよ、と指示して一緒に控え室を出る。もちろん、仮眠のことはマレー主任も了解してくれている。というか、ちゃんと休憩を取らないと勤務時間を超過して、注意されるのはマレー主任だからな。

 さて、今日はランニングをしなかったから、ジャンヌが気にしているに違いない。外へ出てコースまで行くと、ちょうどジャンヌが走ってくるのが見えた。できすぎている。

おはようボン・マタン愛しい人モン・シェリ!」

 ジャンヌがほとんどスピードを落とすことなく俺に飛びついてきて、とんでもないことを口走る。いつから俺が君の愛しい人ダーリングになったってんだよ!

「おはよう、ジャンヌ。その挨拶も全てに愛情を注ぐための一環か?」

「そうかもしれないわ。昨夜は愛情のことばかり考えながら寝たんだけど、朝起きたらあなたのことを前よりももっと好きなってたのよ。ところで、今日は走らなかったのね? 私、少し寝坊したから、いつものところで追い越してもらえなかったのかと思って、気になってたんだけど」

「ああ、今日は色々な都合で少し時間を変えたんでね」

「そうなの。でも、こうしてあなたの顔を見られたから安心したわ。今日は昼のドライヴァーズ・パレードまで暇かと思ってたんだけど、色んな取材の予定が急に入ってきたから、レースが始まるまでに、あなたに会う時間がなくなっちゃったのよ。本当は一緒に朝食を摂って欲しかったんだけど、モーター・ホームにプレスを呼んでブレックファスト・インタヴューをすることになったから、できないの。残念だわ。でも、こういうインタヴューって、カジュアルな服装で臨んでもいいのかしら。それとも、フォーマルにした方がいい?」

 知るかよ、そんなこと。ところで、さっきからずっと抱きついたままなんだが、いつになったら離れるつもりなんだ。

「インタヴューの趣旨にも依るから、チームの広報に訊いてみな」

「そうするわ。もし恋人のことを訊かれたら、どう答えたらいいの?」

「前にも訊かれたけど、あれから自分で答えは出してないのか?」

「だって、あれから考え方が変わったんだもの」

「全ての男性ファンを味方に付けたいんなら、“募集中”って答えておきな。好きなタイプは“浮気をしない”だ」

「でも、それって実際とは違うから、ファンの期待を裏切ることになるんじゃないかしら?」

「違ってないさ。全ての男性ファンは君の恋人で、その中に一人だけ、他とはほんの少し扱いが違う男がいるってだけだろ」

「ああ、そういうことね、解ったわ。参考にする」

「ところで、いつになったら俺から離れてくれるんだ?」

「あなたが朝の挨拶をしてくれるまでよ」

 しかし、この角度だと、頬ではなくて唇に“挨拶”をするしかないのだが。こら、目を閉じるな! 前回といい、どうして7日目になるとこういうイヴェントが発生するようになるんだ? いや、前回の相手はキー・パーソンじゃないから、単なるアクシデントだけど。

 覚悟を決めて“挨拶”をする。ようやくジャンヌが俺から離れてくれた。笑顔が昨日までに比べて格段に明るい。今朝のカジノの連中とは対照的だ。

「インタヴューは何時から?」

「7時半からよ。プレスは10人くらいって聞いてるわ。私だけじゃなくて、チーム・メイトも一緒なの。でも、彼が言うには、『きっと君一人にインタヴューしたいはずだから、自分は付録だ』って、機嫌が悪くて」

「それは君の愛情で救ってやれよ。答えやすい質問を先に答えさせてやるとか、写真を撮るときは必ず二人にするとか」

「そうね、チーム・メイトあっての私だものね。最も身近なライヴァルだけど、最も愛情を持って接するべき相手でもあるわ。ちゃんと考えながら話すことにする。ところで、今夜は何時に会ってくれるの? 4時半以降なら空いてるはずなんだけど」

「レースの後で疲れてるんじゃないのか」

「でも、あなたは今夜中に帰国しちゃうんでしょう? だからどうしても会わないと」

 待て待て待て、君にはそのことは言ってないはずなんだが、なぜ知っている。しかも、6時以降はマーゴと夕食の予定が入ってるというのに。

「俺は6時にはここを出ないと」

「いいわよ。早めのディナーを摂って、空港まで車で送って、飛行機に乗るまで見送ってあげる」

 断り方が判らないんだが、どうしたものかな。

「他にも見送りに来てくれる女がいるんだが、気にしないでくれよ」

「あら、全然気にしないわよ。その女性、あなたの恋人じゃないんでしょう? 紹介してね。あなたの交友関係も知っておきたいから、いい機会だわ」

 俺の関係者にまで愛情を注いでもらえるなんて、ありがたいことだ。しかし、今日は何が起こるか判らないし、6時以降のことなんて後でどうにでもなりそうだから、今はこれでいいということにしておくか。

「判った。ところで、俺からも質問が一つあるんだが」

「何? 何でも訊いて」

 君の男関係のことだ。

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