#9:第7日 (3) 子供と秀才

「ハロルド・ザ・スリムという男を知ってるか? ブリム・ハットを被っていて、服装もカウボーイのような前時代的な格好をしているんだが」

 変な質問、とでも思ったらしく、ジャンヌは鼻で笑いながら答えた。

「名前は知らないけど、そんな格好の男性ならカジノの中で一度見かけたことがある気がするわ。でも、声をかけたことも、かけられたこともないわよ」

 そうすると、二人が接触したこともないはずなのに、マルーシャは「動向に注意して」と言っているのか。彼女は何を知ってるんだろうな。

「その人がどうかしたの? 何者?」

「有名なギャンブラーらしいんだがね。しかし、話をしたことがないのなら、どうでもいいことだ」

「ギャンブラー? ああ、もしかして、今日のレースの結果で賭けをしてるから?」

 なるほど、そういう接点か。レースが賭けの対象になるというのは、よく考えれば当たり前のことだな。マルーシャはそのことに気付いていたのか。もしかして、奴がジャンヌに何かをして、レースの順位を操作しようとしているとか?

「詳しいことは俺もよく判ってないんだが、その男が、君のことで何か言っていたという噂を聞いたんでね」

「気にしなくていいわ。カジノで、レースの結果の賭けをすることは前から聞いてるもの。予選の順位だって、賭けになってたのよ。私は16位以下になるのが一番人気だったんですって」

 あああ、そうすると、昨日キャバレーでやってた予選の生中継ってのは、賭けの場でもあったのか? どうして俺はそういうことにすら気付かないんだろうな。

「でも、イカサマに乗るドライヴァーなんていないわよ。レースでいい成績を上げる方が名誉にもお金にもなるものね。ただ、チームのスタッフは、その手の関係者に気を付けるように言われてるわ。でも、そのハロルドが何か良くないことをしてるっていうのなら、気を付けるようにするわね。チームのみんなにも言っておくから」

「ああ、そうしてくれ。しかし、ハットを脱いでいるかもしれないから、そのつもりで。もしかしたら、俺の名前を騙って、君におかしな差し入れをしたりするかもしれないが、それにも注意してくれ」

「あら、それは大変だわ! 私、あなたのことなら無条件で何でも信用しちゃいそうだもの、気を付けるわね。でも、そういう人たちもレースの関係者なんだから、愛情を持って接した方がいいのかしら?」

「君がどれほど注いでも溢れるほどの愛情を持っていれば、たぶんそれもできるだろうよ。今はまだ少ないだろうから、相手を見極めて、大事に使ってくれ」

「そうするわ。じゃあ、そろそろピットに戻るわね」

「ああ、レースも頑張ってくれ」

 ベクをして、ジャンヌが走り去るのを見送る。俺もそろそろ朝食に行こうと思う。マーゴと一緒に朝食を摂れないのは、本当に残念だ。今日の服はどんなものを予定していたのだろう。それは夕方以降の楽しみに取っておくか。


 ランスタンへ行って、いつもと同じ朝食を摂って、警備詰所へ。途中でエヴィーからメッセージが入った。今日も一緒に朝食を摂りたいという。昨日に続いて間の悪いことだが、昨夜のカウンティング・チームのことを何か知っているかもしれないから、OKと返事をしておく。

 詰所にはマレー主任、ブロンダン主任、そしてワテレ主任が揃っていた。先の二人は厳しい表情をしているが、ワテレ主任だけは以前と同じく穏やかな顔だ。改めて、昨夜の顛末についてマレー主任が報告し、その後でサーヴェイランス・チームの分析結果を聞く。

 一昨日来たカウンティング・チームの顔と、昨日と今日の午前4時までに来た客の顔データを比較した結果、同じ客は一人もいない、ということだった。無論、顔認識の精度に問題があることは俺を含め4人とも判っているので、結果は信用ならない、ということで意見が一致した。

「MITの関係者データとの比較は?」

「一致はなかった、とのことです」

「しかし、有名人のデータは認識できたから、変装でもして来ない限りは判別できるはずですな」

 ワテレ主任が口を挟んできた。

「有名人ってのは、ハロルドとか、F1ドライヴァーとか?」

「そうです」

「でも、ジャンヌ・リシュリューが火曜日に来たのは判らなかったよな」

「そう。サングラスをかけると精度が落ちるのは知ってましたが、顔の下半分だけでも本来はそこそこ判別できるはずなんですがねえ。何らかのミスがあったとしか思えない」

「まあ、そんなことは今さらどうしようもないですよ。考えるべきは、恐らく今日、これから彼らが来た時の対策です」

 ブロンダン主任が前向きな意見を言う。しかしマレー主任は胃が痛そうだ。

「こうしている間にも来そうで、落ち着きませんねえ」

「たぶん、昼からだよ」

「どうしてそう思うんです?」

 3人の視線が一斉に俺に集まる。まさか根拠のないことは言うまい、と思っているのだろうが、それほど大した根拠でもない。

「この前からの議論では、誰か一人がカードのカウンティングも、ヒット・オア・スタンドも、全部やってるんじゃないか、ということだった」

「ええ、そう」

 マレー主任が相槌を打ち、ブロンダン主任が頷く。ワテレ主任は黙って聞いているが、恐らく二人のうちのどちらかから、既に情報を仕入れているだろうと思う。

「今朝の0時からカウンティングを始めた理由は解らない。もしかしたら、もっと早く始めたかったのに、機材や人員配置の関係で遅くなったのかもしれない。が、2時に終わった理由は、俺が思うに、カウンティングの担当者が眠くなったからじゃないかと」

「夜更かしが苦手なんですかな。学生だったら、一晩中起きていても平気なんじゃないですか」

 ブロンダン主任がむっつりした顔で指摘してきた。

「しかし、二つのテーブルを同時にカウンティングしてるんだ。カメラ映像や、あるいは画面に表示される数字を見てやってるだろうから、頭は疲れるし、目も疲れる」

「疲れるのは解りましたが、それでどうして今日は昼からなんです?」

「疲れるとたくさん寝たくなるだろ。2時頃に終わって、シャワーを浴びて、8時間くらい寝て、ブランチを摂って、それからまた始めるとしたら12時くらいになる」

 マレー主任が目を細めて俺を睨み、ブロンダン主任がため息をつく。

「ははは、8時間も寝るなんて、まるで子供じゃないですか」

 興味深そうに聞いていたワテレ主任が笑いながら言った。

「ギャンブルで必勝法を使って大儲けしようなんてのは、子供の考え方だよ」

「その割には作戦全体が子供らしくないですな」

「そこまで子供だとすぐにバレるからね。カウンティングをする奴だけ頭が子供で、他はMITの秀才の作戦だろうさ」

「我々の頭でその作戦を破れますかな」

「4人もいれば何とかなるよ」

「しかし、通信の手段さえまだ判ってませんよ」

 マレー主任が悲しそうな声で言う。しかし、俺には一つ思い付いていることがあって、それを皆に話したが、反応は今一つだった。

「そういうことができるのは判りましたが、ここにはその手のことに詳しい者がいないんですよ。通信機器のメインテナンス担当は外注なんです。これだってそうだ。私は設定方法すら知らんのです」

 ブロンダン主任が携帯端末ガジェットを指しながら言う。まあ、そうだろう。普通は警備員がそんなことを知っている必要はない。

「個人的に趣味として詳しいってのもいるだろうから、訊いてみてくれないか。一人くらいはいるだろう」

「そういうことなら、何人か心当たりがあるので訊いてみます」

「こちらが気付いているのを見越して、陽動作戦を採ってきたりしませんかな」

 ワテレ主任が言う。さすがに年季が入っている男は理解も早い。

「それも何とかしたいな。陽動に引っかかる担当を割り当てたいんだが、人数が足りるかどうか。俺の手下の“不正規隊イレギュラーズ”の勤務時間は8時までなんでね」

 何のことやら判らぬという顔をしているのはブロンダン主任だけで、マレー主任はため息を吐くし、ワテレ主任は察しが付いたようだ。ブロンダン主任に、ミレーヌに出した指示とその成果を話す。そして今日の昼はカロリーヌの他に一人か二人を“不正規隊イレギュラーズ”として行動してもらうことを、ワテレ主任に了承してもらった。ただ、それでも陽動迎撃には人数が足りないだろう。

「ミレーヌ・リードをおだて上げれば、喜んであなたのお手伝いをするんじゃないですかな。もちろん、仕事ではなく、彼女の自発的な行動としてですが」

 ワテレ主任が穏やかな笑みを浮かべながら言う。彼は優しそうな顔をしておきながら、部下にサーヴィス残業アンペイド・オーヴァータイムを強いる達人かもしれない。

「そんなことしていいのかな。マレー主任、君はどう思う? 彼女は今夜も夜勤なんだろ。きっと支障が出るぜ」

「今日の昼間にカウンティング・チームを撃退してもらえるのなら、彼女が勤務時間の半分を居眠りしようが、僕は何も言いやしませんよ」

 やけに融通の利く考え方をしてくれて助かるが、組織としてそれはどうなのかとも思う。一番真面目そうなブロンダン主任さえ、聞こえなかったふりをしているようだ。さすがは仮想世界のシナリオという感じがする。

 ただ、追加が一人ではやはり足りなくて、もうあと数人欲しいところだが、贅沢は言えないか。

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